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【目印を見つけるノート】883. 天守が花咲いた50年

noteの福山滞在記をマガジンにしたのですが、「はっ😱」と気づいたことがありました。ここに置いてマガジンにも入れます。

福山城築城が幕府に報告されたのが1622年8月28日で、イコール築城日とされていますが、今福山市で実施されている『福山城400年博』は8月27~28日がオープニングイベント、そこからがスタートなのです。来年1月までイベントが予定されていますので、書いておきますね。
「ここからじゃ、ここからじゃ」
ということです。

インスタはこちらです。

話題を続けましょう。
大量の荷物もほどきましたから👜
本やら資料やら、たくさんありますよ。
今夜は阿藻珍味さんのラーメンかな。

お城のある町はたくさんあります。
例えば私の近隣にも馬込城というのがありました。機能したのは南北朝期までだったようですが、今でも起伏の多い土地ですから要害の城ですね。

私は城郭に詳しくありませんので大まかな認識になりますが、城はまず攻撃に対する防御の役割が第一で、天守を持つ城というのはだいぶ後のものなのです。16世紀になるとちらほら見られるようになりますが、白眉は信長の安土城(1576年ー天正4ー築造)以降でしょうか。現存しないので復元図などから見るしかないのですが、独創的なお城です。また、信長の居館などには中国の影響が大きいと感じます。個人的な感想ですが、紫禁城(北京)を見たときの印象と通ずるものがありました。

例えば、姫路城が現在見られるような天守の形になったのは1580(天正8)年、松本城ははっきりしていませんが、天守築造が1592~3(文禄2~3)年頃といわれています。現在有名な城(天守)の築造はこれぐらいの時期に集中しているのですね。

江戸幕府が開府されて以降、新規の築城は少なくなります。権力がひとつになりましたからね。幕府の許可を得なければ築城も改修もできなくなるのです。特に大坂の陣(1615年ー慶長20)以降は統制が強くなりました。

それ以降に築造された城といえば明石城(兵庫)、福山城です(他にもあるかは調べていません)。明石城は1619(元和5)年、福山城は1622(元和8)年です。どちらも幕府の肝いりです。明石藩主の小笠原忠真は徳川家康の直臣の出ですし、福山藩主の水野勝成は家康の従兄弟です。
そして、この辺りを最後に新しいお城は作られなくなりました。江戸城はのちに大火で焼失しましたが、天守を造り直すことはしませんでした。幕末の動乱期に長州で建てられたものが近世城郭の最後だそうです。

天守、ひいて近世城郭というのは50年弱の間、いっせいに咲いた花のようなものでした。それがどのように育って成熟していったのかという成り行きを見るのもまた興味深いと思います。

福山城は天守北側が黒いです。
他にも総じて黒い城はいくつもあって熊本城、岡山城、松本城、大坂城などがポンと思い浮かびます。これらは板張りの黒塗りにしていますが、福山城は北側だけ黒い鉄板を張っています。北面防御のためということですが、鉄板を一面張っている城は他にないです。ここにも、アイデアというか独創的なものを感じて、私は楽しく想像してしまうのです。

それも天守という「花」の咲かせ方だなって思うのです。

その鉄板張りも今回の再建で再現されました。鉄板は地元のJFEスチールさんが全面協力されたそうで、現代の「餅は餅屋」、見事だと思います。

今回の旅でたっぷり見られて光栄でした😄

『お城EXPO』には毎年行くようになりましたが、どうしても城ではなく人や出来事に熱中してしまいますので、もう少し城の方に目を向けたいなと思う今日この頃です。

山城もひとつしか登れなかったし😭

今日は洗濯ざんまいです。久々にガッとできます。

今日は気分で。
Sonny Boy Wiliamson Ⅱ『Bring it on home』

おうちへ連れて帰ろうぐらいのニュアンスでしょうか。
まあいろいろ、私は洗濯物も含め連れて帰ってきたものです😅

それでは、お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

追伸 晴れてよかったです😄

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