何があっても絶対に自殺だけはしないほうがいいと思う


お久しぶりです。
またははじめまして。紅です。
状況が状況で厳しい毎日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私はたまに発作を起こしてなかなかつらいですが、頑張って生きてます。褒めてくれてもいいですよ。

さて、前の記事を書いてからもう一年経つな〜、と思い、7月は毎年なぜか呪われたように色々と気に病むことが多いので、少しずつ吐き出していこうかと筆を取りました。

今回は、
何があっても絶対に自殺だけはしないほうがいい
という、私自身の考えを書こうと思います。

※大半は自分語りなので、結局何が言いたいんだこいつ…と思う方は「・おわりに」だけ読んでください。
書きたいことを書き殴ったら支離滅裂になって①〜④があまり結論に結びついていません。すみません。

・前置き

私の性格上、過去の辛い経験や愚痴などを他人に直接相談したりするのが何より苦手です。
理由としては、

・私の話を聞いている相手が実は私に興味がなく、話をきちんと聞いてもらえていないかもしれない

といった自己肯定感の低さからくる思い込みや、

・話しているうちに辛い経験を思い出してしんどいからいっそ話さないほうがいい

という考えがあるからです。
なので、独り言のようにこういった場に書き連ねて、ワンチャン誰かが見て同情くれてたらいいな〜程度の気持ちで書きます。

では、自分語りその1です。

①小学生編

単刀直入に言うと、小学生のとき私はいじめのようなものに遭っていました。
”のようなもの”と表現したのは、私の被害妄想かもしれないからです。
今でこそオタク文化は世界に誇るものとなっており、アニメグッズを堂々と持ち歩いていてもいじめに遭うようなことはないと思います。ですが、その当時はオタク=痛い、気持ち悪いものとされ、オタクだとバレた日には周りから腫れ物扱いされる時代でした。

小学生4〜5年生の頃、私にはクラスに一人だけ友だちがいました。
幼稚園からの付き合いで、腐れ縁みたいな関係でした。その子は体格がよく、引っ込み思案で、成績もあまりいいとは言えない子でした。男子からは菌扱いされ、女子からは避けられていて、その子も”いじめのようなもの”に遭っていました。
一方私はというと、目立ちたがり屋で、学級委員や歌声集会(合唱祭みたいな感じです)の指揮者になるなど、とにかく人前に出ることが大好きで、お察しの通りクラスで浮いた存在でした。

友だちと私は、お互いにお互いしか友だちがいませんでした。

その友だちは私より「ヲタク」でした。
私はその子の家に遊びに行ったとき、NARUTOを勧められました。(今ではNARUTOを勧めてくれたこと自体は感謝しています。私のすべてのきっかけとなった作品なので。)
NARUTOを勧められて見るまでは、私は男子向けの漫画やアニメに興味がなく、いわゆるちゃおっ子だったので、週刊少年ジャンプで連載している漫画は私にとってはとても新鮮でした。
NARUTOのアニメを見て、漫画を買い、TCGにまで手を出しました。
すごく、今までにないくらい、私はNARUTOという作品にハマりました。
そして、前回の記事でもチラリと記載しましたが、

うちはサスケにハマりました。

女子が男性キャラを好きになることなんて今となっては当たり前ですが、当時は恥ずかしいことのような気がしました。なので最初は、サクラちゃんが好き(嘘ではない)と友だちに話していたのですが、内緒にしてねと言いながら、うちはサスケが好きであることを友だちに伝えました。

翌日、学校で給食の時間にクラス中にバラされました。

NARUTOは少年漫画ですから、男子の反応はふーん、とか、そこまで興味なさげな、むしろNARUTOオレも好き!みたいな反応を示す子もいましたが、女子の視線は冷ややかでした。

友だちは元々クラスから孤立していましたし、ヲタクであることもみんなに知られていました。しかし私はその日から女子たちには避けられ、「ヲタクが移る」だとか「私までオタクだと思われたくないから一緒にいたくない」だとか言われました。(男子は急に私に螺旋丸とか仕掛けてきましたが)(千鳥で応戦しました)(私が男子に絡まれてるが気に食わない女子もいたのかもしれないと今となっては思います。)

というわけで、女子からは完全にハブられました。

担任に相談しようかとも思いましたが、運の悪いことに担任は体育会系熱血教師でした。
お昼休みには必ず校庭で遊ばなければいけないという胸糞謎ルールを押しつけてきて、校庭で一緒に遊ぶ友だちなどいない私は毎日教室に一人で残って自由帳に絵を描いていました。なぜお前は校庭に行かないのか、といつも担任に怒られていました。服が汚れるから、とか適当な理由をつけて(服を汚して帰ると母親にこっぴどく叱られるので本当のことなのですが)絶対に校庭には行きませんでした。
こんな担任なぞ頼ったところでお前が悪いで終わりそうなので、話してたまるかという気持ちでした。

親に相談はしました。
お前が悪い、で終わりました。
学校に行きたくないとも泣きながら訴えました。
ズル休みは駄目だ、甘えは許さない、行け、で終わりです。

この世は地獄か?
私には一人も味方がいないのか?
いっそ死ぬか?

と思いました。
しかし私はめちゃくちゃ偉いので、毎朝行きたくないと泣きながらも休まず学校へ行きました。
卒業式の日はこんなクソみたいな場所からやっと離れられる!と嬉しくてたまらなくて、みんながおいおい涙を流している間、ひとり笑っていました。


…以上が小学生の頃の記憶なのですが、中学生編に続きます。
自分語りその2です。

②中学生編

上履きにミシン針が入っていました。
中学生になった私は、幸い小学生の頃の友だちや私に暴言を吐いてきた女子とはクラスは別れ、多少友人にも恵まれ、それなりに平和に学校生活を送っていました。
ただ、小学生の頃までとはいきませんが、相変わらず学級委員や合唱祭の指揮者を引き受け、若干目立ってはいました。(中学生のときの場合は、誰も立候補せず話が進まないのが煩わしいので自分から手を上げたという理由ですが。)

誰かから反感を買ったんでしょうね。
ある日上履きの中に錆びたミシン針が入っていて、友だちと担任と、廊下を歩いているときにふと気づきました。
その時は咄嗟に「ねぇ見て上履きにミシン針入ってたんだけどwwwww上履きに針入れる奴とかマジでいるのかよウケるwwwww」みたいなリアクションをとりましたが、担任は(なぜか)私のことを贔屓していたので(これもなかなかプレッシャーになってすごいストレスかかってたんですけど)大丈夫か…?みたいな、心配そうな顔をされました。(生徒の上履きにミシン針入ってたらそりゃどんな先生も心配しますよね。)

小学生の頃の経験から完全に他人を頼ることを諦めた私は、このことは誰にも相談しませんでした。
それ以降、とある日に全然知らない他クラスの女子からすれ違いざまに変なあだ名で呼ばれたりとかはしましたが、特にミシン針以外には目立った事件もなかったので放置しました。

ただ、今こうして事細かに覚えている時点で、怖かった、悲しかった、なんで私がこんなことされなくちゃいけないんだ?とか、色んな負の感情がずっと渦巻いて残っています。犯人はわからないし、わかったところで悪者扱いされるのはきっと私だし、知りたくもない、といった気持ちです。

以上が中学生の頃の出来事です。
次はその後についてと、言いたかったことについてまとめます。

③その後

中学を卒業してからは、私はなるべく目立たないようにしました。学級委員もやらない。みんなと等しく仲良くする。苦手な人がいても露骨に態度に出さず、へらへら笑っていることを目標に生きました。

環境に恵まれたこともありますが、それはもう上手いこと生きられました。(多分)誰にも嫌われず、嫌がらせもされず、無視も仲間外れにもされず、みんなに仲良くしてもらえて、友だちはたくさんできました。(多分)きちんとクラスの輪の中に溶け込んで、楽しい高校生活を送れました。

あとから知ったことですが、小学生の頃に私に暴言を吐いてきた女子は、公立も私立も落ちて高校受験に失敗したらしく、ざまぁみろ、と清々しい気分でした。

しかし、果たしてこれが本当の自分なんだろうか?
嫌われないように生きることが全てなんだろうか?
と思い始めてしまいました。

私は目立ちたがり屋で我が強く、どちらかといえばいつもマイノリティ派で、やっぱり嫌われやすいです。
小学生の頃は親にそれがお前の欠点だと指摘され、直すように言われました。なので中学、高校と時間をかけて、自分の「欠点」を直すように心がけました。
最近になって思い始めたのは、私の「欠点」は「個性」なのではないか?ということ。
無理してみんなに嫌われないようにと生きて、死ぬまでこれを続けるのか?と。

へらへらするのをやめました。

当たり前ですが、友だちはほとんどいなくなりました。
偽りなく自分を前面に出すと嫌われやすいことはよくわかりました。
これが自分、これでいいんだと言い聞かせていますが、いまだに「欠点を直すこと」と「自分を偽ること」の区別がつかず、ずっと悩み続けています。

④結局何が言いたいか?

死んだら終わりなんですよ。
なーんにも残りません。

私はとにかく生きるのが下手くそで、生きてて意味があるか?楽しいか?と自問自答して何度も死のうとしました。
でも死んだらそこで終わり。
私に嫌がらせした人たちも、無視したり仲間外れに人たちも、私が死んだあとに幸せに暮らしてるかもしれないじゃないですか。
そんなのムカつきません?
こいつらのせいで死んでも、私のことなんかきっとこれっぽっちも覚えちゃいないんですよ、あいつら。
そんなの腹立ちません?
だから生きてます。

今だって別に人生が楽しいと思っていません。相変わらず嫌われやすいし、他人の顔色を窺いながら生きてるし、すぐ体調崩すわ発作は起きるわで。そりゃあ、たまには運のいい日とか、楽しいことがある日はあるかもしれませんが、全体的に見て自分の人生が充実していて素晴らしくて、生きるっていいなとか、これっぽっちも思ってないです。お前が努力してないからだろと言われればその通りかもしれません。ただ、こういう人生を送ってきたので少しばかり他人にも自分にも期待してない、中身のない人間に出来上がってしまったってだけです。

かといって死ぬわけにはいきません。
私はできるだけ長生きして、できるだけ私に嫌がらせしてきた奴らが不幸な目に遭うのを見届けてから死にたいのです。

私と同じような、またはもっと悲惨な目に遭った方もたくさんいらっしゃるでしょう。
でも自殺だけはしないほうがいいです。
こっちが死んだところで奴らは罪悪感を感じたり泣いたりするどころか、喜んだり笑ったり、今までしてきたことを綺麗さっぱり忘れてのうのうと幸せに生きるだけです。


・おわりに

生きるのはつらいです。生きているだけで疲れます。
なので生きているだけでとても偉いです。
毎日規則正しく心臓を動かして、呼吸をして、ご飯を食べて、お風呂に入って、眠って。
みんなが当たり前にやっていることは、パニック障害や鬱になったら簡単にできません。
正常に心臓を動かせて、きちんと呼吸ができるのは素晴らしいです。
ご飯を食べて、お風呂に入れて、眠れるのはすごいです。

死んだほうが楽かもしれません。
いつかきっと良いことがある、生きていれば必ず報われる日がくる、なんて言う気はありません。無責任すぎるので。
でも、死んだところで誰も得しない。
死んだってむかつく奴らが不幸な目に遭うわけではない。

だから、絶対に自殺だけはしないほうがいいと私は思います。


いのちだいじに。

2020/07/12

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