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ゆっくり深読み 中島みゆきの『ヘッドライト・テールライト』その31「大林宣彦&横溝正史の 金田一耕助の冒険」


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A MOUSOU


(本作品は著者の身体に憑依した横溝正史の霊が世間で駄作の烙印を押されている大林宣彦の映画『金田一耕助の冒険』を種明かしするという妄想です。ネタバレどころか横溝文学の秘密の核心部分にも踏み込みますので予め御了承ください)




なんてこった…

映画『卒業』も主題歌『サウンド・オブ・サイレンス』も、フラ・アンジェリコの『受胎告知』が元ネタだったとは…


ふふふ。「彽徊ていかい」から思わぬ長話をしてしまったな。

では夏目漱石『三四郎』最終章、丹青会の『森の女』に戻ろうか。


 原口さんの絵はでき上がった。丹青会はこれを一室の正面にかけた。そうしてその前に長い腰掛けを置いた。休むためでもある。絵を見るためでもある。休みかつ味わうためでもある。丹青会はこうして、この大作に彽徊する多くの観覧者に便利を与えた。特別の待遇である。絵が特別のできだからという。あるいは人の目をひく題だからともいう。少数のものは、あの女を描いたからだといった。会員の一、二はまったく大きいからだと弁解した。大きいには違いない。幅五寸に余る金の縁をつけて見ると、見違えるように大きくなった。

夏目漱石『三四郎』


西洋画家の原口さんが描いた美禰子の絵『森の女』とは、フラ・アンジェリコの絵『受胎告知』のこと…

本当なのでしょうか?


世間ではこの絵が『森の女』だとされている。



しかし本当はこれだ。

漱石は、マリアの頭部と重なるように描かれた丸い halo(後光・光背)を、丸い団扇に見立てた。

差してくる光を遮っているように見えるから。



そして漱石は『森の女』のすぐ前に腰掛けの長椅子が置かれていると説明した…

確かに『受胎告知』のマリアのすぐ目の前にもベンチが置かれている…


あれだけ意味深に描かれたベンチを無視するわけにはいかないだろう。

米津玄師も『Lemon』のミュージックビデオできっちり再現していたな。



宮崎駿も『千と千尋の神隠し』で…



だから、あの後に父と母は堕落した。

まだ性欲を理解できない千尋の妄想世界で肉欲の豚と化したわけだ。



父と母は、アダムとイヴ…

謎の中華料理は、禁断の果実・知恵の木の実…

そして父と母が肉欲に溺れる姿を店の外から見ている千尋は、アダムとイヴの失楽園を後ろから見ている天使…

宮﨑駿は完璧にフラ・アンジェリコの『受胎告知』を再現している…


おそらくあの店の名前は「失楽園」なのだろう。

中華料理屋は「○○園」という名が多いからね。


確かに…



ちなみに漱石は「彽徊」という言葉を「何かに明確な答えを出さず、曖昧で、ぼんやりとした状態でいる」という意味で使っていた。

しかし「彽徊」という言葉のそもそもの意味は、「彽」と「徊」の字の構成からもわかるように、「頭を少し低く下げた状態で、すぐには理解できない複雑な問題に、行きつ戻りつ思いを巡らす」というもの。

つまり、フラ・アンジェリコの絵『受胎告知』に描かれる、天使ガブリエルと聖母マリアの前かがみポーズが、まさに「彽徊」なのだな。



なるほど… 確かに「彽徊」だ…

マリアは、結婚前の自分が処女のまま神の子を身籠るという有り得ない話に対し、最初は「なぜ?どうして?」と驚き戸惑ったが、天使ガブリエルの「神に出来ないことはない」という言葉を聞くと、もう理由や答えを求めることをやめて、頭を下げて let it be(あるがままに)と身をゆだねた…


そして漱石は、なぜ『森の女』が特別な絵なのかを、こう説明している。


会員の一、二はまったく大きいからだと弁解した。大きいには違いない。幅五寸に余る金の縁をつけて見ると、見違えるように大きくなった。

夏目漱石『三四郎』


『森の女』は大きな絵…

そして幅五寸に余る金の額縁に入っている…


三四郎が原口さんのアトリエを訪れるシーンで、『森の女』は六尺もある大きな絵だと説明されていた。

それが縦なのか横なのかは言及されていないことから、縦横共に「六尺」つまり約180センチ前後の長さの絵であることが読み取れる。

そして完成後は「幅五寸」つまり約15センチほどの金の額縁に入れられ展示されたという。


もしやフラ・アンジェリコの『受胎告知』も…


どんぴしゃり。



ほ、他の『受胎告知』は?


コルトーナの『受胎告知』も、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの『受胎告知』も、ほぼ同じ大きさ。

約6尺、180センチメートルの長さだ。


なんてこった…


そして『森の女』が特別なのは「題名」と「モデルの女」も理由だと漱石は説明した。


あるいは人の目をひく題だからともいう。少数のものは、あの女を描いたからだといった。

夏目漱石『三四郎』


絵の題名は「森の女」…

モデルになった女は「里見美禰子」…

本当は「森田草平の女」で「平塚らいてう」ですよね?

小説『三四郎』は、漱石の弟子森田と森田の教え子平塚の二人による、世間を騒がせたスキャンダル「塩原事件」の直後に書かれたものですから。


その通り。

既婚者の森田草平と、後に平塚らいてうと名乗る女学生平塚明(はる)の二人は、1908年(明治41年)の3月21日に東京から鉄道に乗り栃木県北部の塩原温泉へ旅立った。

そして23日の朝、まだ雪深い尾頭(おがしら)峠へ向かい、そこで心中を図った。

しかし、いざというところで森田が怖気づいてしまい、心中できないまま雪山の中で立ち往生しているところを捜索隊に発見される。

この事件が平塚の遺書と共に東京日日新聞でスクープされ、世間は大騒ぎになった。

夏目漱石の弟子で東大出のエリート文学士と、エリート官僚の娘でインテリ女学生の不倫心中未遂事件に、世間の人々は大きな関心を抱いたというわけだ。



でも二人の間には何も無かったんですよね?

いちおう不倫は不倫ですけど、肉体関係は無かった。


その通り。二人の不倫は肉の交わりが無かった。

森田と平塚は肉の交わりを罪だと考え、霊のレベルでの結合を目指したのだ。

だから3月23日に峠へ向かった。


どういうことですか?


3月23日に峠で心中をすれば、宿に帰ってこないと騒がれるのは夜になってからだ。

捜索は夜明けから始まるので、発見されるのは翌日の3月24日になる。

そうすると、新聞で報道されるのは3月25日。

つまり3月25日の新聞報道から逆算して、二人は心中のスケジュールを組んだのだ。


3月25日の新聞報道?

まさか…


そう。3月25日は「Annunciation(告知)」の日。



森田と平塚は、受胎告知日に新聞報道されるよう、心中の日を決めた?

そんな馬鹿な…


そもそも二人が心中をしようと思い立った理由は何だった?


イタリア人作家ガブリエーレ・ダンヌンツィオの薔薇小説『死の勝利』を読んで感化されたからです。

不倫関係の男女が最後に心中するという結末を、森田と平塚は真似た。



その通り。

しかし『TRIONFO DELLA MORTE(死の勝利)』の結末でカップルが心中するのは、イタリアのアブルッツォ州キエーティ県サン・ヴィート・キエティーノの岬「岸壁」だ。

聖書の逸話や『夢十夜』第十夜の「堕落の豚」のように、二人は崖から海に落ちて死ぬ。

感化されて真似たのなら、なぜ海の無い栃木県那須塩原の尾頭峠を選ぶかな?



あっ…


答えは簡単だ。

世間に知られる日が受胎告知日3月25日になるためには、24日に発見されなければならない。

しかし『死の勝利』のように崖から海に落ちたら、24日に発見されるとは限らないだろう?


ええ… 運が悪ければ、遠くまで流されてしまい、そのまま発見されないかもしれません…


だから森田と平塚は3月23日に海ではなく山で死のうとした。

Annunciation(告知)の日、3月25日に世間に知らしめるために。


信じられない… なぜ、そこまで…


ちなみに「Gabriele d'Annunzio(ガブリエーレ・ダンヌンツィオ)」という名前は、イタリア語で「受胎告知の天使ガブリエル」という意味になっている。



え?


だから彼の作品の多くは「受胎告知」が重要な意味をもち、様々な場面でモチーフに使われている。

もちろん『死の勝利』もそうだ。

物語の前半部の主な舞台 Guardiagrele(グアルディアグレーレ)では、Collegiata di Santa Maria Maggiore(サンタマリア大聖堂)の聖母子像が重要な存在として登場し…



物語の後半部の主な舞台 Casalbordino(カザルボルディーノ)では、Basilica santuario di Santa Maria dei Miracoli(奇跡の聖マリア礼拝堂)の祭り「聖母顕現祭」が重要な意味をもつ。



聖母顕現祭?

聖母マリアが現れたのですか? あの跪いている男の前に?


そう。あの男の名は農夫アレッサンドロ・ムジオ。

1576年のある日、彼の前に聖母マリアが現れた。


いったいなぜ?


その年、この地方は大災害に襲われた。

異常な長雨と大洪水で、農地や村は壊滅的な被害を受けたのだ。

多くの人々が死に、生き残った者もすべてを失った。

先祖代々この地で暮らしてきた村人は散り散りになり、男たちはイタリア各地へ出稼ぎに行き、女たちは旅人相手に身体を売った。

そんな悲惨な状況を目の当たりにした農夫アレッサンドロは、大地に跪いて神にこう問いかけた。

「なぜ神はこのような大きな悲しみを人に与えるのか?」

「なぜ苦楽を共にしてきた家族や仲間たちが離れ離れにならなければいけないのか?」

すると彼の目の前に聖母マリアが現れた。

そしてこう言った。

「神がなすままに。身を委ねなさい」


ん? これって…


わたしの『悪霊島』の主題歌に使われたビートルズの名曲『LET IT BE』…

おそらくポール・マッカートニーはダンヌンツィオの『死の勝利』を読んでいた。

だからあんな夢を見たのだ。



マジですか…


ふふふ。間違いないね。

ちなみにダンヌンツィオは『死の勝利』を発表した翌年から、同じように聖母マリアをテーマにした三部作を書き始めた。

第一部は『LE VERGINI DELLE ROCCE(岩窟のマドンナ)』…


岩窟のマドンナ?


『Vergine delle Rocce(岩窟のマドンナ)』
Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ)


そう。

♬初めてのルーブルは なんてことはなかったわ♬

と宇多田ヒカルが歌った「私だけのモナリザ」のことだな。



ルーヴル美術館にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの『岩窟のマドンナ』は、水の中から巨大な手が出て来て、洞窟の中の人たちの頭上を覆い守っているように見える…



庵野秀明くんは面白いね。

そしてダンヌンツィオ三部作の第二部は『LA GRAZIA(神の恵み)』


ラ・グラツィア… 神の恵み…


ちなみに、これは余談だが…

『エヴァンゲリオン』で碇シンジの声を担当した声優の苗字「緒方」は九州地方に多い苗字で、もともとは「大神」氏だった。

つまり緒方恵美とは大神恵美。



緒方恵美は、大神の恵み…


そしてダンヌンツィオ三部作の完結篇は、そのものずばり『L'ANNUNCIAZIONE(受胎告知)』だ。

残念ながら第二部以降は未発表のままダンヌンツィオはこの世を去った。


ガブリエーレ・ダンヌンツィオという名前だけあって…

本当に聖母マリアと受胎告知を生涯のテーマにしていたんですね…


名は体を表す。

夏目漱石の本名「金之助」は「鋤(すき)」、だから金田一は「耕」助。

「里見美禰子」と「小川三四郎」もそうだな。


え?



つづく




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