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鮨食いねぇ

先日、髪をバッサリと切ってしまい、うなじの辺りが寒く感じております。
その先日の事、約10ヶ月ぶりに髪を短くした記念とお彼岸前に鮨を食べたくなったので自分で作る事に致しました。
それも江戸時代の文献を參考に當時食べられていた鮨を可能な限り再現してみる事に致しました。

日常の些細な事を記念にしておき何か特別な事に挑戰してみるのが樂しいお一人様を満喫する一つの方法でございます。

まず當時の鮨は今の様な高級品ではなく、寧ろ今日で言うところの「ファストフード」の性格が強い食品であった様でございます。
江戸の町には鮨の屋台が数多く存在し、そこに並べられたお好みのネタをつまんで仕事に出るのが江戸っ子のライフスタイルだとか何とか…。
イマドキで言えば、さしずめハンバーガーをお持ち帰りで賈って公園等で食べて慌ただしい朝やお昼を濟ます様なものでございましょう。

そしてその大きさも現在の寿司とは比べ物にならない程に大きく、シャリが握り拳1つ分位あります。
そのまゝでは食べ難いので2つした名残が現在の寿司の1貫と云った説があるらしいのです(他にも諸説あります)

ネタも異なっており、保存性を向上させる為に漬けにしたり酢で〆たりしています。ワサビも殺菌作用の為に用いられているのが始まりです。
今の様に冷蔵庫の無い時代ですのでその工夫は科學的見地を含めて考えても當時の人達が熟知していた事は凄い事なのです。

…余談ですが、今日よくカウンター等に設置されている寿司ネタの見える硝子貼りの冷蔵庫は国鉄が急行電車のビュッフェで提供する際に特注で作らせたのが始まりだとも言われております。

そして基本的に醤油を付けずに食べるのが江戸時代の食べ方であったらしいのです。


以上の点を踏まえて作ってみる事に致しました。

マグロの切り身を漬けにします

つゆの素に漬けて一昼夜冷蔵庫で寝かせます。

今はおかげさまで刺身も手に入り易くなりました。
かの国に輸出するのはもう止めにして、その分をもっと日本で消費する様にすれば我々はもっと幸せになれるのではと思っております。
でも、偉い人にはそれが解らんのです。

〆鯖を用意

〆鯖はスーパーマーケットで出來合いの物を賈いましたが、今回はこの漬けと〆の2種類の鮨を作ってみます。

鮨飯用のお酢

鮨飯には穀物酢ではなく酒粕で作った赤酢を用います。
従って江戸時代の鮨のシャリは今よりも赤みがかっていたのです。
しかし今回はどうしても手に入らなかったのでこの高級米酢で代用します。
炊きあがったご飯にこのお酢と砂糖、塩、そして隠し味にだしの素を少々加えて鮨飯を作っていきます。

鮨飯作りの必需品

クウラ様を描いた手作りの團扇が活躍します。
やはり鮨飯はこれで扇いで冷ますのが一番です。

ちなみに裏面には「凍てつくギャグ」がビッシリと書かれていますが、とても寒いのでお見せ出來ません。
この團扇の出す「凍える冷気」はマヒャド級の威力があるのです。

シャリにワサビを

漬けにしたマグロを乗せて握っていきます。勿論ワサビも一緒です。
シャリが大きいので、やゝ力を入れて固めに仕上げていきます。さもないと崩れてしまったり、ネタが巧く乗らないのです。
その大きさから寿司と言うよりおにぎりを握っている様な感覺です。

出來上がり

一つ一つがとても大きいのでボリュームたっぷりです。
これでご飯3合を使っています。
ついでにナッパのお浸しと銀杏を用意して日本酒と一緒に戴きます。

江戸の町人氣分で

當時の江戸っ子の食生活に思いを馳せて戴きます。
江戸時代は江戸前のネタが豊富にあり、魚もさぞ旨かろうと存じます。

なるほど、この大きさですから1貫でもう御腹一杯であります。
残りは冷蔵庫に入れて次の日の朝食になりました。

イマドキは寿司も貧相な物か贅澤な物かの二極化が著しく思える様でございますが、そんな中で原点に立ち返ったかの様な意義のある「江戸時代の鮨」でございました。

なんたって東京生まれの東京育ちですから、ハレの日に鮨は欠かせません。

…尚、私は本郷より外れた地域に住んでいるので厳密には江戸っ子ではありませんが、日本人として「本場の鮨」を嗜むのもまた大切な事かと存じます。
今後も更に研究を重ね、江戸時代に食されていた物を可能な限り再現していきたく存じます。

「食後のデザート」も忘れずに…

さてお彼岸も中日を迎えて昼間には、ぼた餅を一氣に3つも食べてしまった私は「強力わかもと」を飲んで明日に備えるのでありました。

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