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心の闇の扉の向こう

感受性が人よりも敏感なひとは生きにくい世の中だ。

SNSなどの配信を通して
誰でも気軽に不特定多数の人と繋がれる世界

国も地域も関係なく、繋がれる世界だからこそ
面白くもあり、そして希薄でもある。

「じぶん」というものを見たときに、ひとは様々な場所で役割を変える演者になる。

家族の前ではヤンチャな一面
友人の前では穏やかな一面
仕事場ではー…

だけどSNSという世界は、顔の見えない世界だから人を簡単に傷つけられる。

言葉はその人の心をまるで刃渡り何センチもある切れ味のするどいナイフで抉るように刺す。

心は身体と違って表には出ない。

だけど刺されてえぐられた傷跡からは無数の血が吹き出している。

満身創痍なのだ。
その満身創痍な状況を隠して笑顔で生きることほど辛いものはないと思う。

そこにあるのは、じぶんを押し殺してでも掴む相手に対しての気遣いでしかない。
しかしじぶんのことはなおざりにして、誰を助けられるのだろう…

ネットだけじゃない、言葉は凶器にも十分なり得るのだ。

ひとは言葉で繋がっている

言葉を介すことで、誰かと喜びを分かち合ったり分けあったりする。

だけど、同時に簡単に人を傷つけることもできるのだ。

感受性の豊かなひとは、その感性の豊かさゆえに繊細で悩みやすく、孤独な性質を持っている。

かの文豪の、夏目漱石も川端康成も、芥川龍之介さえも悩んでいた。

いまは当時よりももっとたくさんの情報や言葉が錯乱している。
そして匿名性が気軽にひとを傷つけることを可能にしている。

心の闇の扉の向こう
彼はそれを開いてしまったのだろうか

真っ暗な闇の先にみえるひと筋の光を追い求めて「死」を選んでしまったのだろうか。

あまりにも早すぎる人生だと思う。

いまはこの世の悩みから解放されて、
安らかに眠ってくださることを祈るばかりだ。

本当に心からのご冥福をお祈りいたします。

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