母のことから気づいたこと。

昨日のつづき。

母が鬱を患ってからの20年超、私は母を全肯定してきた。優しく大事に、母を傷つけないように、母が嫌がるようなことは言わずに良い子どもであり、母にとって良い理解者でいたいと思っていた。

これをやめようと努力しているところ。

なんで急にそう思ったのか。

①母は薬を決められた通りに飲んでいない(過剰に飲んで足りなくなっている)
②お医者さんに気を使って、自分の体について母は医師に正確な状態を伝えていない(平気なふりをする)
③だけど家族には(特に私に対しては)、体調の悪さやツラさをいつも言っている

22年に渡って母の鬱と付き合っているから、③に関しては別に良いというか、たいした問題じゃない。ツライって言ってくれていい。

ただ、母と一緒にいる父も、今回は相当ストレスが溜まっている感じだった。母が動けない分、家事は父が全てやってくれている。
ちなみに父は、母の状態を仕方ないと思いつつも「甘え」だと本人にも言っちゃうこともあるし、基本的に昔から母の話を聞きたがらない。

だからこれまでずっと、私が母をフォローする役割だった。私が母を守らないと(母を全肯定しないと)いけないと勝手に思い込んでいた。

でも今回、①②についてはやっぱり母がダメだというか、母の体のことを思うと「うん、いいよ」とはならない。絶対。

それに、父も相当頑張っている。

私はこれまで母を責めるということは絶対にしてこなかったのだけど、今回は少々キレた。キレたというか、淡々と伝えた。

お医者さんに気を使って自分の状態が伝えられないと、お母さんの具合はもっと悪くなるし、家族も大変になる。

普段支えてくれる家族には気を使わずにツライと言って(もちろん言ってくれていいのだけど)、先生に気を使って平気なフリをするのは意味がわからない。

(とはいえもちろん、母の性格を考えるとわからなくもないのだけど)

お母さんが大事にするべきは自分と家族。
そうじゃないと、家族のみんなももたない。


これは本当のことだ。もちろん、家族には思う存分頼ってくれていい。ただ、母が自分の状態を医師に正しく伝えることを放棄するということは、母が自分自身も家族も傷つけているということだと理解してほしかった。

私もなんだか疲れてしまって、それ以来、電話で話すときに無理に明るくふるまわなくなったり、ダメなものはダメだと言うようになった。

そうしたら、父が変わった。
これまで母のことを責めるような態度をとっていたのに、母に対して優しくなった。

そして母も、父に対して安心しているような雰囲気になった。

私が無理して頑張るほど(私が母をフォローするほど)、父の母に対するイラ立ちは積み重なり、それによって母は余計に、父よりも私を心の寄り所にするようになったのかもしれない。(もちろん、それぞれの性格もあるけども)

私が20年超に渡って多少の無理をしてきたことは、無駄ではなかっただろうけど。でも、自分が良かれと思ってやってきたことで、思ってもいない悪影響もあったんだろうな。ということに気づいた話。

無理した結果、エネルギーのバランスが崩れるというか。

必死で母を守らねばと思い込んで私がやってきた22年は、もしかしたら母のことも父のことも、兄のことも自分のことも余計に傷つけた期間だったのかもしれないなと。

そんなこんなで、自分が無理をせずにナチュラルでいることが、結局のところ、自分のこともまわりのことも幸せにするのよね。

なんてことを思った話。読んでくれてありがとう。




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