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選評*読み聞かす半ばに寝落ち冬灯

読み聞かす半ばに寝落ち冬灯 岡田耕

 絵本を卒業して物語をせがむようになった我が子。今宵読み聞かすのはどんな物語だろうか。すぐに読み終えてしまう絵本と違って物語となるとそうすぐには終わらない。読み聞かせている内に寝落ちてしまったと言うのだ。
    一緒に布団に横になってか、あるいは枕元に座って読んでやっていたのか、一つ灯の下に憩う親と子の何ともほのぼのとした温みを感じる景。

 ところで「冬灯」と言えば「さむざむとした冬の灯は、じっと身じろがずともっている感じである。
    寒灯となると、いっそうその感じがきびしい。寒灯の投影は冴えきって、寒さも窮まったという感じがする。」(『図説俳句大歳時記』角川書店)と解説にあるように、元来冬灯、あるいは寒灯は寒さを強調し、それを象徴するような明りである。

    しかし掲句の「冬灯」はそんな厳しい寒さよりも、むしろ温かみを感じる。
    その原因は上五、中七に詠われた親子のほのぼのとした景にあるのだろうが、だとすると作者は下語の季語の斡旋を間違えたという事になるのだろうか。
    しかし何度読み直してもこの「冬灯」に違和感を感じられない。
    それどころか、一つ灯に寄り添って子に物語を読み聞かせるのは他のどの季節の灯よりも冬の灯にピッタリしたのを感じる。
    ちなみに夏の灯では暑苦しいし、秋の灯は澄んで理性的な感じで、春の灯は温みもあるが情緒が勝る。

 離れて見る冬の灯は確かに冴え冴えとして寒さを強調する明りだが、寄り添う冬の灯は周りが寒ければ寒い程温かく、親しいという感じで、逆に他のどの季節の灯より温みを感じさせてくれる灯でもある事を教えてくれた一句である。

(磯村光生)

俳句雑誌『風友』令和三年五月号「-風紋集・緑風集選評ー風の宿」磯村光生



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