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親の望みとは違うほうに来たけれど。

テレビをつけると、「トラック野郎」がやっていた。
父が、初めてのデートで母を連れて行った映画だ。
(なんちゅうセンス。。。)
画面の中で疾走する桃次郎を撮影し、LINEで両親に送る。
ほろ酔いなので少しブレたが、懐かしい話をするタネには十分だろう。


母には、「軽井沢の教会で結婚式を挙げる」という夢があった。
森の中の小さな教会でドレスを着て、馬車に乗って写真を撮る。
かわいらしい憧れをもっていたという。

そんな母が実際に式を挙げたのは、市民会館のホールだった。
結婚の話がまとまるとすぐに、父側の親戚が予約した。
新郎新婦への相談はなく、日時と場所が決まってから知らされたという。
今から四十五年も前のことだ。

当時はまだ、「家と家とのこと」という意識が根強かっただろうし、
式場も今のように選択肢が多いわけでもなく、
結婚する二人が自由に決めるという風潮ではなかった。
「軽井沢の教会で・・・」なんて、とても言い出せる空気ではなかったのだろう。
当時の母を少し気の毒に思ったりもするが、時代が違うのだから、
可哀想と決めつけるのは少し違う気もする。
駅から離れた微妙な立地、行政施設らしい無機質な壁、ムードのない照明。
それでも母は、父と結婚できることがうれしくて、とても幸せだったという。

新婦側の招待客の中には、地方から上京してきた親戚が何組かいて、
その人たちは母の実家、つまり新婦の両親の家に泊まった。
娘を送り出してゆっくりしんみりする暇もないなんて、今では考えられないが、
これも時代が違ったということだろう。
引き出物の鯛が腐らないよう、全員分を冷蔵庫に入れるのが大変だったと、
祖母から聞いたことがある。


だからというわけでもないだろうが、「結婚式は好きなようにやりなさい」と母に言われたことが何度かある。私がまだ二十代だった頃だ。
何気ない会話の流れでさらっと、特に深刻な感じでもなかったので、その時はあまり気にとめなかったのに、時間が経った最近になってなぜか時々思い出す。きっと、娘の時は口を出さず自由にさせようと、母なりに決めていたのだろう。自分の娘も普通に結婚すると思っていたであろう母の気持ちを思うと、裏切ってしまったようで少し胸が痛い。
私が三十代後半にもなるとさすがに言わなくなったが、今度はたびたび、「あなたが毎日楽しく過ごせているならそれでいい」と言うようになった。子を思う親の気持ちとはそういうものかとありがたく受け取りつつ、同時に、そう言わなくてはいけないと母が思っているであろうことも私は知っている。娘の生き方についていろいろ思うことはあるだろうが、何かを諦め、そして尊重し、見守っている、そういう親であろうとしてくれていることに、とても感謝している。
そして、時々そっと、詫びたくなる。


思えば、私が無謀な転職をした時も、次の仕事が決まらないのに会社を辞めた時も、長くつきあった恋人と別れた時も、母は反対したり詮索したりすることなく、「もう決めたんでしょ」とだけ言って、いつも通りの母で居てくれた。
元気でいるか、ご飯をちゃんと食べているか、それだけを気にかけてくれた。
次にまた何か心配をかけたとしても、きっと同じことだけを聞いてくるのだろう。

もし今この時代に、母が結婚式を挙げるとしたら、夢だった軽井沢の教会を選ぶだろうか。いや案外、「便利な近場がいいわ」などと現実的なことを言い出しそうな気もする。うーん、どっちだろう。

そんなことを考えていたら、テレビの中で、桃次郎の恋が砕けて散った。

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