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イエスからはじめよ(イエスマンについての考察)

サラリーマン時代、とりあえず役員や上司の指示・命令には何も考えずに「イエス!」と応えていた。晩年は、まだ指示が降りてこないうちに、食い気味で「ぃやりまっせ!」と言っていた。さぞ奇妙な存在だったと思う。

世にいう「イエスマン」という人種になるだろうか。

イエスマンの定義を調べると「上司や他人の意見に無批判に同調して、自分の意見や感情を押し殺す人」を指す、とある。
個性や自立心の欠如のあらわれであり、当然よい意味では使われない。

過去の自分を正当化したいわけではないが、イエスマンは絶対悪ではないと思う。相手や場面によっては、安全かつ妥当なふるまいにもなる。

「イシューからはじめよ」という書籍があった。この記事では「イエスからはじめよ」と題して、いくつか理由を挙げてみたいと思う。

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①相手のストレスを和らげる効果がある

「イエスバッド法」というコミュニケーション話法がある。反対の意見を述べる場合でも、一言目に「はい(イエス)」と添えてから「しかし(バッド)」と展開した方が、相手が聞く耳を持ってくれる。

職場のコミュニケーションは、わりと繊細なものである。

他人から自分の意見を拒絶されることを極度に怖がる人がいる。「拒絶感受性の強い人」と言う。そういう人は相手が後輩だろうが部下だろうが、内心ハラハラしながら指示・命令を下している。(ぼく自身がそうだった)

まずは相手のストレスを和らげるため、「イエス」から会話をはじめた方が得策な場合がある。

②経営者たちはスピード感が常人と違う

経営者や役員など、一定の層にいる人たちはスピード感が違う。常軌を逸している。時間の大切さを知っているのである。

経営者からの指示・命令には、基本的に「イエス」と返した方がいい。

もし、指示・命令を処理できないとしても、「こんな指令が降ってきたんですよォ……」と周囲に助けを乞うといい。虎の威を借る態度ではなく、心の底からSOSを発すれば、偉い人の指示ということもあって協力してくれる。

また、経営者はスピード感を重要視しているので、人を見限るのも早い。
「こいつ、時間の大切さをわかってないな」と思われたら、評価が急落する危険性もある。身を守るためにも、第一声には気をつけた方がよい。

③無理と思っても、着手したら意外とやれてしまう

最初はこう思うかもしれない。「自分にはこの仕事はできない。無理!」。でも、着手したら、たいていの仕事は意外とやれてしまうものである。

「できない」のではなく「できない……かどうか自分でわからない」のだ。

役員とか上司の判断能力が残念なら別だけど、指示・命令する側も、仕事を完遂できる人に任せるもの。指示に従わないことは「私はアンタの判断力を信じていませんぜ」と暗に表明する行為でもある。

まずは「イエス!」と言ってみて、早急に仕事に取りかかるとよい。

もし万策を尽くしても完遂できないなら、上司に援助や助言を求めるとよい。それでも無理ならば、仕事を振った上司の責任だと開き直ればよい。

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以上のことから、イエスからはじめる態度には、一定の妥当性があると思われる。

もちろん、倫理に背く行為、不正への関与、道義にもとるような言動の強制、誰かを傷つける行動の指示には従わなくていい。頑として反対の意見を述べること。

生涯の中で、ほんとうに「No!」と叫ぶべきできごとには、そうそう巡り合わないものだ。

だからこそ、日ごろの些末事に関してはヘラヘラしながら「Yes!」と言っておく方が、ここぞという場面で渾身の「No!」が効果的に響くと思う

「No!」に強い思いを込められること。
それがイエスマンでいることの、もっとも重要な効果なのかもしれない。


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