見出し画像

映画エッセイ「幼子われらに生まれ」から考える~後悔とはなにか~

公開 2017 
監督 三島有紀子
原作 重松清
出演 浅野忠信
   田中麗奈
   寺島しのぶ
   宮藤官九郎

あらすじ
バツイチ、再婚。一見良きパパを装いながらも、実際は妻の連れ子とうまくいかず、悶々とした日々を過ごすサラリーマン、田中信(浅野忠信)。
妻・奈苗(田中麗奈)は、男性に寄り添いながら生きる専業主婦。
キャリアウーマンの元妻・友佳(寺島しのぶ)との間にもうけた実の娘と3カ月に1度会うことを楽しみにしているとは言えない。
実は、信と奈苗の間には、新しい生命が生まれようとしていた。
血のつながらない長女はそのことでより辛辣になり、放った一言―「やっぱりこのウチ、嫌だ。本当のパパに会わせてよ」。
今の家族に息苦しさを覚え始める信は、怒りと哀しみを抱えたまま半ば自暴自棄で長女を奈苗の元夫・沢田(宮藤官九郎)と会わせる決心をするが…。

親愛なる、傷だらけのひとたちへ。
血のつながらない家族、血のつながった他人―
つまずき、傷つきながらも幸せを紡いでいく大人たちの、アンサンブルムービー
(アマゾン商品紹介より)

僕は今までの人生、後悔したことがない。

なんていうと自信満々の嫌な奴みたいに聞こえるけど。
結果としては、決して誇れるような人生ではないけれど、
選択として、その時その時のベストを尽くしてきたという思いはある。
物心ついた時から、少なくとも人生の重大な局面においては自分の気持ちに正直であろうと努めてきたし、投げやりな気持ちになって嫌だと思ったことを我慢したり、わざと気持ちと逆の方向に行ったりしたことなどはなかったと自信を持って言える。
・・・と思う。
結果、うまくいかなかったり失敗したことは山のようにあるが。
しかし、自分で選択したことの結果なら、結果は結果として粛々と受け止めるだけで、後悔とは思わない。
ようは個人の考え方、受け止め方の話だけれども。
なぜ、こんなことを言い出したのかというと・・

この作品の中で寺島しのぶが
「私の人生は後悔ばっかり」と吐露するシーンがある。
それに対して浅野忠信が
「そんなこと言い出したらきりがないぞ」と答える。
そんな事は、当たり前じゃないか。
みんなそうやって生きているんだ。
と言わんばかりに。
そこで僕は
「えぇ~。そんな事はないわい!」
と思ってしまったもので・・・。
この話の主人公浅野忠信は再婚相手の連れ子と暮らしながら、3か月に一度
別れた元妻と暮らしている実子と会うのを楽しみにしてる。
再婚相手の家族との暮らしでもいいパパを演じてはいるが、
それはあくまで演じている感ひしひしとある。
いろんな事を我慢しながら頑張っていいパパを演じている・・・。
世の中の大人たちはそこに共感するのかもしれないけど
僕は、不誠実だと思ってしまう。

自分に不誠実なのは家族にも不誠実だと。

長女が反発し始めるのもそういう事ではないかな・・・。
実父には暴力のトラウマがあるにもかかわらず
「本当のお父さんに会いたい」という。
血縁に対する絶対感とか絶望感とか・・
そいうのもあるのかもしれないけど。
後悔ばかりで過去に生きていて、今を生きていない新しいお父さんに、
ちゃんと今を愛してほしかったんじゃないかな。
血縁の超越を誰よりも本気で信じたかった長女の思いに、、
浅野パパは応えてあげられなかった。

まあしかし、この人たちもこの人たちなりに最低限の正解を模索しながら
精一杯の選択をしながら生きているという事では僕とさして違いはないかと。
むしろ後悔を後悔と認めている点では僕より潔いかな?
ラストではじんわり
この映画の浅野パパのような人も一つの
父親の形としてありかなと思わされてしまった。

別れた元妻の新しい旦那に「娘を育ててくれてありがとうございました」と言うシーン。
今の妻の元旦那が暴力男だったはずなのが意外にもいい奴だったところ。
重いテーマを扱っている作品だけど、
重松清の原作らしい、温かい視点の話だった。

この記事は2021年2月掲載、自身はてなブログからの引っ越し記事です。

この記事が参加している募集

映画感想文