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変わらないことを、大切に。

年が明けて、離れて住む両親に会いに行ってきた。

世間の帰省ラッシュと少しずれていたのか、新幹線は意外と空いている。
生活圏の外へ出たあたりでビールを開け、駅ビルで買った天むすをつまむ。知らない町の景色を眺めながら、頭の中を「実家に帰る娘モード」にゆっくりと切り替えていく。
この時間がないと、自分とはあまりにも違いすぎる両親の日常に入っていくことは難しい。今日から数日間は、年を越した仕事のことも、年末に同僚から打ち明けられた重めの悩みごとも、クリーニングの受け取り日を過ぎてしまっていることも、いったんすべて忘れて過ごすのだ。

最寄りのローカル線駅に着くと、両親が迎えに来ていた。
車に乗るなり「おなかすいてない?」と聞いてくる母。
「寒くないか?」と荷台から膝掛けを出してくる父。
否応にも娘スイッチは完全オンとなり、私たち家族のお正月が始まった。

両親が移住した小さな町は、海と山があって、空が広くて、他にはなにもない。
人もお店も少なくて、とても静かだ。あまりに田舎なので最初は驚いたが、ここにしかない静かな暮らしの良さが、最近はだんだんとわかるようになってきた。

この町に来ると私はまず、ひとりで散歩をする。
自分が知っているよりも圧倒的に鮮やかでまぶしい空の青さや山の緑に、少しずつ目を慣らしていく。体の中の空気を入れ換えるように深く呼吸しながら歩き、ほとんど音のしない世界に耳と心を澄ます。
畑の中の道を軽トラが走っていく。
港を出ていく船のサイレンが響く。
顔を上げると、とんびが飛んでいた。
ゆったりと流れるこの町の空気に少し馴染んできたところで家に戻ると、きょうだいも到着していた。

父は昔から、元旦の朝風呂に入る。
母のつくったおせちを家族で囲み、お雑煮を食べ、近所の神社に初詣に行く。
正月広告や別刷りやチラシが満載の新聞をじっくり読むのも楽しみだ。
箱根駅伝を見ながら炬燵でうとうとしたり、商店街の初売りに行ってみたり。
たくさん食べて飲んで、だらだらして、体も心もゆるみきった状態を堪能する。
そんな我が家のお正月は、両親が移住してからも変わらない。
家族って、なかなか変わらないものだなと思った。

家族そろっての久しぶりの食卓は賑やかで、話すのと食べるのとに忙しい。
母のつくる炒め物や煮物は素朴ながらもやはり絶品で、味付けのコツなどを聞きだそうとするのだが、「だいたい適当よ」と適当な返事。誰かが自分のためにつくってくれた料理は、それだけで余計においしく感じるものなんだろう。
漁師町なだけあって、魚も本当においしい。生タコと鰺の刺身、まぐろのカマ焼きと続き、私が持参した日本酒はあっというまになくなった。

大勢での食事がうれしいようで、母はよくしゃべり、ニコニコしていた。
父はずっと機嫌よさそうに飲んでいる。昔に比べ量は少しずつ減っているが、徳利の最後の一滴まで飲みきろうとする気概は衰えていないようだった。

いつもと変わらない、なんでもないお正月が過ごせることを、年々大切に思うようになった。親はいつまでも元気でいると思っていても、確実に歳を重ねている。
家族の時間が有限なことを、少しずつ実感するようにもなってきた。

今年も家族みんなが健康で過ごせますように。
いつもと変わらない、なんでもない一年になることを祈っている。

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