私解体書

自営業と主婦(子なし)の両立。 完全に人生の折り返し地点を過ぎた50代。 暮らしの記録…

私解体書

自営業と主婦(子なし)の両立。 完全に人生の折り返し地点を過ぎた50代。 暮らしの記録と ここだから見つめられる考えや感情。 今だから知りたくなった自分の事。

最近の記事

【無い】っていいやん。

足るを知る。 勿論、大事だと思う。 で 無いを知る。 のもいいと思う。 【無い】を知る事からはじまるのは 自戒や 自責ではなくて 《誰かと繋がる歓び》 なんとなく 甘えが許されない と思い込んでいる世界から 飛び出す!誰かと 何かと 自分の持ってるもの 自分の持っていないものを 交換し合うのは それって なんて言うか いいやん? いいやん! 自分に無いものを 持つ人に学んだり、助けてもらって 私もまた 僅かばかりに持っているものを 誰かに気持ちよく渡して

    • ジェットコースターメンタル。

      ものすごーーーくやる気な日。 やる気が急降下する日。 やる気が目覚めることなく1日が終わる日。 生まれ持った気質なのか 育ちのせいなのか 分からないけれど 元々ジェットコースターなところはある気がする。 にしても異常。 更年期って、やっぱ、なんか、すごい。 何にも悲しい事なんかないのに うすら悲しいベールがかかって 物思いにふけったりなんかする。 かと思えば アレもコレもと作ったり、片付けたり、 鼻歌歌ったりして、、、 我ながらコワイ。 平均的にやってきた私の更年

      • 多分、最初は。

        小さな小さな違和感だったと思う。 自分なりの何か、、、 思いやりみたいな? 優しさみたいな? 愛って言うか、、、 いや、、、 もしかしたら 何かが変わってしまわないように 僅かでも波が立たないようにって言う 怖さからかもしれない。 とにかく 何かしらの理由を持ち出して 飲み込んだもの。 「これくらいなら平気」 って 何度か繰り返して 小さな痛みに慣れてしまった。 でも 慣れた ってだけで 痛みが無くなった訳じゃない。 違和感は何処までいっても違和感でしかないし 痛

        • 今じゃなくていい、なんて言ってらんない。

          焦らなくていい。 出来る時でいい。 頑張らなくていい。 いや、ホント、それ。 無理すれば それだけ 色んな支障が出たりして 余計に大変な事になったりする。 【急がば回れ】 でしょ。 ホント、そう。 そうなんだけど。 でもさ、 いつ出来るんだろう。 とも考える。 どうしても無理な時や事はやらないけど 出来るかもしれないとか やりたいとか そうしたものが少しでもくすぶるなら ちょっとだけでもやろうかな、なんて。 年齢で寿命は語れないけど 私の場合、 平均寿命を折

        【無い】っていいやん。

          共感

          同棲時代に現オットと大げんかになった時に 「私の立場に立ってみてよ!」 と言ったら 「俺は◯ちゃんじゃないから、立てない」 と言われた事がある。 目から鱗である。 【えーーー。え?(心の声)】 その時、私は完全に覚醒しましたね。 共感とか理解を 当たり前に得られると思っていたら きっと ずっと キツイって事に。 【共感】 共感力って大事で 誰かの気持ちに寄り添うのって素晴らしい事。 それはそう。 出来ないより出来た方がいいように思う。 だけどさ 実際には そこに近

          子供がいない私達。

          オットとは7年程の同棲を経て色々あって 結局結婚した。 妊娠適齢期と呼ばれる期間の終盤に 差し掛かっていたけれど 二人とも人間をつくっていく根性に自信がなかったり 経済力にも不安があったりとかとか 色んな言い訳みたいなものを集めてばかりで 「親になりたい!」 と考える機会を持たないまま 私が特発性血小板減少性紫斑病(ITP)と言う病気を 患ってしまった。 ITPは妊娠や出産が出来ない病気ではないけれど 妊娠が血小板減少に繋がる事や 妊娠出産に伴う出血が多くなる可能性がある事

          子供がいない私達。

          湯に溶ける。

          首までお湯に使って ボーっと浴室の天井を見上げる。 白く柔らかなグラデーションを描きながら 線になったり 渦を巻いたりして立ち上がり やがては色を消し見えなくなっていく 湯気を ただ 見つめる。 目を閉じて ただ 居れば 私の 見える部分も 見えない部分も 全て 湯に流れ込み 湯気になって消えていくようで まるで 存在しないみたいだ。 ああ、もう少し 何者でも無い その「無」を 感じていよう。 扉を開けたら パンツと 服と 肩書きを着て また 存在するんだから。

          湯に溶ける。

          ただ「気付く」って難しい。

          毎日 色んなことを 考えたり 感じたりする。 そして すかさず 良いとか 悪いとか 考えや感じた事への評価が始まる。 ただ感じる とか ただ気付く とかの 何と難しい事よ。 自分なのに 自分の声がうまく聴き取れないなんて。 良いとか悪いとか ホントウハナイコト に揺れる 私の中の針。 今年は もう少し 自分の声を拾って ただ拾ってあげよう。 「あー、そうかー」 くらいの気楽さを味わってみよう。 そーゆーお年頃のせいで そうでなくても 色々と揺れたり、過敏になっ

          ただ「気付く」って難しい。

          もう楽に生きたい。

          自分の圏内ですら 「これってダイジョブ?」 って アレやコレや よめるはずもない空気を よんでる気になって アタフタするのに 今は 手のひらの上で 指を動かすだけで 沢山の価値観の中にダイブする事が出来て 沢山の「正解」を知る豊かさと同じだけ 苦しさみたいなものも感じる事が出来て あるはずもない正解に アタフタしてしまう。 あー! もう やめだやめだ‼︎ 何やってんだよ。 誰からも求められてもいないのに 色んな事考えて 窮屈に生きるのなんて もうやめよう。 こちとら

          もう楽に生きたい。

          ありのままのあなたでいいって言われても、、、ねぇ。

          「自分のままでいいんだよ」 「ありのままでいいんだよ」 優しいなぁ。 有難いなぁ。 って思います。 だけど その 「まま」が分からないのですよ。 どれが私の「まま」なのか? 或いは どれもが私の「まま」なのか? 自分が分からないのだから 人から 「ままでいいよ」と言ってもらえても しっくりこない。 自分の全部が許せるようで 自分の全部が許せない。 自分の全部が全部か分からない。 はー。 だから 書く。 頭に 心に 出てくる全てを。 誰かや何かを見て 感じ、考

          ありのままのあなたでいいって言われても、、、ねぇ。

          何かにモヤモヤしている。

          何にモヤモヤしているのか? モヤモヤしているその最中は、その原因について 知る余裕も気力もなく、ただただ得体の知れないモヤモヤの中で息をする。 それでいいと思うし それしか出来ない。 それでも 私の場合 【何か分からないモノ】と長い時間を共にするのは、まあまあエネルギーを使うので 「そろそろイケる」 と身体だか、心だか、脳だかが 気付いた時に ノートを開く。 私の中に渦巻くまだ名の無いモノ達を ひとつひとつ呼び出すように文字にする。 紙の上に乱雑に広がるのは 脳みそ

          何かにモヤモヤしている。

          どんな過去でも癒えるだと⁈

          何を知ってて、そんな事言えるんだ? どんな体験して、そんな事言えるんだ? 例え 似たような体験の持ち主だとしても 心のアリヨウは ひとりひとりみんな違うのに。 あなたに出来た事が 誰にでも出来るなんて大間違いだ。 抱えた傷をいつまでも放さずにいる事は 自分を苦しめるだけだって 自分以外はみーんな前に進んでるって 傷を与えた方はとっくに忘れてしまっているって 去った人は 去ったモノはもうかえって来ないって 失ったモノはもう戻らないって 知ってる。 全部分かってる。 それで

          どんな過去でも癒えるだと⁈

          何故、強くないといけないんだ? 何故、あなたと同じでなくてはならないんだ?

          何故、強くないといけないんだ? 何故、あなたと同じでなくてはならないんだ?

          母親の死、私の進む道。

          私が見ている世界が どうやって 私の目の前に立ち上がっているのか もっと知りたい。 そう思った日から始まった長い実験の日々の中で つい最近の大きな分かれ道の話。 長いこと母とは反りが合わなかった。 仲が悪いと言うのでは無いし 互いの愛情をそれぞれ感じてはいたけれど あまりに違う価値観にお互い戸惑い合って、 うまく距離感が取れない親子関係だった。 なかなか距離が縮まらない もどかしさのような 切なさのような、、、 薄〜いのに決してその先には進めないベールがあるような感じ。

          母親の死、私の進む道。

          毎日は同じか?

          昨日とさほど変わらない今日。 何か違っているだろうか? 何が違っているだろうか? 日常の行動のあれやこれ。 誰かとの会話のあれやこれ。 何かや誰かに対する印象のあれやこれ。 何故、「同じように」過ぎていくのか? 何故、また繰り返すのか? いつの間にか 感じ方や考え方が固定化されていないだろうか? 今、絶対的に信じているモノは 果たして 絶対的に信じるに値するモノだろうか? 正義だと疑わないモノは 本当に唯一無二の正義だろうか? 当たり前を変えた時 自分の癖に気付いた時

          毎日は同じか?