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意外と気づかない、「褒め」の落とし穴

「先生は、日本語を教えるのが上手ですね」

昨日の授業後、バタバタと人が出入りする教室で、
学生が、うちの日本語学校でも最も教授歴が長い日本語教員に言った言葉です。

私はちょうど別の用事があってその教室に入ろうとしたところで、
その会話に参加していたわけではなくただその言葉が聞こえてきた、という状況でした。

それを聞き、「いやいや、大ベテランの先生に向かって何を言ってるんだ!?」と関係のない私でもつい焦りました。

それってつまり、例えば大企業の社長に向かって新入社員が「社長って本当にビジネスの腕がありますよね!」と言うようなものじゃないですか。
それはちょっと失礼なことですよと、後でその学生に伝えなければ。

どうやって伝えたらよいでしょうか。
脳内で想定問答をしてみます。

私「○○さん、さっき先生に言った『先生は日本語を教えるのが上手ですね』という言葉、ちょっと失礼に伝わります。気を付けたほうがいいですよ」
学生「そうですか。でも私は本当にあの先生の教え方が好きで、伝えたかったんです。どうして失礼なんですか?」

頭の中の会話はここでピタッと止まりました。
「どうして失礼なんですか?」
この質問にスッと答えが出ません。
考えてみると学生の疑問ももっともに思えてきますが、
「失礼だ」と感じた自分の感覚も間違っていないと思うのです。

調べてみると、「褒める」という行動には意外な落とし穴が設定されていることがわかりました。

ちなみに「褒める」と言う行動を広辞苑で引いてみると、
「物事を評価し、よしとしてその気持を表す。たた える。賞讃する」
と書いてあります。

褒められれば基本的には誰でも嬉しく思え、
コミュニケーションの中で相手を褒めることで、自分と相手との心理的距離を縮めるという効果もあるそうです。

しかし日本語での「褒め」には、一つのタブーがあると言います。
それが、「相手の専門分野を褒めてはいけない」というものです。

ここで、「褒め」の例をいくつか挙げてみましょう。
「あなたって、本当に料理が上手ですね!」
「今日の服、かわいいー」
「この本読んだんだけど、本当に面白かった!」
このように並べると、一つ気が付くことがあります。
それは、「褒め」は内容こそポジティブなものの、褒めるその対象を話し手が評価しているという側面があるということです。

話し手が対象を評価した結果プラスの方向に評価されたということを、
相手に伝えているとも言い換えることができそうです。

ここで冒頭の学生の発言に立ち返ってみましょう。
「先生は日本語を教えるのが上手ですね」
これも、学生が先生の授業の質を評価し、その結果よかったということに言及しています。

先ほど登場させた無礼な新入社員の件も、
新入社員が社長の仕事能力を評価し、その結果よかったということを伝えていることになります。

「それって失礼じゃない?」という感覚を生じさせるのは、
まさにその「話し手が聞き手の能力を評価する立場にないとき」なのです。

反対に、もし先ほどの新入社員が学生時代バンドマンとして巷で名をはせていたとして、
会社の飲み会から流れで社長と一緒にカラオケに行ったとしましょう。
社長が歌を披露します。おや、案外上手ですね。
新入社員が言います。
「社長、歌もお上手なんですね」

これは、そこまで失礼感がないと思いませんか?
というのも、仕事に関して上下関係のあるコミュニティにおいて、
歌というのはまた別の評価項目となり、
そうなると新人君が社長を評価する立場にいてもおかしくないからです。

なるほど、ではベテランの先生の授業にプラスの感想を伝えたかった学生は、何と言うべきだったのでしょうか?

これにはっきりした答えがあるわけではありませんが、
私が思うに「自分が思ったことを、自分のこととして伝える」なら無難です。
つまり、「あなたの授業がよかった」ということではなくて、
「私はあなたの授業が好きだ」ということです。
「先生、私はこの学校で先生の授業が一番好きです」
この言葉なら、失礼には当たらないでしょう。
失礼どころか、もし私がこんな嬉しい言葉を言われようものなら、
小さな紙に書いてスマホの裏に入れ、持ち歩きます。

逆に、もし「先生は日本語を教えるのが上手ですね」と言われたのが私だとしたら?
そう想定してみると、私は案外失礼だという印象を抱かない気がしてしまうのです。
まだ、日本語教師の仕事を自分の専門分野として、自信を持てていないということの現れなのでしょうか…?

意外な自分の深層心理にたどり着いたところで、今回の記事はここまでにします。

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