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音楽よもやま話-第10回 ポルノグラフィティ- 誰かが手を握ってくれる

オフィスビルに一つ残る

このままじゃ何者にもなれなさそうだぞ、と目の前のパソコンの液晶画面に映る、数字や文字の羅列を眺めながら僕は思った。僕はため息をつき、ネクタイを緩め、少し背伸びをした。それからネジをゆっくり回すみたいに右肩を回し、左肩を回した。椅子から立ち上がり、右側の疲れ切った筋肉をほぐし、そして左側の筋肉をほぐした。天秤に分銅を載せて左右のバランスをとるように。それで幾分身体のこわばりみたいなものはほぐれ、左右のバランスも良くなった。ところが、気持ちの天秤はずっと片方に傾いたままだ。数々の上手くいかない重たい現実が右側に積み重なっている。
気持ちの天秤を水平に保つには、現実に相応する重さの何かを左側に置かなければならない。その何かが天使の羽よりも軽くて粉雪みたいにふわふわしていようと、それならたくさん沢山載っければいい。
だから僕はポケットからスマホを取り出し、フォルダを開いて過去の写真を探った。
なんだか卒業アルバムの写真を見返すのと似ているな、なんて思いながら。


この日 この時 この想い

ライブに行く度に僕は写真を収めている。写真を撮るのは下手だ。機種変をしたから時系列なんてバラバラになってしまっている。
記憶の糸を手繰り寄せて、思い出を結び付けていく。そして撮ってもない写真もライブに関係のない思い出でさえも、瞼の裏側から引っ張り出してはそこに結び付けていく。
これは、あの日だ。あの時だ。ここはあそこだ、あの場所だ、などとブツブツ呟きながら。

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兄に連れられて初めて参戦した『ポルノグラフィティがやってきた』。爆音で心と身体が揺さぶられた。

文化公園でアコースティックギターを持って弾き語りストリートライブした日? 観客はバンドメンバーだけだったじゃない? それでも『サボテン』はあの灰色の空に響いたよな? 

かび臭いスタジオにみんなで入って、『メリッサ』の練習をしたんだ。楽しくなって気づいたら皆ぴょんんぴょん跳ねていた。舞う埃に光が反射して妙に綺麗だった。

『EXIT』のCDを貸したら、ケースが少し割れていたけれどなぜか怒らなかったよね? 恋は盲目すぎるんだからまったく。怒ってよかったと思うよ。

君が大学進学を機に、札幌に出た理由の一つは、大都市なら必ずツアーで回ってくれるだろうという期待があったからだよね。

初めて自分自身で手に入れたチケット。「当選しました」っていうLove e-mail fromポルノグラフィティ。なーんて素敵ね。

マリンメッセの波止場のバス停で雨宿りをしながら話し込んだあの日? バッタみたいに目を細めて何を話したんだっけ?

横浜スタジアムの向こうの空に、二つの虹が重なったあの日? みんなが一斉に空を指さす。そこに天気職人の影を見たんだよね?

中止の悲報を聞きながら、ライブ会場のある山まで登ったあの日? 雨で靴が濡れるのは嫌だと言って、前の夜に買っておいたビーチサンダル。指の間に挟まった折古浜の午前中の砂は、坂道を流れる雨水にするする溶けていったよね? 「彼らの誇るお好み焼きでも食べよう」なんて言いながら尾道の街を散策したね。

新幹線で横浜アリーナへの到着がギリギリになる友達のために、タオル買っておいたよね? 高校卒業ぶりに会える口実にもなったじゃない。

好きな女の子と一緒に見ることができた嬉しさから、言葉数少なくなった秋の高い空? 

ライブ後のラーメン屋で、麺が伸びていくのも気にせず語り合った『ネオメロドラマティック』の奥深さとか。

ハロウィンの日の宅飲み、それとなく『Zombies are standing out』を流したり。後輩がそれに気づいて褒めてくれたじゃないか。

チケットを無くして悲しみながらもエアポートで空港に向かった。その車窓から見えた冬景色だとか? その後、運よくチケットを手に入れて見ることが出来た。

下北沢を3人で散策して『VS』のミュージックビデオの再現をしたあの夏の日?

ひさしぶりに再会できた嬉しさのあまり、人目も気にせずハグした東京ドームの22番ゲート? 『アゲハ蝶』の合唱で涙を流したろう?

親友の結婚式に流れる『グラヴィティ』『ヴィンテージ』『My wedding song』『ラビュー・ラビュー』『愛が呼ぶほうへ』。近くで愛が見てくれている、そういう感覚があったね。

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今日も駆け抜けていくよ

思い出が数珠つなぎみたいに繋がっていく。
彼らは僕を、随分と遠いところまで連れて行ってくれた。こんなに長い間傍にいてくれた。そして今でも手に取って観察できるくらいに鮮明な思い出が、こんなにもたくさんあることに嬉しくなった。僕はそれを左側の天秤に載せた。すると、狙い通りそれは水平になるのだ。


それから僕は叶えられなかった夢のことを想わないわけにはいかなかった。果たされない約束のことを想わないわけにはいかなかった。失われた希望のことを想わないわけにはいかなかった。そのたびに転げて痛めた膝を、抱えるわけにもいかないから優しくさすった。バカバカしい願いが叶わなくてくじけた夜だって数知れない。
そういえば俺は晴一さんになりたかったんだよなと思い返した。蛍光灯のスイッチひもが、空調に揺れているのを眺めながら、小僧の頃イメージした幻想をほくそ笑んだ。髪型をアシンメトリーにし、赤いチェックのアウターとジーンズを着て。髭を伸ばしたり、葉巻を吸ってみたり、詩を100編書いてみたり。レスポールタイプのギターを掻き鳴らしたり、クラプトンを聞いたり、村上春樹を読んだり。

叶えられなかった夢や果たされないままの約束は、いまや現実という重々しい響きを伴って右側の天秤に乗っかっている。言い訳やお金や境遇や、連鎖していく悪条件なんやかんやを纏ったそれが、気持ちを時々傾かせてきたのだ。

ありのまま 君のままでいいんじゃない

と彼らは歌う。ネガティブもポジティブも、前を向いて歩きだしたことも世の中の理不尽に立ち向かったことも、そこから逃げたことも隠れたことも、その全て僕自身なのだという全肯定だった。
そしてまた彼らは、ポルノグラフィティになれなかった幼い頃の僕自身を不思議な角度から優しく肯定してくれた。あたたかい毛布を被せてくれるように。

20年という時間、我々ポルノに力をくれてありがとうございました。
我々ポルノというのは僕らと君のことです。 晴一

あの9月8日の東京ドーム、発射された金テープを掴んでそのメッセージを読んだ時、ふふっと僕は笑った。あの少年よ、君はポルノになれたよ。

皆さんはポルノグラフィティのファンで良かったですか?僕もポルノグラフィティやってきて、良かったです!

と昭仁さんが叫ぶ。
ポルノグラフィティはメンバーとスタッフとファンが手を繋いだ大きな輪っかみたいな存在なのかもしれない。また、僕らが繋いできた思い出の真ん中から、音楽が奏でられているのが聞こえたのなら、それはポルノグラフィティなのかもしれない。いずれにせよ、心の内側にも外側にも、記憶の隅にも中心にも彼らと、彼らの音楽と、それから出会ってきた人々がいるのだと思う。

何はともあれ、僕はあいかわず僕でいるしかないと思う。このまま、何者にもなれなさそうだぞ、と爪を噛んだとして、その数時間後にはありのままでいようじゃないか、と爪を研ぐのだ。

誰かの手を握っていられる

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それで、僕がくじけたとき、手を握ってくれていたのは? 僕は左側の天秤のたくさんの思い出についてもう一度つぶさに観察した。友人、家族、愛犬、ポルノグラフィティ、いつも誰かが手を握ってくれていた。重ねた手の甲に一雫の涙が落ちて、そこに歪な水溜まりを作ったこともあったろう? ずいぶんと不格好に見えたけれどその重ねた手は、スタジアムの空にかかった二つの虹を想わせてくれる。あれは最高の天気だった。

空いた右手をじっくりと見つめ、それを誰に差し出せるだろうかと期待している。
おそらくは僕もまた、誰かの手を握っていられる。


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