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書籍【これまでの経済で無視されてきた数々のアイデアの話: イノベーションとジェンダー】読了

https://booklog.jp/users/ogawakoichi/archives/1/4309231373

◎タイトル:これまでの経済で無視されてきた数々のアイデアの話: イノベーションとジェンダー
◎著者:カトリーン・キラス゠マルサル、山本真麻(訳)
◎出版社:河出書房新社


これはちょっと想像の斜め上を行っている内容だった。非常に面白い!「盲点」とはこういうことかと思う。
自分が男性であるからこそ、余計に見落としていることがあったということか。
これは十分に反省しなければならない。
男女の区別(歴史的には「差別」と言った方が正しいかもしれない)が、これだけイノベーションを阻害してきたということだ。
だったら停滞している日本が打つ手としては、簡単なはずだ。
男女比がアンバランスな組織においては、女性をもっと参画させて、「5対5」まではいかずとも、少しでも比率を補正することで、イノベーションが起こりやすくなるはずだ。
私自身が今は会社の中で人事部門に身を置いているのだが、そうは言っても、なかなかこれが進まないという現実にも直面している。
現時点では難しさも感じているが、やはり今後の未来を考えると、もっともっと多様性が進んでいくことは間違いないし、進めることを前提で組織を作っていった方がいい。
そのように考えると、今まで見過ごされていたアイディアも、もしかすると社内などでも見直されて注目されるものが出てくるのかもしれない。
歴史的に、テクノロジーの進化によって、人々の仕事の仕方が発展してきた。
発展の仕方として、勝手に直線的に進んでいると勘違いしていたが、よくよく考えてみると、こういう社会が形成されたのは、ほんの数百年前程度という感じだ。
人類の歴史を仮に20万年とした場合、ほとんどの期間と言える約19万年以上は狩猟採集生活を営んでいた訳だ。
この19万年間のイノベーションは、「火」とか、「猟の道具」程度だったのかもしれない。
それも数万年に1回表れてという頻度だ。
この時代に性差があったのかと考えると、存在したかもしれないが、我々現代人が感じる感覚とは相当に異なっていただろうと想像できる。
現実的に超未熟児で産まれてくる人間の赤ん坊は、当時においては母親が付きっきりで面倒見ることになっただろう。
しかも、医療が全くない時代であれば、生きるとは常に死と隣り合わせであって、いつ命を落としてもおかしくない状態での生活だった訳だ。
そこでの生存戦略を考えると、女性が一生を通じて多産になることは必然だろうと思う。
常に妊娠、出産、子育てを繰り返している状態が普通であれば、男性が担う仕事は、日々の食料調達だったり、身の回りの生活を整えることになるのも必然と言える。
この役割の違いを考える中で、男性と女性の優劣を考えることも意味をなさないだろう。
あくまでも男女差は役割としての区別であって、優劣を決める必要がない。
そもそも女性が子育てしなければ、その一族は滅んでしまう訳なので、役割としても超重要と言える。
そもそもそういう背景というか、人類の歴史がそうなっている中で、産業革命以後のほんの数百年の間に社会の考え方が変化してきただけじゃないかと感じてしまう。
男性が上位、さらに言えば白人の男性が最上位とした方が、この工業社会では都合が良く、それに合わせて様々な差別を生み出してきたのではないだろうか。
スーツケースに車輪を付けた方が便利だと気が付くまでに、何年もかかってしまったという話は非常に印象的だ。
「だってスーツケースを運ぶのは、力の強い男性の役割だから」
たったこれだけのことで、車輪をつけて楽することを拒否していたという。
自動車の普及についての話も非常に興味深い。
自動車というものが発明された当初は、電気モーターとガソリンエンジンとで競っていたらしい。
しかし、結果的にマッチョなガソリンエンジン車が世界を制してしまったが、それも男性の考えが影響したという話。
これも非常に面白い。確かに男性の方がメカニカルなものを好むし、力強いエンジン音が「男のロマン」を感じさせたからというのも理解が出来る。
そもそもエンジンを始動させる行為が力技だったから、自動車を運転するのが男性の仕事となったという経緯もある。
こういう文脈で考えると納得できる部分もあるが、これも私自身が男性だからなのだろう。
そもそも「男のロマン」という言葉自体が時代錯誤的で、これからの時代は間違いなく使われなくなっていくと思う。
そういうバイアスがかかっていることは間違いない。
この自動車普及を例に取ってみても、便利な電気自動車が軟弱に見え、ガソリンエンジン車が力強さを感じたことが影響したというのは一定の説得力がある。
故障の度合いとか、スピードだけではない、そういう一見合理性とは関係ない部分で、社会への浸透度合いが決まってしまうというのは、意外と本質なのかもしれない。
そういう文脈で見てみると、今後主流になりつつある「ユニバーサルデザイン」という考え方は、これからの時代を考慮しても非常に重要なものだと思う。
気が付かないバイアスに囚われてないだろうか。
本当の意味で、誰にとっても機能面として使いやすく、優れたものは何なのだろうか。
そういうものを追求していく姿勢は、これからの未来社会を生きる中で本当に重要なことだと感じたのだ。
他に本書で興味深く感じた章は、「肉体」に関することだ。
脳が人間の意識を支配しているのは、ある意味では正しいとも言える。
しかし、果たして本当なのだろうか?
「肉体こそ人間の根幹であり、何なら脳だって肉体の一部のはずだ」という内容の一文で、「その通りだ」と思ってしまった。
人間は肉体を持つからこそ、イノベーションを起こせるのではないだろうか。
そんな風に感じたのは、テニスのジョナサン選手姉妹のエピソードが、非常に面白かったからだ。
二人は、正確にサーブの練習を何時間も行っている。
何度も何度も飽きずに、打ち続けている。
しかし、同じ練習をただ漫然と繰り返している訳ではない。
その1球1球は、ジョナサン姉妹にとっては、それぞれ意味が異なっているということだ。
体全身で感じて、ラケットをボールにぶつけるが、決して適当に行っている訳ではない。
コート内での風の状態や、温度湿度、もちろん体の状態。
それら全てを総動員して、1球1球の軌跡を追っている。
これは、全く同じ状態を再現する機械とは、実は真逆ではないか。
全く同じように同じ位置にサーブを打ち込もうとしている1球1球のこの練習こそが、機械の発想とは全く異なっている。
実際にこの練習が活きるからこそ、試合の中でクリエイティブな展開を生み出して、人々を感動させる。
どうやらイノベーションの種は我々の身近に転がっているようだ。
今までの固定観念を振り払って、我々自身がそのことにどうやって気が付くかどうか。
やはり「気が付かない」ということは、本当に大きな損失なのだと思う。
常に意識を高めるしかない。
(2024/2/20火)


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