深読み_スプートニクの恋人_第21話あ

『深読み 村上春樹 スプートニクの恋人』第21話「ラ・ボエーム中篇~冷たき手を~」


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スナックふかよみ にて




では、サリンジャー『THE CATCHER IN THE RYE(ライ麦畑でつかまえて)』の元ネタとなったプッチーニ『La Bohème(ラ・ボエーム)』について簡単に解説しよう。

『THE CATCHER IN THE RYE』の「解釈」である『スプートニクの恋人』にとっても『ラ・ボエーム』は重要な作品だからね。

面白くなってきやがったw

でも岡江クン…

まさか全四幕を解説する気じゃないでしょうね?

さすがにそんな時間はない。

第一幕のあらすじと、主人公カップルの自己紹介ソングだけにしておくよ。

そこだけ説明すれば、あとはもう誰でも知ってるイエス・キリストの物語になっているから想像はつくだろう。

・・・・・

第一幕は、クリスマスイブの夜、四人のボヘミアンが住む屋根裏部屋が舞台。

彼らは自由と放蕩の日々を愛する芸術家の卵で、宵越しの金は持たないことを美徳とする江戸っ子の職人みたいな連中だ。

まず冒頭で、あまりの寒さに耐えかねた詩人のロドルフォが、ボツ原稿を暖炉で燃やし始める。

そしてそれを「世界の損失だ!」と嘆く。

詩人ロドルフォは使徒ペトロだったわよね。

新約聖書には使徒ペトロが書いたとされる『ペトロの手紙 一&二』が収録されている。

だけどペトロの名を冠したものには『ペトロ外伝』や『ペトロの黙示録』という作品もあって、こちらはボツになって新約聖書には入らなかった。

そのへんを「世界の損失」と言ってるんだろう。

使徒ペテロを演じるにあたって「ロドルフォ」という名前も重要だよな。

どうして?

「ロドルフォ」って「ルドルフ」のことでしょ?

全然「使徒ペトロ」と関係ないじゃん。

関係なくはないんだな…

「Rodolfo」って古ゲルマン語で「高貴な狼」って意味なんだよ…

そして「高貴な狼」といえば、ローマ…

ローマといえば、ローマ・カトリック初代教皇ペトロ…

ああ!ローマのシンボルの狼!

記号と象徴…

なんか言った?

いえ、なんでも…

ロドルフォが原稿を燃やしていると、そこに音楽家ショナールが三人の従者を引き連れて帰って来る。

ショルナールは旨いことやって、ちょっとした小金を手にしたんだよね。

三人の従者は「食料・薪・煙草」を屋根裏部屋まで運んで来た。

クリスマスに「乳香、没薬、黄金」を届けに来た「東方の三博士」ね(笑)

四人は長らく家賃を滞納してる身分なんだけど、久しぶりにまとまったお金を見てテンションが上がりまくってしまう。

そしてそのお金で夜の街へ繰り出そうと盛り上がるんだ。

行先は「Café Momus」という店…

カフェ・モー娘?

カフェ・モミュス。

モミュスでもモームスでも大して変わんないでしょ。

別にカフェの名前なんて、どうでもよくない?

よくなくなくなくなくなくない。

は?

「Momus(モミュス)」とはギリシャ神話に出てくる神のこと。日本では「モモス」とか「モーモス」とも呼ばれる。

「Momus」は「道化・風刺・皮肉」の神だ。

つまりこの『ラ・ボエーム』という作品が「聖書のパロディ」であることのネタバレになってるんだよ。

マジで!? それ面白過ぎる(笑)

天才作家は無駄なことをしない。すべてに必ず意味がある。

さて、そんな四人のもとに、滞納された家賃を催促しに「家主」がやってくる。

「家主」って強調したけど、そこもポイントなの?

「家主」とは「この世界の主」つまり「天の父」のことなんだ。

そう来たか。

家賃を払いたくない四人は、ワインを飲ませて家主を上機嫌にさせる作戦に出る。

すると、酔っ払った家主は自慢話を始めるんだ。

「俺はこの前、いい女と不倫したんだぞ」って。

それって、相手は聖母マリアってこと?

そういうこと。

四人は家主の不倫を責め立て、家主は這う這うの体で逃げ帰る。

勝利したボヘミアンたちは、カフェ・モミュスへ繰り出そうと気勢を上げるんだけど、詩人ロドルフォだけが仕事の続きをすると言って部屋に残ることになった。

そしてロドルフォが仕事をしていると、誰かが部屋のドアをノックする。

それは、カンテラ(携帯用ランプ)の火を借りに来た、お針子のミミだった。

病弱なミミはロドルフォの前で倒れてしまうんだけど、ロドルフォが介抱して元気を取り戻す。

そしてロドルフォはミミのカンテラに火を灯してあげた…

使徒ペトロと「携帯用の灯り」といったら、これね(笑)

『ペトロの否認』ホントホルスト

その通り。『ラ・ボエーム』は聖書の名場面が随所に散りばめられているんだ。

さて、一旦は自室へ帰っていったミミだけど、またロドルフォのいる屋根裏部屋へ戻ってくる。

さっき倒れた時に「鍵」を落としてしまったんだよね。

大変! それって天国の鍵なんでしょ(笑)

二人が鍵を探し始めようとすると、突然風が吹いて来て二人のカンテラが両方消えてしまう。

仕方なく二人は暗闇の中で手探りで鍵を捜し、ついにロドルフォが落ちていた鍵を見つける。

やっぱりペトロが「天国の鍵」をゲットね!

だけどロドルフォは、鍵を見つけたことをミミに内緒にした。

そして鍵を捜すふりをしてミミの手を握るんだ…

来た!

そしてロドルフォは、ミミの手を取りながら歌い始める…

ロドルフォの自己紹介ソング『Che gelida manina(冷たき手を)』だ。

歌はこんなふうに始まる。

Che gelida manina !
Se la lasci riscaldar.
Cercar che giova?
Al buio non si trova.

何て冷たい手だ!
僕に温めさせてください
探してどうなるというのです?
暗闇では鍵は見つかりません

イエスといえば「手」よね。

だから明菜ちゃんの『LA BOHEME』には「罪な指 赤い傷の在りか 爪でなぞるわ」って歌詞があったのか…

『スプートニクの恋人』のラストも「掌の傷と血の痕を捜す」というものだ。

ちなみに中森明菜の『LA BOHEME』では、女体をギターに喩えている。

いっぽう『スプートニクの恋人』のヒロイン「すみれ」の学名は「ヴィオラ・マンシュリカ」だけど、ヴィオラはバイオリン型の楽器の総称でもある。

ギターもヴィオラも流線形で腰がくびれた女性の体みたいだもんね。

・・・・・

さて、突然ロドルフォが手を握ってきたもんだから、ミミは驚いて逃げようとした。

だけどロドルフォは、こう続ける…

Aspetti, signorina,
le dirò con due parole
chi son, e che faccio,
come vivo. Vuole?

ちょっと待って、お嬢さん
あなたに一言で説明します
僕が何者なのか?
何をしていて、どのような暮らしなのか?
聞きたいでしょう?

なるほど。確かに「なぞかけ」っぽい。

そしてこう続く…

Chi son?
Sono un poeta.
Che cosa faccio? Scrivo.
E come vivo? Vivo!

僕は何者なのか?
詩人です
何をしているのか?
書いています
どのように暮らしているのか?
生き生きと!

もしかして…

「poeta(詩人)」と「petro(ペトロ)」の駄洒落とか?

そういうこと。

ロドルフォは「自分を一言で言うとペトロです」と歌っているんだね。

笑えるな(笑)

ロドルフォは、こう続ける…

In povertà mia lieta
scialo da gran signore
rime ed inni d'amore.
Per sogni e per chimere
e per castelli in aria,
l’anima ho milionaria.

貧しくても心は錦
それが男の心意気
愛の詩や愛の賛歌
夢や幻想に天空の城
僕は魂の億万長者

魂の億万長者って(笑)

さすが「人を獲る漁師」で「天国の城門」の鍵を持っているペトロね。

てか「天空の城」って言っちゃってるし(笑)

そしてロドルフォは、またこんな「なぞかけ」を始める…

Talor dal mio forziere
ruban tutti i gioelli
due ladri: gli occhi belli.

そんな僕の心の金庫から
全ての財宝が奪われてしまいました
”美しい瞳”という二人の盗賊によって

V'entrar con voi pur ora,
ed i miei sogni usati
e i bei sogni miei,
tosto si dileguar !

たった今、その二人の盗賊は
あなたと一緒に僕の目の前に現れ
僕が見ていた美しい夢は
儚くも消し去られてしまいました!

”美しい瞳”という名の二人の盗賊がミミと一緒に現れた?

三人の美女泥棒ってこと?

なんか『キャッツ・アイ』っぽい。

ロドルフォは、人の心を虜にするミミの瞳を「二人の盗賊」に擬人化しているんだけど、同時にこれは十字架刑の場面を歌っているんだね。

イエスは「二人の盗賊」と一緒に、ゴルゴダの丘で磔になったから…

『磔刑図』アンドレア・マンテーニャ

あ!なるほど!

そしてロドルフォは、こう続ける…

Ma il furto non m'accora,
poiché, v'ha preso stanza
la dolce speranza !

だけど僕にとって盗まれたことは
悲しいことではないのです
なぜならそこには
甘美な希望が残されていたのですから!

そうよね。

ペトロにとって師イエスの肉体が奪われたことは悲しみではない。

希望の始まりなのよ。

実に巧みな歌詞だよね。

そしてロドルフォの歌は、こんなふうに締め括られるんだ…

Or che mi conoscete,
parlate voi, deh! Parlate.
Chi siete? Vi piaccia dir?

これであなたは僕のことがわかったはず
さあ今度はあなたの番です
あなたは誰ですか?
話していただけませんか?

今度はミミの自己紹介ソングね。

どんな「なぞかけ」で来るのかしら?



つづく


         


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