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【目印を見つけるノート】66. 偶然の受け止めかた

きのうは4回、救急車の音が聞こえました。

⚫偶然の受け止めかた

さて、
どれぐらい前か忘れるぐらい昔のことです。
お茶の水の駅前交差点で隣に立っている人が作家のミヒャエル・エンデさん(故人)によく似ているーーということがありました。私は当時、彼の『鏡の中の鏡』という本に夢中でしたのでハッとしたのです。
エンデさんの作品は『モモ』や『はてしない物語』がとても有名ですね。

『鏡の中の鏡』本の紹介はこちらで:
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b256004.html

ほっぺたをつねりました。

「まさか日本にいるなんて、しかも一人でこんなところ(御茶ノ水に失礼かな)を歩いているわけがないよね」

今でも見間違いの可能性が高いかなと思っています。
ただ、何と言ったらいいのでしょう、隣に立っている雰囲気がどこか特別だったのです。背が高いからとか、目力が強いからとか、あるいはオーラとかいろいろ表現のしようがあるのかもしれません。
でも、どれも当てはまらないように思います。

かなり後に年譜を見てみました。可能性としてはありえないことではなかったです。彼の本を出していた岩波書店も近くでしたし。

真偽はもう確かめようもないですが、袖振り合うも他生の縁、私にとってはとびきり最高のファンタジーでした。


エンデさんの作品はファンタジーでも、児童向けでも、竜やケンタウロスが出てくるだけではなく深い思索、テーマがあるように思います。哲学的というと少し堅いかな。

そして、年譜を見ていると、彼自身がファンタージェンから出るように強いられた少年だったようにも思います。
戦争という圧倒的な力によって。

本のお話の世界から一歩飛び出して、作者と取り巻く世界のようなものについて考えはじめるきっかけはそこだったのかもしれません。

そのことをたまにふっと考えます。

あくまでも「仮定」の話ですが、
自分がその時読んでいる本の作者が偶然隣に立っているというのは、
なかなかないことではないかと思いますが、

そのような偶然はあります。

といいますか、人が出会うものは偶然のかたまりでしかないです。確率というとちょっと違うかな。
生まれてきたのも、親やきょうだいも、住んでいる場所も、出会う友だちも、出くわすいいこともイヤなことも、そのようなことをもたらす人も、みんな偶然です。

そうですね、私にとってはそれをどう料理するとか、組んでいくとか、編んでいくとか、織っていくとか、溶接していくとか、つないでいくのかーーがとても大切なテーマです。書く上でも、日常でも。それは自分のことだけでなく、自分が見つけた人も対象になります。

そのようなテーマのいくつかは文字通り、一生かけて追求するのでしょう。
御茶ノ水での真偽さだかでない出来事もそのひとつなのかもしれません。


偶然にはその人にとって
いいものもそうでないものもあります。
それをよくよく観察して、それでも
トラウマになるほど
自分を害するものならば
恒常的に長く付き合う必要は
まったくないです。
すぐに離れたほうがいい。
でも、
そのようなものばかりでは
決してないです。
自分にできるだけの
偶然会えたものを大切にすることが
自分を幸せにしてくれるように
今は思います。

偶然の「方向」や「結果」は自分で選択できることもあるのです。

今は書いている小説を巻いているので、そちらに気を預けていて、少しぼんやりとしたことを書きました。


⚫お籠りクラフトとばら

Y字のロングネックレスを組みました。
夏のTシャツに合うイメージです。
使うのにちょっと迷っていたアマゾナイト、チェコのボタンビーズと白い石のビーズ。別のブレスで使って疲れていたソーダライトとハウライト。それらをラブラドライト、コスモオーラ(加工した水晶)、乳白色のアクリル玉、紫系の丸玉でつなぎました。パワーストーンもびっくりな組み合わせ。

個性の違う天然石をどうまとめるかというのはなかなか難しいですけれど、とても楽しいです。

バラの芽がまた出ています。また摘みます。

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

追伸 ありがとう。

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