LGBT(同性愛)という最も恵まれた変態性癖を持つ人々
恋愛、性向は自由であるべきだ。
私はそう思う。
何人たりとも、その性癖を持つことに負い目を持つべきではない。持つ必要のない世の中になって欲しいとも思う。
それ故に、私は同性愛者に批判的な意見は持っていない。
ただ、社会で認められていない、
その他の様々な変態性癖を持つ者(例えば、幼児性愛やポリアモリー)が犯罪者や犯罪者に準ずる扱いを受けているのを目に付け、
私はこう思うのだ、この人達恵まれ過ぎじゃね?と。
お見合いパーティ、合コン、出会い系など、
露骨に後のセックスを期待させる様な出会いの場を除くと、
社会や学校、その他出会いを第一目的としない
自然な出会いの場では、しばしば同性でくくられて活動する事が多い。
異性に囲まれていると
それが不可抗力でモテているだけであっても、
必ず嫉妬なりを生み、少なくないイヤな視線を浴びる事となる。
男子校、女子校の様に公然と同性である事によって区別される場すら、結構頻繁に存在する。
所謂、異性愛者よりも、質のいい恋愛対象と自然に障害なく仲良くなる機会も豊富なのである。
統計データを覗くと同性愛者は10人に1人程度いると言われている。
恋愛リアリティショーの様に半分芸能活動を行っている様な魅力的な異性を、
ある程度ゾーニングして連れてきて、その中から選ばせるのでなければ、
10人の女性を、私の前に本当に無作為に連れて来られても、全員恋愛対象に入らない可能性は多いにあるだろう。
そういった様々なファクターを見ても、同性愛者が異性愛者と比較して本当に出会いに苦労しているのか疑問でしかない。
今回は、同性愛者と超スタンダードな異性愛者での比較だからこそ、そんなことはない不利益を受けているという意見もあるかもしれない。
だが、前述した様に異性愛者としてくくられていても、様々なセクシャルマイノリティの人達がいる。
幼児性愛者が幼児と自然に出会える可能性は10%より高いだろうか?
仮に出会えたとしても、その恋を社会は応援してくれるだろうか?
浮気性(ポリアモリー)であることがセクシャルマイノリティとして市民権を得ているだろうか?
複数の異性と自然に恋愛する事は、同性愛者の恋愛と比較してハードルが低いだろうか?
よく問題視される婚姻の問題でも、両者のハードルは同性愛者より余程高く感じる。
例がバイアスを生みそうなものばかりなので、
もっと簡単にしよう。
なんなら壁にしか性的に欲情しない人は、
壁との結婚を役所に認めてはもらえないし、
異性愛者でもないし、性自認をもっているかすら疑問があり、社会的に同性愛者の様に性的趣向を尊重しては貰えてはいないだろう。
全ての性的趣向は尊重されるべきという理念に私は賛成だが、
同性愛者より自然な性癖を持つ異性愛者(幼児性愛やポリアモリー)、
同性愛者より害のない性自認のおかしな者(壁が好きな人)達など、
様々なより自然で害のない性的趣向が、
まず市民権を得たときに、
初めて同性愛者の問題に取り掛かっても決して遅くはないだろうと私は思う。
※(2022/2/27追記)
現在実際にLGBTにQ+をつけて語ることが増えて市民権を得た特定の変態間のパワーゲームからもっと大きなジェンダー問題に移り変わってきていて、当時語っていたことが今日ちゃんと問題視されているようです。
過激だと言ってた人達は物事の本質を見れるよう反省していただけると幸いです。
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