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我差別する、ゆえに我あり。

「無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。」───三島由紀夫

若干失礼ながら、この映画が主として取り組んでいる安楽死や高齢化問題というテーマについて私はさほど語るつもりが無いことをまずはじめに断っておかなければならない。

それよりかスクリーンにうつる主人公角谷ミチが死を決断するさまやそれに至る過程をぼんやり眺めていると、高校2年の冬の朝、朝6時13分の電車に飛びのり、駅につくと早足で改札をぬけ、まだ一台も教師の車が停まっていない学校の駐車場を通りすぎては、閉じられた、凍ったように冷たい鉄製の校門を身体全身の力で押しあけ、人のいないからっぽの校舎、人のいないからっぽの自習室で、勉強を始めようとひとりしずかに席についたとき「昨日よりスタートがおそいな」と自らを責めていたかつての日々をなぜかふと思いだすと同時に、それから少し経った頃、3年になる直前あたりだろうか、両親が留学の選択肢を私に与えてくれた際に即決した自分を理解できたという満足が私に押し寄せていた。私があれほどの努力を継続できていたのは、そして留学を決断できたのは、他人への差別感情があったからだと、ようやく腑に落ちた。

出典:  MOVIE WALKER PRESS『PLAN 75』(2022) / 以下省略。

どれだけ人より早い時間に登校し孤独に励んでいたとしても、私は勉強ができなかった。古典も数学も物理も、よくもこんな点数が取れるなというものばかりで、今回はクラスの下から何番目だ、というレベル。英語はすこし出来、クラス1位になることはあったが、学年1位ははるか夢の話だった。私はそれでも勝ちたかった。周りの奴らとは一味も二味も違うと盲信していた。たしかに才能が平等に人間に割り振られることはないが、私にはどうも人より過剰に野心のみが与えられたようで、ただそれを持て余すことしかできず、野心は私の日常に満足というのが流入しないよう徹底して目を光らせることにのみ専従していた。そこに両親がアメリカへの留学の選択肢をくれたのは幸運である。いったいどれほど「留学」という単語が官能的に私を誘惑したか!

TOEFLが何点必要という合格ラインをパスしなければならなかったものの、大学受験とちがって、留学には学力全体の総合的な偏差値は求められなかった。それに渡米後すぐは語学学校に通い、そこで英語力強化にむけてまずはみっちり面倒をみてくれるらしいから、実際、中学生レベルの英語力さえあれば誰でも取れる選択肢だった。つまり必要なのは勇気だけ。それも海外大卒のブランドや留学を終えた末の輝かしい自画像を空想すれば、その一瞬、差し出さなければならない勇気はあるにしても、見返りに得られるであろう報酬を考えた時、まだ十分お釣りがでるぐらいの分量で済んだ。ナニモノでもなかった私は、ここではないどこかに、救いを求めた。ナニモノでもなくなった角谷ミチが、死の世界に、救いを求めたように。

※以下、ネタバレを含みます。

映画『PLAN 75』の舞台は高齢化がさらに進んだ近未来の日本。財政問題の解決策として、75歳以上の人間に死を選択する権利を与える制度〈PLAN 75〉が国会で可決、ならびに施行が決定される。夫と死別し、ひとり暮らしをしている78歳の女性、角谷ミチ。彼女はホテルの客室清掃員として働く日々を慎ましく送っていたが、ある日突然、高齢を理由に解雇されてしまう。収入の不安定さにより住居をも失いかねない状況に陥った彼女は〈PLAN 75〉の申請を考え始める。

ザッとあらすじを読めばおおよそ見当がつくだろう。この映画は、高齢者による国家財政の圧迫や安楽死の是非について追求している。映画内の日本社会は〈PLAN 75〉をすっかり受け入れ、政府も75歳以上の高齢者の死を暗に促し、それをまた肯定するような報道をメディアが行っている。安楽死、自死、自殺、制度による殺人と、同じものでも表現によって印象の幅が生まれるが、とにかくも死のマイナスイメージの転覆を図ろうとする世界を描いた今作は、むごたらしいオープニングでそれを早速やってのける。

モーツァルトのピアノソナタ第5番、軽やかに流れるその温和なメロディーを背景に、意図的にピントの外されたボケ画がゆったりと現れる。黄色や薄緑などいくつか色が配置されていてショーウィンドウのようでうつくしい。だが、ここがどこなのか、何があるのか、は分からない。誰かが動いているように見えた。そこを不意になにかが倒れたような物音がする。すると血に染まった両腕でライフルを持った若者がカメラのすぐ目の前をじっとりと通過する。殺人現場だ。殺されていたのは老人であり、犯人は高齢者の存在が国の財政問題の原因となっているためこの殺人は国家のための正義だと主張。直後、自らの頭をライフルで撃ち抜いて自殺する。

これは一種の異化効果かと思われる。異化効果とは、日常において慣れ親しんだものを全く未知で異様なものに受け取らせ、そこに生じた違和感に基づき、観客者に劇への批判能力を喚起するための表現である。もともとは劇作家ブレヒトによって提唱された演劇界の用語だが、映画界にも輸入され、ゴダールやデヴィット・リンチがそれを大きく発展させた。あなたも知るところで言えば、アニメ『エヴァンゲリオン』など異化効果の嵐のような作品だ。

例えば異化効果はこのシーンにおいて以下のように機能している。老人を殺し終えライフルで頭を撃ち抜いて自殺するこの若者は「俺のやっていることは善だ」と考える。本来であれば「非難されるべき」殺人を「称賛されるべき」ものへと意味を反転させている。悲惨な殺人の情景を、あえて艶やかな音楽で包むというテクニックが異化効果を生み、シーンの内容をグッと補強しているのだ。この価値観の転覆は、映画全体にわたって徹底されており、殺人による恐怖や罪悪感に苦しんだ挙句ライフルで吹っ飛ばしたくなるようなヤワな脳みそを持たない制度〈PLAN 75〉は以降、安楽死を善とし、しゅくしゅくと人を殺してゆく。これは果たして是か非か、難題への解答は観客に委ねられる。

しかし冒頭にも述べたように、私の関心は今作の安楽死や高齢化問題というテーマには向かわず、主人公である角谷ミチが〈PLAN 75〉を決心する過程ただその一点にのみひた走った。彼女が死を選んだ「本当の理由」は年齢でもなく、寂しさでもなく、金でもない。その理由を追求した先に、お人好し、角谷ミチの醜さがついに顔を覗かせる。

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