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お花畑のメルヘン野郎

これ、私自身のイメージです。
実際敵意を持って言われたこともあります笑

『お花畑だよね。頭』とか
『ほんとメルヘンだよねー』と何故かため息混じりに。。

私は自分がフォトグラファーになるまでは
人からは浮いた存在だったので
よくこんなふうに言われてました。
大人になった今も、私自身はほとんど変わってないのですが、
まわりに私を受け入れてくれる人、
私と同じような想像力、夢を見る力を持った人たちに囲まれるようになった。
自分に合った環境に出会えたことで
まわりと浮くことは無くなったし、
何より素の状態を受け入れられてる日々に運良くなったのは
本当にラッキーでした。

今私のいる環境は、『夢』や『願い』、
『愛』や『魔法』が目の前で見れるような
物語のような世界なので
我ながらすごく自分に合ってるところで日常を送ってるなと思ってます。



私は大人になるまで
みんなと同じだと思っていたのですが
みんなどこかで大人になるみたいで
子どもと比べて
大人になるとみんな公園では遊ばなくなるし
現実に忙しくて空想をしなくなる

その変化が私は人より15年遅かったと思います。
言いかえれば『自立』なんですけど。


ずっと子どもだった。
今でもその要素はかなり色濃く残ってて
それが心の不安定さにもつながってるのですが、
利用されやすさ、邪険にされやすさ、
傷つけられやすさは短所として今もあり、
真っ直ぐさや素直さに関しては
長所として残ってます。


心理学を知る前は毒親の知識も
愛着障害の知識も
自分の愛着のスタイルに対しても
何も知らなかったので
なぜ傷ついてばかりなのかの答えは
全て自分が悪いと自責していたのですが、

様々なキッカケから
心理学を学び、自分の心を知ったり
相手の心を知り、寄り添える気持ちになれるとこまで来れたのはとても嬉しいことでした。


私の『お花畑野郎』が長所になってきたんです
自分の気持ちには遠慮しなくていい。
受け入れるか粗末にするかは相手の問題。
という境界線を引けるようになったのは
すごく心にとっては大きかった。


愛着のスタイルには
『不安』『回避』『恐れ回避』『見解決』など
『安定』を含めて何個かのスタイルに分かれてて、
私自身は『不安』の項目に大きく偏りがあるんですけど
私を傷つける人。
もっというと、他人を傷つけるひと。
人に危害を加えてしまう人。

そういう人たちも『悪人』や『悪い人』ではなく、『傷ついている人』『怖がってる人』と
表現されてることがすごくいいなって思ったんです。

愛着の傷は育ちの段階で心に刻まれるので
傷つける人、傷つけられる人ではなく
みんなが『愛着に傷のあるもの同士』と思うと
自分の心がかき乱されることはなく
思いやりを持てる気がして。。。


私は自立を目指した時、
『どんな自分で今を生きていきたい?』に強く焦点を当てたのを覚えてます。

私は写真家として生きていきたい
私は愛する人の隣にいたい
私は子育ての思い出がたくさん欲しい

あまり先のことを考えてなかった。。
考えられなかったという方が正しかったと思うんですけど。
自分の目の前のことに集中したこと、
自分が今できることを毎日精一杯したこと。

それがすごくよかったかな。。と振り返ります。

やっぱりどんな自分でも
自分であることはやめられないので
それがイネイブラーでも不安型でも
愛着に傷があっても
メルヘン野郎でも。。

どんな自分でも丸ごと自分なので
そこを好きになれたのが1番プラスになったかなぁと思います。

自己肯定感。
ほんとうの意味での自己肯定感。

自分の得意や、自分の輝きを磨く努力ではなく
そのまま、あるがままの
長所も短所も自分として大切にできる力

不安が大きくてもいい
メルヘンでもいい
イネイブラーでも
たくさん傷ついても
まるごと自分って心が上向きになる感覚

自分を認めるという感覚を持ってるだけで
すごくすごく楽になりました


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