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映画『君の名前で僕を呼んで』感想・考察 -ただのBLとは言わせない-

色々な映画をみたけどやっぱり自分の中ではこれが1番大好きな映画。

男同士の所謂同性愛の話だけど、ただのボーイズ・ラブとは言わせない。


世界観

この映画が好きな理由の1つは、世界観だ。
北イタリアで自然に囲まれ音楽を聴き本を読み果樹園に成るフルーツを食べる暮らし。
ピアノの美しい音色、イタリアの美しい街並み、緑豊かな美しい自然。ひと夏の恋の舞台にはぴったりなイタリア。
ほんっとうにキラキラしていて眩しくて、でも切なくて儚い 
その背景には同性愛者への差別という社会問題があるし、古代ギリシャの思想とか文学的な表現が散りばめられていてとっても好みだった

感想

綺麗なものをたくさん集めた作品なのに、血が流れたり傷口が膿んだり嘔吐したりなどグロテスクな場面もあって、いい意味で生々しくて現実的だった。ただ綺麗なものを詰め込んだ理想的な恋ではなく、
むしろ同性愛だからこの時代では汚らわしく、
するべきではないものとされていたという二面性がそういうグロテスクで現実的なものに現れているのだろう。

告白シーンでは好きだとか愛してるとかそういう言葉を安易に使わないところ、
2人が恐らく初めてむき出しの本音でぶつかるところがすごく好みでした。観て確かめてください。

以下ネタバレあり考察


1.「カプリッチョ」を弾き分けるシーン -物語の先行きを暗示-

エリオがオリヴァーのためにバッハの「カプリッチョ」をリスト風、ブゾーニ風、若い頃のバッハ風に弾き分ける、この発想自体が素敵すぎて感動したのだけど、これは実は物語の先行きを暗示しているシーン。
これ以上素敵な伏線を未だ知らない。
そもそもカプリッチョって、バッハの兄が国を出て旅立つことが決まった時作曲した曲で、
家族は必死に引き留めたけど結局兄は旅立ってしまったというエピソードがある。
これはエリオとオリヴァーの2人の恋の結末を示唆している。
このシーンでは音楽を通してエリオがオリヴァーに心を開く繊細な描写がため息出るくらい美しかった。
他のシーンでもやはり音楽がエリオの細かい変化を表すのにかなり効果的に使われていたのが印象的。

2.オリヴァー視点がない -同性愛の歴史-

オリヴァーはアメリカ出身で、イタリアには住み込みのインターンでエリオの家にやってきた。
オリヴァーが育った1980年代のアメリカは同性愛にすごくシビアで、自分のセクシュアリティを隠さざるを得なかった。
作中でも本当はエリオが好きだけどそういう社会的な体裁を考えて最終的に異性と結婚することを選んでいた、所謂クローゼット・ゲイ。
そういった苦い背景があるからこそオリヴァー視点がなかったのだろう。

3. オリヴァーの専攻研究 -万物は流転する-

オリヴァーの専攻研究は「万物は流転する」のヘラクレイトス。
何事にも執着しない生き方を選んだ彼が唯一執着してしまったのがエリオだった。
最後エリオの父も「感情を無視するのはあまりに惜しい」って言っていたけど、他人に期待しないで、執着しないで生きられたらどんなに良いか。
でも結局誰にも期待しないなんてできないし感情をコントロールなんてできない、機械じゃないんだから。


4. ハエが示すものとは


ハエは必ずエリオが1人にいるときにだけエリオの近くを飛んでいる。
エリオがオリヴァーに対する感情を抑えなくてはと葛藤する気持ちなど多感な時期のもやもやを現しているのではないか。
大事なことはそのもやもやの原因はオリヴァーだということ。
ハエの比喩など、エリオがオリヴァーに惹かれていく中で、自分のセクシュアリティや恋愛対象について戸惑い、模索していく過程が省略されずに丁寧に描かれていて良かった。

最後もエリオは「オリヴァーはオリヴァーだ」などオリヴァーだから好きになったということを言っていたのがとても腑に落ちた。
性別なんて関係なくその人だから好きになるって素敵なこと。
今どき性別なんてどうでもいいし、私自身性別に縛られるのが好きではないからエリオのセリフはすごく共感した。

5.タイトルの意味 -両性具有-


「君の名前で僕を呼んで」というタイトルやオリバーのセリフは古代ギリシアで理想・神に近い完璧な存在とされていた「両性具有」という考えからきているとされているそうで。
(余談 : レオナルド・ダ・ヴィンチもこの両性具有に憧れていたと考えられている)
両性具有は完璧な存在のため、神ゼウスがそれを嫌い切り離した。切り離された個体は互いが互いを求め合うようになる。
両性具有が完璧なら、人間は不完全な存在ということになる。
オリヴァーとエリオはお互いを求め合い、2人で完全な存在となる、という解釈。
ここでは「両性」は全く重要じゃなくて性別関係なく切り離された半身を求め合うという思想が大事。
だから「君の名前で僕を呼ぶ」。
電話でエリオはオリヴァーに対して「エリオ」と呼びかけたしオリヴァーはエリオに対し「オリヴァー」と呼んだ。
でも電話が終わり暖炉の前でエリオがセリフもなく、涙を目にためるシーン、背後で母親がエリオのことエリオと呼ぶ。
オリヴァーと呼ばれていたエリオがエリオと呼ばれ引き戻されるこのシーンでエリオの恋が終わったことを示している。

本格的にプラトンとかハイデガーとか文学だけどノヴァーリスとかの思想が反映されていて、そういう知識をちゃんと持っていたら絶対もっと面白い、普通に興味あるし勉強しようかな。

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