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春の天気とチョロミーのパジャマ

洗濯物を干そうとベランダの窓を開けるとピューッと冷たい風が部屋に吹き込んだ。最近は暖かい日が続いているからと昨晩半袖に替えたばかりのパジャマから伸びた腕に鳥肌が広がる。

春はいつもそうだ。桜が満開を迎えたと思ったらその週の終わりにまるで台風のような嵐がやってきたりする。月曜日の朝、ピンク色に染まったアスファルトを見つめながら私は己の無力さにただ打ちひしがれる。

子どもの機嫌と春の天気はよく似ている。ある日バスに揺られていると、それなりに混雑した車内のどこかから生後半年くらいの赤ちゃんの泣き声が。それを聞いた娘は得意げに「赤ちゃん!いた!」と私に教えてくれる。ちゃんと赤ちゃんの泣き声だって分かるんだ・・と感心していると、5分後にはその泣き声につられて自分も泣いていたりする。

今朝も、きっかけはほんの些細なことだった。オムツを替えるのがちょっと気分じゃなかっただけ。それだけだったらまだ気分を立て直すこともできただろうが、その日は立て続けに着替え、髪を結う、靴下を履く、靴を履くというタスクをこなさなければならなかった。気分を立て直している時間はない。しかし、オムツを無理矢理替えられた怒りが到底収まっていなかった彼女はもちろん全て拒否。「NO」の一点張り。彼女はこの5月でちょうど2歳になる。何かに誘われれば否が応でも「NO」と答えたいお年頃だった。

あらん限りの声と力で「NO」を主張する彼女を前に、私は己の無力さに打ちひしがれている・・・場合ではない。時計の針は9時を指している。いい加減保育園に行かなければ。なんとか服を着替えさせようとしてからもう20分も経っていた。

大人の力をなめるなよと力づくで着替えさせようにもまるで歯が立たない。2歳の力をなめていたのはこちらだった。結局、肌着とおむつというあられもない姿で号泣する娘を担ぎ上げ、保育園へ走った。うまく傘がさせなくて2人してずぶ濡れになる。その間彼女は絶えず「チョロミー!」「チョロミー!」と泣き叫んだ。チョロミーとは、Eテレで放映されている『ガラピコぷ〜』という人形劇に出てくるのキャラクターのことであるが、どうやらそのガラピコぷ〜のキャラクターがプリントされたパジャマを着て行きたかったらしい。だけど、あれは半ズボンだしボタンが付いているから着て行けないのだ、ゴメンよ。

やっとの思いで辿り着いた保育園のドアを開けると、嘘みたいに大人しくなる娘。動揺する私。これではこんな格好で連れてきた私が非常識みたいじゃないか。「こんな状態で全然手がつけられなかったんですよ〜」という言い訳がかなりしづらい。それでも「チョロミー!」の叫びを聞いてくれていた保育士さんは笑顔で「お洋服、着せておきますねー!」と答えてくれた。本当にありがたい。

「じゃあまた後で」と手を振り合って外へ出て、大きなため息をひとつ。彼女の泣きっぷりと、別れ際の諦めたような表情を見ていると、これでいいのか分からなくなる。彼女が泣いていたのは、無理矢理着替えさせようとしたから?チョロミーのパジャマを着せてあげなかったから?違う。保育園に行く為の着替えだから嫌だと泣くのだ。「公園に行こう」と誘えば自分でズボンを履ける。

「GW明けですからね〜。今日はみんな泣いて来ますよ〜。」と言ってくださった保育士さん。続けて「大人も同じですよね、今日は調子出ないっていうか。」とも。「そうだよね、うちの娘だけじゃない」と安心すると共に「こんな小さなうちから大人と同じ憂鬱を感じさせているのか」と悩んでしまう。やっぱりまだ一緒に居てあげたほうがいいのだろうか・・・。

泣かれる度に、朝日に目を細め悩みながら駅へと向かう。そして今日もまた、答えというか、踏ん切りのつかないまま、西日に向かって歩く。保育園のドアを開けると、ハイテンションの娘が「ママだー!」と飛びついてくる。その顔には遊び尽くした満足さと幸福な疲れが滲んでいる。

今日は寒いのかと思って引っ張り出して着たトレーナーが暑い。朝の雨は昼前には止んでいた。春の天気を読むのはやっぱり難しい。私が娘の気持ちを考えて悩んでいる間に、当の本人の機嫌はくるくる変わって、それと一緒に心がどんどん成長していく。子どもの機嫌と春の天気はよく似ている。穏やかな晴天と激しい嵐を繰り返して、そうして逞しくしなやかな夏に続いていく。

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