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がむしゃらに走った日に考えること


今日は仕事が終わり、ご飯を食べて、氷結のシャルドネスパークリングを飲みながら、落合陽一さんリスペクトでつぶグミを食べつつ、YouTubeを眺めていた。


いつの間にか寝ていた。


念願だったゲーミングチェアはロッキング機能がついていて、ゆらゆらと前後に揺れることができる。チェアの背もたれも長く、身長が180㎝ある自分には安心感がある。


今日は感動したことがある。


看護師として働き始めて4ヶ月、とうとう受け持ち患者を持つと決まったことだ。


正直、今の病院での4ヶ月はよくわからない日々だった。看護師として就職したのに、介護士と変わりない仕事だと思っている業務ばかりだったから。

看護師の仕事は法律で「診療の補助と療養上の世話」と定められている。療養上の世話にだけ焦点を当てれば、介護士と変わらない業務になり得ることもあるだろう。



しかし、私がなりたい看護師は違った。



青森県、平賀町で幼少期を過ごした私は、黒石市のかきさか医院という小さな診療所がかかりつけの医療機関だった。

体は大きかったが、体調を崩しやすかった自分は診療所にかかることも多かった。

子供にとって、病気とは恐ろしい。小さな頃からテレビで見るドラマや映画の影響を受けて、ちょっと熱が出ただけでも死んでしまいそうな気がする。


「大丈夫だよ」


そう言ってくれる看護師さんは白くて綺麗で、まさに白衣の天使と呼ぶに相応しかったと思う。

私が憧れていたのは間違いなくそんな白衣の天使だ。



看護師になろうと思ったキッカケはなんだっただろう。実は思い出すことができない。


私は医者になりたかった。


小学校を卒業した時、卒業を祝う会で医者になると言った記憶がある。中学はその踏み台だと豪語し、親にあんなこと言うもんじゃないと怒られた記憶もある。


小学生の頃なんて学力に差は出ない。テストはいい点ばかりとっていた。中学に入っても成績が上位だった。自分は神童で、このままいい人生が歩めると思っていた時期もあった。

2年生になった頃で、だんだん周りと差がつき始めた。

そんな頃からプライドが高かった私は言い訳を考えるのが上手かった。

限られた天才だけが医学部という道へ入って、医者になることができる。


だから医者になることは諦めた。


この中学2年生の頃が思い出せない。看護師を目指し始めたのは間違いないはずだが、どうして看護師を目指そうと思ったのかをハッキリ思い出すことができない。

強いて言うならこんな感じだったと曖昧に”考えている”

自分はそんな才能はない。だったら同じ業界で難易度を下げよう。自分はよく病院に行くし、看護師は身近だ。そうだ看護師になろう。

医者になりたかったことを思い出したのは最近の話だ。

ぼんやりと思い出した。なぜ思い出したのか。おそらく4ヶ月働いて思っていた自分となんだか違う自分への理由を考えていたからだと思う。


医者になりたかった看護師


私の人生は妥協でできている。今の自分は妥協の末に立っている。そして立っているだけで精一杯だ。

毎朝、ボランティアのように数十分前に出勤しては、本当は嫌なのに、明るいふりをして仕事を始める。私の職場は仕事の責任の所在が曖昧で、誰かがやってくれる精神が強い風土がある。勤務時間をズラしたり、係を決めるなど、仕事を振り分けることは可能なはずなのに、どうして皆時間を無為にしているのだろう。不思議でならない。かく言う私も提案が出来ずに悶々としているだけで行動ができない。こうやって匿名のまま、ネットの一角に気持ちを吐き出しているだけだ。


そんな日々でも、患者さんと接している時は楽しい。時代が時代だから患者は高齢者ばかりだが、人生の大先輩達の話は聞いていて勉強になる。

どれだけ馬鹿でも、生産性がなくても、筋がバラバラでも、普通でも、特別でも、貧乏でも、金持ちでも、皆等しく面白いと思う。それが人生だと思うから。


認知機能が低下し、1日中ベッドの上で寝たきりで、虚空を見つめて静かにしているだけのヒトに、なんの意味があるのだろうと命について考えたりもするが、そんな存在でも誰かにとってのかけがえのない存在であることも知った。

そして、誰かにとってもかけがえのない存在になれない人間もいることも知っている。身寄りもなく、あったとしても見放されていて、ただ独りでこの世を旅立つ人間もいる。


すごい世界だと思う。


生きる意味を探すのが人生だなんて二番煎じの言葉を言うつもりだが、本当に人間の一生なんて千差万別で意味なんて考えようがない。

地球上に70億人いる人間の1人であることを自覚すれば、道端の蟻も草も、小石ですら自分と似ている気すらする。


そんな世界で今日も生きている。


生まれた意味なんてわからないけど、なりたかった自分とは違うけれど。 


今日は感動した日だ。

介護士と変わらない仕事だった毎日に、自分の思い描いていた看護師が入ってくることが決まった日だから。


そしてこれを書いたのは走ったからだ。久しぶりに全速力で外を走ってきた。信じられないくらい気持ちが良かった。埼玉の静かな住宅地の誰もいない公道の真ん中をがむしゃらに走った。お気に入りの音楽をBluetoothイヤホンで聞きながらタンクトップとパンツ姿で走っている変態がいたらそれは私だ。

走り終わって、近くの公園で懸垂をしたり、シャドウボクシングしたり、鉄棒で前回りをして、ブランコを一生懸命漕いで汗をかいたらすごく気持ちが良かったから、なんとなくそんな気持ちを吐き出したいと思ったから今日はこんなnoteを書いた。


明日は休みだから、最近ハマっているカラオケにでも行ってこようと思う。台風が来ているけど、そんなのは関係ない。雨も風も好きだから。


そして、休みが明けたらまた看護師として働く自分が待っている。自分はよくわからないままだけど、納得もできていないけど、それでも毎日精一杯生きてみようと思う。


おやすみなさい。



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