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日本史B 近世5 江戸幕府の外交と鎖国

Ⅰ江戸時代初期の外交

安土桃山時代はポルトガル人スペイン人が来航(南蛮人と呼ばれる)

江戸時代にはオランダ人イギリス人が来航(紅毛人と呼ばれる)

1600年にオランダ船リーフデ号が豊後(大分県)に漂着したことがきっかけ


糸割符(いとわっぷ)制度について

ポルトガル商人中国産生糸(きいと)を高値で売りつけたことがきっかけ

糸割符仲間と呼ばれる特定の商人が輸入生糸を一括購入することで買値を抑制

糸割符仲間は堺・京都・長崎の商人から構成された


貿易の拡大

徳川家康は貿易を奨励

貿易の際に朱印状という渡航許可書が必要だった(朱印船貿易)


最重要輸入品は生糸

最重要輸出品は


東南アジアへ貿易に行った人物

大坂の末吉孫左衛門(すえよしまござえもん)

京都の角倉了以(すみのくらりょうい)・茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)


東南アジアの主要都市には日本町が形成された

 シャム(タイ)のアユタヤなど

 アユタヤ日本町の長として山田長政(ながまさ)がいる


徳川家康の命令で田中勝介(しょうすけ)がスペイン領メキシコへ向かう

仙台藩主伊達正宗の命で家臣の支倉常長(はせくらつねなが)がメキシコ経由でヨーロッパへ向かう


Ⅱ鎖国と禁教令

禁教令

貿易の推奨と共にキリスト教が日本に入ってくる

1612年に幕領と呼ばれる直轄領に対して禁教令を出す

 1613年には全国に拡大した


鎖国の始まり

ヨーロッパ船の寄港地を平戸長崎に限定した

1624年:キリスト教とかかわりが深かったスペイン(イスパニア)船の来航を禁止

1631年:奉書船(ほうしょせん)制度=海外渡航のために老中に許可を取る必要ができた

1633年:奉書船以外の海外渡航を全面禁止した

1635年:日本人の海外渡航と帰国を全面禁止


鎖国の完成

1637年:島原の乱=キリシタンの百姓が中心になって益田(天草四郎)時貞を奉じて起こした反乱

1639年:ポルトガル船の来航を禁止

1641年:オランダ商館出島に移し、鎖国を完成させる


中国人は長崎郊外に唐人(とうじん)屋敷を作ってそこに移住させた

 出島には住んでいない


Ⅲ朝鮮と琉球

朝鮮との関係

己酉約条(きゆうやくじょう)=対馬の大名である宗氏が朝鮮との貿易を独占

 朝鮮は将軍の代替わりごとに通信使を派遣しました


琉球王国

薩摩(鹿児島)の島津氏に征服される

 日本と清(中国)の両方の国に従属していた


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