知能特性に関する悩みと自分の無能さについて

2019年ごろ私がニートで何もやることが無かった時に、個人的な悩みを綴った文がnoteに残っていた。

本文の1番下に残しておく。

当時の私は、自分がものすごーく社会不適合者なんじゃないかと悩んでいた。

あの頃、この悩みをどうにかしたいと悩んでいた私へ、4年経っても治ってないぞ。

でも、あの頃悩んでいた事は、今では悩みではなくなったと思う。

勿論まだ特性として持っているけど、今ではその悩みであり自分の欠点と思っていた面が、自分の良いところでもあると捉えられるようになったからだ。

例えば宇宙人がいたとする。
彼らは、月を地球の外側からしか見た事がない。

クレーターまみれの外側の月ばかり見ているから、「月は美しくない。どうやら地球人は月を美しいと思っているようだが、あんな役に立たないボコボコの衛星の何が美しいんだ」とか考えてるだろう。

でもきっと彼らが地球に初めて降り立って月を見上げたら、内側の月の美しさに驚くだろう。

地球人が何故月を崇めたり、愛の象徴にしているのか別の視点から見て初めて理解できる。

あらゆるものごとは表裏一体である。美しくもあり、醜くもある。

視点を変えれば理解できるし、解決することだって多い。

ずっと鳥頭であることに悩んでいた。鳥頭なら、いっぱいメモで残しておけばどうにかなる。話すのが下手で悩んでいた。話が下手なのは、まあ今もなんだけども順序を気をつければどうにかなる。早口すぎて気持ち悪いんじゃないかと悩みながら治せていなかった。早口は人に伝えようと気を付けるようになってからは、(仕事中は)なんとかマシになってきた。

生きづらいかどうかは、捉えようであって自分でいくらでも変えられるものなんだと思った。

あと、自分の欠点を発見した時というのは、面白い程に決まって苦手過ぎるお局さんたちから注意された直後である事が多かった。(勿論家族や友人からも沢山あるけど、厳しいお局からのお叱りはとりわけ異様に強烈に脳内に残っている)

あの時はふざけんなお局死ねと思っていたが、今思うと彼女達は私を成長させるために神が遣わした使徒的な何かだったんじゃないか。出会ってきた人間の中で異様に厳しくて性格悪いやつらのことは、全員そう思うようにした。
今では私を成長させてくれた使徒達に心から感謝している(もう二度と会いたくはないが)

きっと自分と真逆の相性の悪い人との出会いや軋轢というのは、自分のたりてないところを知るために存在しているんだと思った。逃げちゃダメだね。

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以下、2019年ニートの自分が打ったメモ↓

私はずっと、自分のコミュニケーション問題について悩んでいる。

長く話したり、聞いたりするのがとても苦手だ。

まず、聞いてるそばから相手に言われたことを忘れてしまう。友人や家族との会話であれば問題ないが、業務などの興味がないけど覚えなければいけないことが覚えられない。自分の耳は本当にちくわで出来ているんだと思う。そのため、何かを口頭で指示されるとパニックになる。

自分は何かしら脳に問題があるのではないか、と悩み、WAISという知能テストを受けた結果、「ワーキングメモリ」というところだけ点数が低いことが分かった。

知能テストは昔から得意で、小学2何生の頃に「こんな知能指数が高い子供はいない」と自分について担任が親に話していて、私は能力が高いのだと鼻を高くしていたのだが、肝心のその内容は知らなかった。
(何故か小学生のあのテストの結果は開示がNGらしいのだが全員に開示すれば、早いうちから自分の特性を知れるので救われる子も多いのではと思った)

WAISを受け直してみると、たしかに全項目高い。平均よりは全部高めで平均130は超えているのだが、グラフにするとかなり凸凹していた。歪過ぎる。

知能テストにおいてある項目が他項目と15以上乖離があると、俗にいう「生きづらさ」を感じるようだ。

私はワーキングメモリだけ他の項目より20下だった。お医者さんから「生きづらかったですね」と一言いただいた。つまりお医者お墨付きの鳥頭ということである。

WAIS自体の信憑性については色々アレなところがあるが、こういう枠で自己の特徴を他者から定義してもらえると安心する。心が不安定な時は特に。私が私自身が何なのかわからなくてずっと悩み続けている。

問診の後、ADHD傾向について指摘された。片付けは得意なので自分の中ではしっくり来なかったが、たしかに一部は当てはまる。

小学6年の頃、毎日忘れ物をしていた。
試験のまえに口頭指示された事が自分だけ出来ていなかったことがあった。

話すスピードが早い。頭の中に浮かんでくるイメージを上手く発話できない。しかも話す順番や要点を上手く伝えられないため、どうしても冗長になる。

これは前職のコンサルの先輩に注意された。今でもはっきり覚えている。
(余談だがその人は本当に暖かい方で、私が失恋辛で号泣してた時、こういう時は集中できる入力作業が1番、と私の好きな業務である決算入力作業を沢山くれた。恩人なので本当に感謝している)

耳が弱く、頭の中で覚えていられないので注文を覚える必要のあるウェイターや結婚式の給仕のの仕事は絶望的に向いていなかった。

恵比寿のスペイン料理屋で何度もミスをし、厳しい女の先輩の言葉で何度も泣いた。

新卒でコンサル会社へ入社して1週間経った頃、お局に「カフェラテをよっつ買ってきて」と頼まれた時、間違えてアイスコーヒーを買ってきて呆れられた。
(これは当時お局にいじめらていてメンタルがブレていたので、そいつのせいでもあると未だ思っている)

自分ではなんとか覚えようとしているのだが、気づいたら頭の中に残っていない。
非常に辛い。

今はちょうど無職で何もやる事がないので、無職でいるうちにこの問題をどうにかしたいと思った。

ただ、一つ救いだったのはお医者さんから誰にでもそういった凹凸というのは少なからず存在するらしいので、全くもって問題ないと最後に声をかけてもらったことだ。

ADHという特性にD(Disorder、疾患、障害)が付くかどうかは、(少なくとも私の場合は)あなた次第ですということだった。Dを末尾がつかない方向に行けるよう、自分でコントロールしていきたい。


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