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歳時記を旅する28〔雲の峯〕前*峯雲の一つ根ささへ大講堂

土生 重次
(昭和五十七年作、『扉』)

積乱雲を「雲の峰」と言うのは、中国の陶淵明や杜甫の詩の影響による。

江戸では、夏の雲のことを、利根川の方向に立つことから、「坂東太郎」と言った。

だが、あまり知られていないからか、幸田露伴は「坂東太郎は未だ古人の文に其風情をしるされざるにや、雲にも人に知らるゝ知られざるのあるもをかし。坂東太郎は東京にて夏の日など見ゆる恐ろしげなる雲なり。」(「雲のいろいろ」一八九七)という。

 利根川は、徳川家光の頃の一六二一年の「利根川東遷」までは、東京湾に流れ込んでいた。

雲の立つ方角はどちらか。
東遷以前の下流なら北東、上流ならば北西、と幅が広い。

 句は、「早稲田大学」の前書きがある。雲の峰の足元の頼りなさを大隈記念講堂が支える。こちらは都の西北にある。
 (岡田 耕)

(俳句雑誌『風友』令和四年七月号「風の軌跡ー重次俳句の系譜ー」)


   

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