不吉な足音

 かつてこの辺りにはある国が存在した。
 しかし決して覆らない階級制度や独裁政治によって支配されていたその国の民たちは、ただただその日を生き抜くことしかできなかった。
このままでは民たちは死に絶え、いずれこの国も滅びゆくと感じた駿屋陽伝(するやおきつぐ)は、その状況を打破すべく仲間たちとともに立ち上がりついには革命を成功させたのだった。
その革命ののちに建国された駿屋国(するやのくに)では王制が敷かれ、その玉座には駿屋家の者が就いたが、これまでの反省からその政治は決して独裁的なものではなく、また階級制が敷かれることもなかった。
その後も幾多の戦火を交えてきた駿屋国はその度に勝利を重ねて領土を拡大していき、今では世界有数の大国へと成長した。
 現国王である駿屋陽盧(−ひろ)も例外ではなく民衆も安心して暮らしていたが、歴代の王に比べると優しすぎるところがあった陽盧に対しては、内外からも度々反発の声が上がっていた。
 それゆえここ最近ではレジスタンスを名乗る集団による襲撃もあったが、百戦錬磨の駿屋国の敵ではなかった。
 
 付近での襲撃の噂を聞きつけた南方の防備に当たっている兵士たちの間には、今までにないほどの緊張感が走っていた。もちろんこれまでにも幾多の襲撃者を撃退したことがあったが、今回の襲撃者にはいくつかの留意すべき点があった。
 まずその襲撃者が、たった一人であったこと。
次に、その襲撃者はたった一人にも関わらず近隣の小国を一夜にして落としたこと。
そして極めつけは、今やその小国は文字通り跡形もなくなってしまったことであった。
 いつ始まるやもしれぬ襲撃に南方の兵士たちも慄いていたが、ある男の到着によりその空気は一変するのだった。
 ウツギの家紋があしらわれたマントを羽織ったその男こそ、《氷結の騎士長》の異名を持つ氷見氷志郎(ひみこおしろう)であった。

「氷見騎士長がなぜこちらに?」
 突然の《氷結の騎士長》の訪問に驚きを隠しきれない面々のためにそう尋ねたのはこの南方の責任者であり、この部隊の部隊長も務める木俣理心男(きまたりこお)だった。
「なんでも南方の方に現れた襲撃者が相当な手練だと聞いたものでね。要らぬお節介だったかな?」
 氷見は少し意地悪そうに答えた。
「いえそんなことは。むしろ心強いばかりです。」
「それならよかった。では早速状況の説明をしてもらってもいいかな?」
 縦に強く頷いた木俣は氷見に自らの能力である『木々の声』(グラスストーリー)を使って得た情報をなるべく詳細に伝えた。

 『木々の声』、木々や葉を操ることができるこの能力は森林で覆われた南方地域にはもってこいの能力だった。それゆえ木俣自身も南方の森林地域の部隊長が自らの天職と考え、日々職務を全うしていた。
 
 今回の襲撃についての説明を一通り聞いていた氷見が口を開いた。
「その小国は今はどうなっているんだ?」
「偵察に行った部下が言うには建物も人影も無く、一面歪な形をした岩で覆われているそうです。」
「歪な形の岩?」
「はい。まるで溶岩のようだと。」
「溶岩か……」
 氷見はここ最近暴れていると噂の指名手配犯の手配書と小国の状況を照らし合わせてみたが、結論が出ることはなかった。
 それから数日は大きな問題もなく取り越し苦労かと思われたが、とある日の夕刻、偵察に行っていた男からの連絡が事態を大きく変えた。
「氷見騎士長、よろしいでしょうか?」
「そんなに焦ってどうした?」
「実はつい先程、『木々の声』を通じて連絡が入ったのですが襲撃者がこちらに向かっているそうです。」
「緊急配置を敷こう。他に情報は?」
 木俣は首をゆっくり横に振りながら答えた。
「その連絡が最期でした。」
 氷見は俯いて唇を噛み締めることしか出来なかった。
 
 最終準備を整えた兵士たちが他にできるのはただただ襲撃を待つのみだった。
 まだ見ぬ敵の影、いつどこから襲ってくるともしれぬ恐怖、様々な感情に押しつぶされそうになりながら待つ兵士たち。そこにはよどんだ空気が充満していた。
「この刀を知っているか?」
 静寂を破ったのは自らの刀を高く掲げながら放った氷見のその言葉だった。
「これは名刀・凍餓(とうが)。」
 そこまで言ってから氷見が問いかける。
「名刀が何か説明出来る者は?」
 氷見のすぐ後ろにいた兵士たちの中でも一番ひ弱そうな男が手を上げる。
「名は?」
「宇鍛冶三和(うかじみつかず)と申します。」
「よし、言ってみろ。」
「名刀は普通の刀にはない特別な力を有した刀のことを指します。代々名家に伝わる刀もあり、氷見騎士長がお持ちの名刀・凍餓もそのひとつです。名刀はこの世に限られた数しか存在せず、それゆえ名刀百口(ひゃくふり)と呼ぶこともあります。」
「丁寧な解説をありがとう。今言ってくれたようにこの刀は我が氷見家に代々伝わる名刀百口の一つ、名刀・凍餓だ。まぁ今なお本当に百口の名刀が現存しているかは私にも分かりかねるがね。」
 ニヤリと言う表情を浮かべてから氷見は続ける。
「しかし一つだけ確実に分かっていることがある。」
 皆が固唾を飲んで氷見を見守る。
「この刀がある限り、我々は決して負けないということだ!」
 この力強い言葉を聞いて、先ほどまで恐怖に押しつぶされそうだった兵士たちが口々に吠えはじめた。
「むしろ私はこの名刀・凍餓と今から相対する襲撃者が可哀想でならないよ。時たま思うんだ。相手の刃に触れる前にその刃を凍り尽くして、まるでアイスキャンディーみたいにしてしまうだなんてズルすぎやしないか、ってね。」
 氷見がそう言い終わった頃には兵士たちのボルテージは最高潮を迎えていた。
「さてさてそんな無駄話をしていたらいつの間にか客人が到着されたようだ。」
 兵士たちが前を見ると月明かりに照らされた暗い林道を、腰に刀を携えた一人の男が歩いてくるのが見えた。
 灯りの届く範囲まで近づいてきた襲撃者を見て氷見が尋ねる。
「お前、篝(かがり)家の者か?」
 その言葉を聞いた襲撃者が足を止める。
「篝家と言ったら数年前に一族が皆殺しにされたはずでは?」
 木俣がそう尋ねる。
「そうだ。しかしあの右頬にある燃え盛る炎のような刺青。あれは篝家の者であるという証だ。」
「しかし私の記憶が正しければ確か生存者は一人もおらず、篝家の領地はまるで溶岩のように……」
 そこまで言いかけた木俣が口を止める。
「溶岩?そうだ、篝家だ。どこかで聞いた覚えはあったんだ。ということはまさか貴様、自らの一族を皆殺しにしたというのか!」
 氷見が激しい口調で襲撃者に問う。
「こんな所でバレてしまうとは。」
 襲撃者は低く小さな声でそう言った。
「ご名答だよ。今や俺が唯一の篝の血を引く者。篝中(−あたる)だ。」
「貴様、なぜそんなことを。」
「それをお前に言う必要は無い。」
「ならば聞き出すまで。」
 名刀・凍餓を構える氷見、しかしそれを止める声が。
「お待ちください!」
 声のする方にいたのは先ほど名刀について熱弁した宇鍛冶だった。
「なんだ、私のやり方に文句があるのか?」
「そうではありません。少しばかりおかしいのです。」
「おかしい、だと?」
「私の記憶が正しければ篝家に伝わる刀は名刀・焔摩(えんま)。あの刀も名刀百口の一つに数えられるほど立派な刀ですが周りを溶岩にするなど、そのような力は携えていません。」
 宇鍛冶がそう言い終わると篝は狂ったような笑い声を上げながら言った。
「まさかこんなところにこれほどまでの刀好きがいたとはな。その男の言うとおり、あの刀にはそんな芸当は出来ねえ。」
 篝は一息ついてから続ける。
「そこの刀好きに免じて冥土の土産に教えてやるよ。俺は新しい刀を手に入れ、世界が変わったんだ。」
「世界が変わった、だと?」
「そう、だから全部溶かしてやったのさ。家族も、家も、あの刀も。」
「名刀・焔摩をも溶かしたのか……」
「そうさ、この刀でな!」
 篝はおもむろに抜いた刀を見せつけながらそう言った。燃えるように輝くその刀を眺めながら篝が続ける。
「おい刀好き、この刀を知ってるか?」
「いやそんな、まさか。」
 宇鍛治が震えた声でそう言った。
「教えてやれよ。」
 篝のその声を聞いて氷見も強く頷く。
「あれは、この世に幾つとない二つ名持ちの刀の一つ、溶刀・熾姫(ようとう おりひめ)。」
「大正解。」
 篝はいやらしい笑みを浮かべながらそう呟く。
「でも二つ名持ちの刀なんて、そんなの御伽噺の話じゃないのか?」
 木俣のその問いに宇鍛冶が答える。
「私も今まではそう思っていました。名刀百口を凌ぐと言われている二つ名持ちの刀など伝説に過ぎないと。しかし今私たちの目の前にあるのは紛うことなき溶刀・熾姫。」
 宇鍛冶のその言葉を聞いた南方の兵士たちはさっきまでの威勢はどこへやら、すっかり意気消沈してしまっていた。しかし一人だけ諦めない者がいた。
 《氷結の騎士長》、氷見氷志郎だ。
「御伽噺など所詮は御伽噺。伝説もたかだか伝説にすぎん。私も敵対した小国を一晩で、それもたった一人っきりで凍らせたという逸話が出回っているがいくら私でもそんな芸当はできん。」
 そして氷見は名刀・凍餓を構え、篝の方へ足を進めながら言った。
「さすがに一日はかかったよ。」
 そう言い終わった途端氷見は加速し、篝に向けてその刃を振り下ろした。反応が遅れた篝は不利な体勢でその一撃を受け止めるしか無かった。その光景を見て誰もが氷見の勝利を確信する。
 激しい音とともに二つの剣の温度差で、辺り一面が水蒸気で覆われた。
少しずつ晴れていく水蒸気、勝利を確信した兵士たち。
しかしそこに拡がっていたのは、刃を失った刀の柄を持つ氷見と勝ち誇った顔で刀を振り上げる篝だった。
 愕然とする氷見、そして呟く。
「何が、起きた。」
「何?至って単純なことさ。お前の刀は溶けちまった。春先の雪だるまみたいにな。」
 そう言い終わるや否や、篝の刃が氷見を貫く。氷見は刺されて少しの間はまだ意識を保っていたが、すぐにその全身が溶岩のようになり絶命した。
「さて、それじゃあ俺は一晩でここを潰してやるよ。」
 篝はそれだけ言うと刀を振り下ろした。
 
 木俣が最後の力を振り絞って届けた《木々の声》による伝言が王の元に届いたのは次の早朝のことであった。
 『ナンポウニシュウゲキシャアリ。ヒミキシチョウセンシ。』
 たったこれだけのメッセージで誰もがその襲撃者の恐ろしさを感じ取ることができた。
 それからすぐに国王の命の元、南方への迎撃部隊が送られたが、駿屋国の崩壊は既に始まっていた。

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