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『こころ』夏目漱石

再再読。初めて読んだのは高校生の時。難しい作品ながら物語の私(先生)に共感を覚えたのを覚えています。友情か恋愛か?その究極の2択で恋愛をとったわたしは、今思い出しても身悶えするような地獄の高校生活を送ることになりました。そして今でも友情を取るべきだったと後悔しています。でも、本作を読んで多感な時期において恋愛とは自分の力ではどうしようもなく理性の効かないものなのだとわたしは再認識しました。

次に読んだのが今から3年前、30歳を目前に控えたわたしの感想を読み返すと、先生を「悪」だと罵ったあと、やはり高校時代の自分を思い出し悄然としている様子が伺えました。

そして本日……同じ作品を3回も読んだのは初めてです。

シンプルに難し過ぎて理解に苦しむ自分がいました。それでも以前より見えてきたものがありました。

まずはKの自死について。今まで何故Kが自殺してしまったのかわたしにはわかりませんでした。別に命までも絶たなくともと。
でも、今回丁寧に読んでみて、Kの家族模様(医者になることを条件に大学に行かせてもらっていたのにも関わらず、養家を欺き全く違うことを勉強していたことから、実家とも養家とも気まずく疎遠になっている)を踏まえた上で、Kにとって私(先生)は親友でもありたった一人の自分の考えを打ち明けられる家族だったんだと認識しました。そんな唯一の存在に裏切られたことはKにとって相当なこころの傷となったことだと思いました。そして天涯孤独に陥ったKには誰も自分の気持ちを打ち明け相談できる人がいないのです。わたしはもし自分がKならと想像しました。その結果わたしもKと同じ行動をとるに違いないとの結論に至りました。

次に私(先生)について。私(先生)に対し、「何故正直にお嬢さんを好きになったと打ち明けないのか?」と責めている自分がいました。打明けておけばあのような悲劇は起きず、他に道はあったかもしれないと。そしてその言葉は紛れもなく高校時代の自分にも向けられていたものだとはたと気づきました。しかし、当時のことを思い出すと「打ち明けることがいかに困難なことなのかを知っているのは紛れもなく自分ではないのか?そんなお前に私(先生)を責める権利などあるのか?」と高校時代のわたしがわたしを叱咤するのです。わたしは途方に暮れました。わたしはKが悪だなどと罵る資格すらなかったのです。

今回の疑問は奥さん(お嬢さん)に過去のことを打ち明けず秘密にしておくことです。本当のことを打ち明けても妻(お嬢さん)は許してくれると本人が作中で述べていますし、その方が私(自分)も楽になれる。なにも必要以上に自分を苦しめ、殉死などする必要があるのかと。そこまでして妻(お嬢さん)を純白のままでいさせてやりたい気持ちがわたしにはあまり分かりませんでした。

でも、それもわたしがいつか誰かを愛し結婚した時にわかるのかもしれません。その時はまた再読できればと思います。

芸術的観点から見て。Kの自死なくしてこの作品は輝かず、そこに至るまでのエゴイズムと心の煩悶が見事に描かれている作品だと思いました。

どこまでも奥の深い『こころ』……。

次に読み返すのはいつになるやら。

『こころ』夏目漱石


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