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普通の人の生き方戦略

小さい頃、いや結構最近まで自分にはなにか、人とは違う特別な才能があって、人生を豊かにしてくれるんだと信じていた。

でも、そんなもんはない!

当たりまえだ、今までよくわからない自信と根拠で怠けていたんだから。
お前は普通の人間だ。
これを自覚して受け入れるのは正直辛いが…まあそんなもんだ。

そもそもホリエモンみたいなすごい人でさえ、「自分は普通」とか言っているのだ。
我々なんて平凡中の平凡ですよ。

「才能至上主義」というか、「自分はやればできるスゲー奴」という万能感はどこからきたのか。
自分の場合、褒められることとギリギリで回避してきたことじゃないかと思っている。

褒められることは別にマイナスでもない、むしろいいことなんじゃないかと思われるだろう。
例えば勉強頑張ったね、よくできたねと親に褒められる。褒められるともっと褒めて欲しくて勉強をする。
しかし、学校の勉強は苦手な科目なんかも出てくる。苦手なものはなるべく避けたい。避けたいからあまり勉強をしなくなる。あるいは、しても点数が低くなる。
勉強をしなかったり、点数が下がると親は褒めてくれない。
そうすると、自分の存在価値が無くなっていくように感じる。おそらく無意識に褒められることに存在価値を見出していたんだろう。

それが頭にこびりついていたせいか、理数系に興味もないのに薬剤師の国家資格を取るために必死こいて勉強した。
でも、自分が苦手なこと、嫌いなことなんて続くはずがない。
どこかで体が悲鳴をあげていた。毎日ベランダから飛び降りることを考えていた。

あともう一つは、夏休みの宿題を思い浮かべてほしい。
いつも試験はギリギリの直前に勉強していた。そして受かってきた。
そうすると脳は「自分はやればできる!」と学習してしまう。
これは自信に繋がるからいいのだけど、副作用としてまだやっていないことに対しても発動してしまう。

たとえば、
「ギターなんてやればできる!」(まだやったことないけど)
「仕事なんてやればできる!」(まだやったことないけど)
だいたいこんな感じ。

この苦境を乗り越えた結果、「俺スゲーやつ!」的万能感が育ってしまった。
そうなるとある意味無敵の人。選民意識みたいなのが生まれる。

でも上には上がいて、もう成果を出している人間がたくさんいる。
同世代なら米津玄師や錦織圭、羽生結弦とか。
彼らは才能を発揮しているすごい人たちだ。
けれどおそらく彼らは自分のことを特別すごいと思っていないんじゃないか?
普通の人と彼らでなにが違うのか?
彼らは自分のやりたい、好きなことを極めているだけじゃないのか?

私と彼らの違いはやりたいことをやり続ける勇気があったかどうか。
人は家族と生活していると、親から将来についてあれこれ言われてしまう。
会社に勤めて安定した給料をもらいなさいと言われ続ける。したくもないのに。
それでもなぜそっちの道に行ってしまうのかというと、責任を他人のせいにできるから。自分の人生だけど親の言う通りにすれば責任を持たなくて楽だから。

でもそんな生き方でいいんだろうか。
親が幸せになれると信じていた一つの会社に勤める生き方はできない時代になってしまった。
だったら、好きなことを少しづつしていく生き方もいいなじゃないか。
ケーキバイキングみたいに、好きなものをちょっとづつ摘んでみる。
たまにしょっぱいものが食べたくなったらパスタを食べてみる。

仕事も生き方もそのくらいでちょうどいい。

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