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【雑記】Call me by your name


アマプラが今月いっぱい(今日)でCMBYNの配信終了という死刑宣告をしてきたのでこれを書きました。

ですが私が映画の考察を忘れないためのメモかつ、日記のようなものになります。
よって駄文です。
やっぱりそれは違うなってなったり、新たに考えたことがあれば追記していきます。


〈作品概要〉

以下公式サイトより引用
『17歳と24歳の青年の、初めての、そして生涯忘れられない恋の痛みと喜びを描くまばゆい傑作。』
【あらすじ】
 1983年夏、北イタリアの避暑地。17歳のエリオは、アメリカからやって来た24歳の大学院生オリヴァーと出会う。彼は大学教授の父の助手で、夏の間をエリオたち家族と暮らす。はじめは自信に満ちたオリヴァーの態度に反発を感じるエリオだったが、まるで不思議な磁石があるように、ふたりは引きつけあったり反発したり、いつしか近づいていく。やがて激しく恋に落ちるふたり。しかし夏の終わりとともにオリヴァーが去る日が近づく……。

※以下作品ネタバレオンパレード

〈感想的な〉

 この作品の主演2人であるティモシーもアーミーもインタビューで何度か"Love is love"って言ってたんだけど、本当にその言葉の通りだね。愛は愛でしかなくて、性別によって愛の形は変わるなんてことは本来ないのよね。(ただ、同性愛が異常とされてきた文化によって、それを曲げざるを得ない(諦めるとか裏切るとか)ことに結果としてはなっている)

 好きなシーンを挙げるとすれば、
 ・オリヴァーが一向にドアを静かに閉めない場面たち
 ・エリオのパパ(サミュエル)が晩御飯の時に、スキップ?しながら席に駆け寄ってくる所
 ・オリヴァーのダンス(みんな大好き)
 ・エリオがタバコ吸って茶飲むところ
 ・エリオがピアノ弾くところ全て などなど

 結末は正直、まあそうなるんだろうなという感じだった。それでも映画を観終わった後は本当に心が空っぽになってしまったし、エリオもだけど私がめちゃくちゃ傷ついた…
 毎年夏が終わる時期になると抱く何か大切なものを失った感じというか、漠然と悲しくなるあの感じの余韻が残った。

 そしてこの映画はひたすらに美しいんだけど、その美しさには「あの頃」の夏の輝きであったり、エリオとオリヴァーの愛の美しさが表現されているなと思った。(※追記 この愛の美しさというのはちょっと違うかなと思ってきた。オリヴァーは最後エリオを裏切るわけで、またエリオもオリヴァーとすったもんだある中でマルシアともすったもんだしてる。完璧に美しい愛かと言われると全然違う。でもこういうことをしてしまった背景に何があるかを考えた時に、一番は同性愛を否定されてきたことがあるかもしれないなあとも思う。オリヴァーは彼自身の親とか周囲の目について喋ってたし、エリオは両親はアカデミックだったから彼らは受け入れてくれるけど、でもエリオ自身はゲイの人たちを揶揄う?ようなことしてパパに怒られてたし、自分がゲイであることを容易には受け入れられてはないのかなとは思う。もし彼らが同性でなければ、このお互いの裏切りはなかったかなとか思ったり。)"Summer 1983" "somewhere in northern Italy"で物語が始まってて、それが「当時を回想している感」。思い出は美化されるってやつかな。
 曲も美しさに拍車をかけているので、ぜひ映画観終わった後フルで聴き直してほしい。特にオープニングには私惚れてしまって、最初の5秒だけでも胸が締め付けられる感じがする(割と冗談じゃなく)。これ、わかってくれる人がいたらとても嬉しい。


〈考察〉

さて考察、下書きの段階であまりに長いのでPART2多分作る…

「饗宴」について

 この作品は考察する余地ありまくりなんだけど、一番これ!!!!これがこの作品の核!!!!ってなるのはプラトンの「饗宴」
 「饗宴」の中でも絞って、一番重要視されているようなアリストファネスの演説だけとりあえず!超平易に以下説明(※本のネタバレ)
 ・人間の性は3種類あったー男、女、男女(おめ)→男女は両性を結合した性
 ・それらはいずれも二体一身で、4本の手足と2つの顔とただひとつの頭の球状の身体(男男、女女、男女)
 ・彼らはそれぞれ太陽・地球・月からの出であるため球状であり、まためちゃくちゃ強くて神に挑戦したりしていた
 ・それでやばいってなったゼゥスと他神々は、彼らの力を弱めるために身体を真っ二つに切った
 ・その傷跡を修復する過程でヘソとかできたりした
 ・それによって半身は自分の片割れを求め続け、再びひとつになろうとしている
(参考文献:プラトン「饗宴」、久保勉訳、岩波文庫、1952、pp.83~86)
となります。この思想が含まれるであろう箇所を以下にいくつか。

映画ポスター


 まず内容以前に映画のポスターデザインもちょっとこの思想意識してない??
 映画のポスター何種類かあるんですけど、是非検索してみてほしい。共通して身体の一部分(首から頭にかけて)だけ触れていて、それ以外は離れているのね。まさに「自分の半身を見つけてひとつになろうとしている図」じゃないですか????最高

テーマカラー


青と黄色は「補色」の関係
色相環で反対の位置に置かれる組み合わせ
この補色は互いに色を引き立て合う相乗効果がある。また混ぜると本来ならグレーになるらしい(ただ光の関係で緑?ここら辺がちょっと調べ不足)
これは正直消化不足かつ考えすぎじゃんってさすがになっているので私が考えるの頑張った記録として残す

"Call me by your name, and I'll call you by mine."


「君の名前で僕を呼んで、僕の名前で君を呼ぶ」
 オリヴァーがエリオに唐突に言い出すシーン。最初に映画予告でこれ見た時、ほんとに「は?」ってなってしまったけども、そりゃあちゃんと意味あるよね…
 これも結局、互いの名前を自分の名前にするっていう行為が、「ひとつであること」だったんね。エリオもこれ言われたとき最初「は?」ってなったよね絶対。でも彼頭良いから多分すぐこれ察したんだろうな。
 エリオ彼シャツ案件にもこの方式あった。(ハンガーに"for oliver from elio")てかそもそも彼シャツ自体もそれだわ。そしてダビデの星ネックレスもそれだわ。相手の物(もしくはそれとおソロ)身に着けるとかひとつになるそれじゃんね!!!お揃いの物身につけたがるカップルは割と今でもいると思うけど、これ分かっててやってるかな???わかってたら一層ロマン増す

アプリコット、peach scene🍑

(原作確認したところやっぱりpeach sceneはちゃんと桃って表現をされていたので訂正しました)
 アプリコットと桃がごっちゃになるんだけど、アプリコットだけにしておけば考察する上では楽なんだけど、なんで例のシーンは桃を使ったのか、、?それとも2種類とも同じようなものとしてる?
 エリオが🍑を使って自慰行為をし、その痕跡をオリヴァーに見つかり、オリヴァーがその使ったやつを食べようとし、エリオが泣き出すというびっくりシーン。ルカ(監督)は最初、桃ででできるわけないだろうと思ってたけど、自分でやってみたらできて、ティモシーに「できたよ!!!!」って報告したらしい。誰が聞きたいんだそれ。
 で、オリヴァーがそのエリオの体液のついた桃を食べようとしたのも、ひとつになろうとしたわけだ。動機に一貫性があって大変よろしい
 そしてアプリコットの話に戻るけども、アプリコットの語源が作中でもあったように、ラテン語で「早熟」という意味のプラエコカム、プレコクエレ。ここからは少年愛の話に関わってくるかなと思います。

少年愛

 かつての古代ギリシアでは少年愛という、大人の男性と少年の恋愛が普通に起きていたらしい。有名な哲学者の多くは同性愛経験者らしいし、ソクラテスとかプラトニックラブだ!!とか言うて恋人の少年をキレさせたとかっていう話もあるっぽい(そこら辺調べてないから後日調べたい)。以下、『ギリシア人の性と幻想』(吉田敦彦、青土社、1997)の内容を参考にして少年愛の説明をすると、
 ・構図としては 大人の男性ー10代の美しい少年
 ・女性に性欲を抱くのと全く同様に、当たり前のことと見なされていた
 ・「少年」というのが、年齢は正確に決まっているわけではない
 ・なぜなら「正常」な同性愛かどうかは、年齢じゃなくて体毛の有無で決まる 
 ・髭とか濃い体毛が生えればどうなるかというと、その途端に大人たちにとっての少年の魅力は失われ、体毛を嫌悪し、離れていく
 ・勿論それで少年は自尊心を深く傷つけることもある

 この扱い酷いなと思うし、私の知らなかった世界ですごく面白い。この本読み進めてたら、当時の喜劇の話があったんだけど、あまりに下ネタが酷すぎて読みながらドン引きしたし、本当この国ぶっ飛んでんなと思った。
 で!つまり体毛が生え、成熟した大人の男性になる=少年としての魅力は失われ、「別れ」がくる構造になっていて、これがエリオとオリヴァーに当てはまる。
 エリオは熟した桃(=アプリコット???納得いかない)で自慰し、オリヴァーに食べられそうになったことで、自分は大人になってしまい、オリヴァーと自分に待ち受けるのは別れなのだということを察します。それで彼は強くオリヴァーに食べるのを止めさせようと拒み泣き始めてしまうというわけです。
 ちなみに体毛の話だと、エリオが前半で髭をそったり、脇毛を気にしたりする場面がある。そしてここら辺のエリオの言動が、初恋かよってくらいワタワタしてたり空振ったりしてて本当かわいらしい…初恋かな…

オリヴァーの脇腹

 オリヴァーは自転車で転んでしまい脇腹に怪我を負ったって言ってた場面。まあ私は「どんなこけ方したら脇だけそんな削れる????」とか思ったわけですが。
 この脇腹っていうのが、イエス・キリストの贖罪における脇腹負傷がそれぽい。イエスにとって脇腹の傷は償いの象徴であり、オリヴァーにとっては80年代同性愛が排除されてきた時代で、エリオを愛する「罪」を犯してしまったって意味合いになる。その証拠?としてその傷は、オリヴァーがエリオと初めてキスをした場面で化膿し悪化する。
 他にも、こういった「同性愛=悪である」っていうメタファーはいくつかあって、私が映画を観た時に同性であることをあまり感じさせなかったとは言ったんだけど、そういった環境でも影にはやっぱり同性であることの罪深さが付きまとっていたのかなとは思う。

「別離」の曲

 エリオがギターで演奏していた曲は、
バッハのカプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに寄せて」第5楽章 郵便馬車の御社のアリア
 この曲はいわば「別離」の曲であり、5楽章以前まででは別れを惜しみながらも友人たちは見送るという構成になっている
エリオはその曲をわざと元の感じで弾かずに、○○風にアレンジしたのを弾く。最初はオリヴァーとの距離を測りかねてひねくれた言動に突っ走ってしまう思春期男子ってことかとか思ってましたけど、結末を知っている今となっては別れを引き延ばしたかったんだな…って悲しくなっている。(勿論この時の2人はそこまで意識してないんだろうけど)
にしてもなんで別れの曲を選んだんだおめえ。。。ってなってはいる。

とりあえず、ここで一度切ります。尻切れトンボ状態ですが、まあ自分のためのものなので…
他にもハエの話とかギリシア彫刻の話とか登場する本の話とかまだ考察の余地はたくさんあるし、「饗宴」も書ききれてないので、続きも頑張って文字に起こしたい…



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