二月五日・ゆで卵の計算

実家で食べていた卵は、随分大きかったのだとわかる。
昨日の夜作ったゆで卵を、暗い台所に立ったまま食べようとしている。
MSサイズの卵ばかり買って三年経つのに、毎度毎度手に取る度に、とても小さく感じる。

ゆで卵の殻を剥くのが下手だ。
賞味期限の切れた古いやつだったし、茹でて時間が経ったからなおさら。
茹でる前に、お尻に針を刺せばいいとかいう。茹でてすぐ剥けだとか、瓶に水と入れて振れとかいう。
面倒くさいからそんなことする気は起きなくて、毎回、滑らかなはずの卵の表面はぐずぐずになる。

軽くぶつけてひびをいれてから、優しく握りしめる。
ぐしゃりと殻が潰れる感触と、卵本体の弾むような反発がある。それが心地よくて好きだ。
しゃがみこんで、ゴミ箱に直接殻を落としていく。
だいたい剥けたら適当に水道水をかけて、クズを取り除く。
シンクにはいつもの通り、昨夜からの洗い物が溜まっている。

京都は卵が高い気がする。
特売で、やっと150円くらいになったやつを買って、やっぱりその小ささにびっくりする。
養鶏場が遠いのかなあ。
それでも、たかが数十円の差だけど、自分でLサイズに手を出す気にはならない。
歩いて二十分もかかるスーパーは、この辺よりも少し卵が安いことを今更知ったけど、だからって今からそこに通うつもりもない。

卵があればなんとかなると思っている節がある。
野菜が一種類しか無くても、卵があればなんとなく見栄えがする。
街で飲みに行く前にたまたま安い卵を見つけて、鞄に十個入りのパックを突っ込んで居酒屋に行ったこともあった。
笑われたけど、私はひとつも割らずに持ち帰った。

レンジフードの照明だけをつけていて、台所は橙色に明るかった。
冷蔵庫を開けると、冷たい空気と暖かい光が漏れた。白い蓋の、マヨネーズのチューブを取り出す。
小さなゆで卵の上に、にゅるりと絞り出す。
そのまま半分かじりつく。
口内の水分が一気に持っていかれた。

お酒用のコップもまだもちろん洗っていないから、ピーターラビット柄のマグにウイスキーを注いでいた。
それを少し多めに口に含んで、まとめて飲み込んだ。
齧った断面にまたマヨネーズを絞って、口に放り込む。咀嚼しながら、チューブを冷蔵庫に戻す。

ゆで卵にマヨネーズをつけて食べる。
その食べ方は、小学校の時に友達の家で知った。
我が家では塩しか有り得なかった。
卵に卵で作った調味料をかけるなんて、妙に背徳的に感じたものだけれど、良く考えれば卵サンドであまりにもお馴染みの組み合わせだったのだ。
一人暮らしを始めてからは、ほとんど塩で食べることはない。

でも、ゆで卵って中途半端だ。
よく考えなければ、献立にぴったり合わせることはできない気がする。特に、私みたいな丁寧でない一人暮らしの、大雑把なご飯では。
だからこうやって台所で立ったまま食べるような、適当なおやつになってしまう。
こんなに小さくては、満足感もほとんどない。

そういや、エッグスタンドなんてものを使って大層にゆで卵を食べる人達、今日たまたま映画で見たけれど、あの場合はどうなるんだろう。
映画の中の女の子は、スタンドに収まった卵の頭の先を、勢いよくナイフで切り取った。お、と思ったのに、そのあとの食べるシーンがなかったのだ。あの状態から、どう食べるんだろう。スプーンでも使って掬うんだろうか。ずいぶん固茹でに見えたけれど。力加減が難しそうだ。

昨夜は、期限の切れた卵をみっつ茹でた。
ひとつは少し半熟で取り出して、夕食のカレーに添えた。
もうひとつは今朝潰して、やっぱりマヨネーズと混ぜてフィリングにして、食パン半分に乗せて食べた。それもかなり、胃に重かった。
寝る前の飲酒のせいか、最近全然朝食が食べられないのだ。それでも何かしら、炭水化物と蛋白質を取らないと頭が働かない感じがする。
今食べたひとつは、本当は明日の朝食べようと思っていた。朝食に弱くなった代わりに、多少の夜食を求めるようになってしまったみたいだ。

冷蔵庫には、一昨日のカレーがほんの少し残っている。
明日は、今朝の残りの半切れのパンに、それとチーズを乗せて焼こう。食欲がなくても食べなければならないと、強く自分に言い聞かせる。

それから忘れちゃいけない、例の少し遠いスーパーの特売の、Lサイズの卵がある。親切な友人がわざわざ買いに行って、うちまで届けてくれたのだ。
嬉しくて大事にしていたら、期限が少しずつ迫ってきた。

どう料理しようか考えていたけれど、私の生活で、わざわざ卵のためだけに献立を考えることなんてなかったなあと思う。なくてはならないものなのに、期限が切れてしまったら、適当に茹でて、適当に消費してきた。

それでも、大きい卵のその大きさを楽しむには、やっぱり茹でるのが一番なんじゃないかとも思うのだ。

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