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おかえり・母さん

おかえり、おかあさん

2023年、10月6日に、
S大学医学部主催の慰霊祭に
私たち家族は、参列した。
2年前の7月に亡くなった母が
S大学医学部へ献体していたからだ。

亡くなる4年前の2017年11月、
まだ認知症の進行が緩やかな段階の時
母は、県内にあるS大学の医学部に
献体の意思表明し、手続きを終えていた。

そのころの母は、
なぜ死ななかったのが理解できない、
と医師から告げられるほどの
脳幹脳梗塞の状態から
すこしずつ回復し、
再発に気を付けながら、リハビリを続け、
デイーサービスに通いながら
自宅で父と二人暮らしをしていた。
近所に住む私も、一日に一度は顔をだして
何かとサポートはしていた。

献体申請の手続きを
ひっそりと母が行っていたそのひと月後の12月、
年末も年末の12月30日に
自宅内で転倒をしたことがきっかけで
硬膜下血腫となり・・・
母の状態・症状は、急変した。
母は一時は危篤となり、
覚悟をせざる得ない状況になって
はじめて、私たち家族は、
献体に関する書類を熟読した。
そこではじめて
2,3年遺骨が帰ってこないと知った。
家族の中には、
その事実がショックだったのだろう。
「もし、もしこのまま母が
 亡くなってしまうのであれば
献体をやめてもいいのでは?」
という声もあった。
だが結局、私たち家族は話し合い
やはり、母が決めたことを尊重しようと、
意思統一できたことは
本当に良かったと改めて思う。



慰霊祭は
コロナ禍だったこともあり
実に4年ぶりの開催だったという。


母と同じように献体をされた方
290名。
その中の34名
お一人お一人の名前が呼ばれ
その遺骨が遺族に戻された。

どんな人生を送り
どんなきっかけで献体を知り、
そして献体をしようと
思うようになったのか?
知ることはできないが、
私は、一度もお会いしたことが
ないけれど、
母と同じ選択をした方々に対し
深い尊敬の念を抱いていた。

壇上の献体者一覧の中に、
母の名前を見つける。
前から9列目の席からでも
不思議と
そこだけ光があたっているように感じる

おかあさん、と心で母を呼ぶ。
おかあさんの強い意思・尊い想い、
やりきったね。
さすがだね、と思う。

私は、
母の死後、
本人が献体を希望しながら
どこかで迷っていると吐露していた
母の日記を思い出していた。


慰霊祭の中で
病理学研究室の学生の挨拶があった。

「ご遺体に面と向かってお会いしたとき
話しかけ、まるで会話をしていたような
気持ちにもなっていた」
解剖という特殊な出会い方ではあったが
ご遺体への溢れる感謝の気持ちを
伝えてくれた。

私は、その学生の声を聴きながら
母がその場にいた気がして
彼らときっと会話をして
そして、もしかしたら
にっこりとしていたのではないか、とさえ
想像してしまった。

母は、人の役に立ちたい
その気持ちで生きた人だ。
死後もなお、自分の思いを貫いた。
そのことがとても誇らしい。
清々しい気持ちさえしている。

2年7か月ぶりに
家に帰るよ。帰れるよ。
長い出張だったね、と父は言った。


おかえり
おかあさん。




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