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ものは考えよう-この大学では「変人」と呼ばれると、それは誉め言葉である

「民営化しなかったら、君はこの会社では生きていけないよ」と、気の合わないNTTの上司から言われたことがある。今でもその意味はよく分からないが、この会社に合っていない自分がとても嬉しかった(それでも29年いた)。「変わってますね」と、人からよく言われるけど、私は変人と呼ばれるほど素晴らしくはない。

変人というのは、マイルス・デイヴィスのような人だ。映画「死刑台のエレベータ」から聴こえるクールなトランペットの響き、コード進行から脱却したモードジャズ、そしてエレクトリックやフュージョンへと、過去のスタイルに固執することなく時代を先取りするミュージシャンだ。

この写真は1968年に発表した「マイルス・イン・ザ・スカイ」のレコードジャケットだ。中学生だった私は帰宅すると夕方のNHK FMをよく聴いていた。そこで流れていたのが「スタッフ」という曲だった。中学1年からジャズバンドをやっていて、コード進行のアドリブは得意だったが、モードとなると何か自分とは違う世界のようで迷っていた時期だった。マイルス、ハービー、トニーの魔術に度肝を抜かれてしまい、ラジオの曲が終わると同時に駅前のレコード屋にかけこみ1800円もするレコードを手に入れた。

なぜジャズが好きになったのか。

小学校の頃にグループ・サウンズの流行が終わり、フォークソングが流行りはじめたのが中学校の頃だ。バンドといえばギターを抱えて歌う時代だった。そんな中で、別に目立ちたいわけでもないが、他の人と同じというのが嫌だった。つまり、あまのじゃくなのだ。同調圧力の逆ともいえる。もともと小学校からシナトラやプレスリーが好きだったこともあり、バンドをやるならジャズだ!と少し気張っていたのかもしれない。でも、あまのじゃく仲間もいるもんで、バンドで演奏するようになって聴き始めたのがコルトレーンやマイルスである。1965年の「マイルス・イン・ベルリン」というアルバムがある。これも好きだけど、何か物足りない。自分の演奏に何が足りないのか、そんな疑問を持ち始めたときに出会ったのが「マイルス・イン・ザ・スカイ」であった。

でも、あまのじゃくは厄介な性格だ。主流には乗らない。亜流でもいいから、自分で切り拓きたい。亜流に他の人がたくさん入ってくると、辞めてしまうのだ。でも、それが研究者には良かったのかもしれない。

大学院の頃、クラシック好きの友人であるOくんとHくんに刺激されて、マーラー好きになってしまった。譜面を見ながら交響曲を聴き、伝記を読み漁り、挙句の果てはウィーンのグリンツィングまで墓参りに行った(写真)。マーラー没後の53年後になくなった妻のアルマや長女が後ろに眠っていた。これも研究者の悪い癖。はまるととことん追求してしまう。

そんな私が慶應義塾大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)で教えることになったのだけど、SFCはとても面白い。AO入試を最初に実施したこともあり、変人というかユニークな学生が多い。過去の問題を解く方法を勉強しても、未来に起こる問題に役立たないかもしれない。それよりも過去にとらわれず、未来の新しい問題を発見してそれを解決する人材をつくる。これがSFCの校訓だ。

そんな学生を見習って、私も変人になりたいけど、まだまだあまのじゃくに毛がはえた程度だと思う。それでも、世界で初めての腕時計電話や光テレビの研究開発をやってきた。世界で初めてというのは、実は他人がやっていない、あまのじゃくという意味である。過去にないインタ-ネットのブラウザとかHTMLを創れる変人になりたいけど、それは未来の学生たちにまかせるとしよう。

変人とは変わった人ではなく、変化をつくれる人のことだ。

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小川克彦

大学を卒業しNTT研究所に29年、慶應義塾大学に12年つとめて、来年3月に定年。最終講義をやってよ、といろんな人から言われるけど、何を話そうか。今さら仕事の話はやめよう。私の好奇心をかきたてた趣味の実践話はどうか。「ものは考えよう」というタイトルで最終講義ノートを作ろう!
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