深読み_スプートニクの恋人_第18話あ

『深読み 村上春樹 スプートニクの恋人』第18話「スナフキンのマグカップ」


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スナックふかよみにて



では、すみれの創作風景の描写を見ていこう。

 夜の十時になると彼女は机の前に座る。熱いコーヒーをたっぷり入れたポットと、大きなマグカップ(ぼくが誕生日にプレゼントした。スナフキンの絵がついている)と、マルボロの箱と、ガラスの灰皿が前にある。もちろんワードプロセッサーがある。ひとつのキーが、ひとつの文字を示している。

プンプン臭うな。

また?

確かに「スナフキン」とか「マルボロ」とか、ちょっとアヤシイ感じするけど…

ここで村上春樹は、またもやジョークを連発させている。

夜の十時に机の前に座るすみれ…

いったい何を表現しようとしているのか、わかるかな?

えー。わかんなーい。

すみれは「イエス」…

夜の十時に「大きなマグカップ」を持って「机の前」に座るといえば…

あっ!わかった!

ゲツセマネの祈りね!

『ゲツセマネの祈り』
アドリアーン・ファン・デ・ヴェルデ

「机の上の熱いコーヒーと大きなマグカップ」は「テーブルのような岩に置かれた聖杯」のことだったんだね。

あの聖杯には「苦すぎる十字架の宿命」が満たされていた。

そしてそれは、全身から血の汗が噴き出るくらい「熱い」ものだった…

「十時」と「十字」の駄洒落にもなってるのね。

さすが村上春樹!

・・・・・

そして、すみれ愛用のマグカップは「ぼく」が誕生日にプレゼントしたものだった…

「ぼく」は「聖霊・キリスト」だったよね。

つまり「死の杯」は「聖霊・キリスト」が「イエスの誕生日」に手渡したものという意味になっているんだ。

だからクリスマスの朝にカササギは家畜小屋の屋根の上で鳴いたんだよな。

「悲しみの子が生まれた!」って。

それで「ぼく」は(ぼくが誕生日にプレゼントした)なんてアピールしてたのね。

「天の父」と「子イエス」に比べてイマイチ影が薄い「聖霊」だから(笑)

そういうこと。

じゃあ「スナフキン」は?

まさか「ロンサム・トラヴェラー(孤独な旅人)」つながりとか、そんなベタな理由?

村上春樹を甘く見ないでほしいな。

そんな子供でも思いつくような理由でスナフキンの名を出したりはしない。

わかった。スナフキンの旅の目的地「おさびし山」でしょ。

すみれも「おさびし山」で姿を消したもんね…

それもあるけど、「スナフキン」には、もっと重要な意味が込められてる。

何?

『THE CATCHER IN THE RYE(ライ麦畑でつかまえて)』と「聖書」を想起させるためだよ。

「スナフキン」は「ホールデン」と「イエス」の象徴なんだ。

ええ!?マジで!?

・・・・・

そもそも村上春樹は「すみれ」というキャラクターに「ナザレのイエス」だけでなく、ムーミンの生みの親「トーベ・ヤンソン」も投影させている。

トーベ・ヤンソンは「ヘビースモーカー」で「レズビアン」でもあったからね。

『煙草を吸う女(自画像)』
TOVE JANSSON

ヘビースモーカーでレズビアン…

なんかムーミンのイメージとは違うわ…

そんなことないよ。

ムーミントロールたちの外見が中性的で男女ほぼ同じなのは、バイセクシャルだったトーベ・ヤンソンの思想が反映されているからだろう。

それにムーミンシリーズって実は内容がかなり尖がっている。ヨーロッパの伝統的なキリスト教価値観に対する問いかけみたいなものが、随所に描かれているんだ。

そうなんだ…

ただの「ゆるキャラ童話」じゃないのね…

ちなみにトーベ・ヤンソンが最初に恋に落ちた女性は、劇場経営者のヴィヴィカ・バンドラーだった。

Vivica Bandler

フィンランドのヘルシンキで生まれたヴィヴィカは、映画監督になりたくて学生時代にフランスへ留学。だけど映画監督になる夢は叶えられず、帰国後はヘルシンキで劇場経営者となり、オーストリア人男性と結婚する。

そしてムーミンを書き始めた頃のトーベ・ヤンソンは彼女と出会い、激しい恋に落ちた…

ちょっと待って…

若い頃にフランス留学してたり、夢を諦めて経営者になったり、夫がいるのに小説家志望の女性と恋に落ちたり…

まるで『スプートニクの恋人』の「ミュウ」じゃん…

「まるで」じゃなくて「そのまんま」なんだよ。

語学が堪能なところも一緒なんだ。ヴィヴィカはフィンランド語・スウェーデン語・フランス語・ドイツ語が出来た。

だからトーベ・ヤンソンと一緒に仕事をするようになり、ムーミンの翻訳も手掛けたんだよね。

しかもヴィヴィカの父親はヘルシンキ市長などを務めた著名な政治家で、銅像も作られるほどの人物…

父親が銅像に!? 完全にミュウじゃん!

完全にミュウだな(笑)

・・・・・

おそらく村上春樹は、トーベ・ヤンソンの『Moominsummer Madness(邦題:ムーミン谷の夏まつり)』に強い関心を持っていたはずだ。

なぜなら『ムーミン谷の夏まつり』は、サリンジャーの『THE CATCHER IN THE RYE(ライ麦畑でつかまえて)』と非常に多くの共通点があるから。

どちらも「聖書」を題材にした物語なんだよね。

『ライ麦畑でつかまえて』では、主人公ホールデンと妹フィービーが「イエス・キリスト」を演じる。

そして『ムーミン谷の夏まつり』では、主人公ムーミンとスナフキンが「イエス・キリスト」を演じる。

えっ!?

『ムーミン谷の夏まつり』って英題が『MOOMINSUMMER MADNESS』なの?

「ムーミン夏の狂気」?

そうだよ。

この作品の中でトーベ・ヤンソンは「聖書」のストーリーを再現しながら、さらにシェイクスピアの『真夏の夜の夢』と『十二夜』のアイデアを融合させるという手法をとっている。

だからそれにちなんだタイトルになったんだ。

そもそもスウェーデン語の原題も、それに近い『Farlig midsommar』というものだからね。

そうなんだ…

でも表紙は「大洪水」とか「流されてきた赤子」とか『旧約聖書』の世界観よね?

新約要素もあるの?

『ムーミン谷の夏まつり』では「旧約聖書」と「新約聖書」のストーリーが同時進行していくんだ。

旧約のシーンを演じながら、それがいつのまにか新約の場面になっている…みたいな感じでね。

これも『ライ麦畑でつかまえて』と全く同じ構造なんだ。

・・・・・

そしてスナフキンとホールデンの言動がそっくりなところも興味深い。

ホールデンは、社会のほとんどのものは「いんちき」だと言い、そんな汚れた世界に抵抗しようとする。

そして「ライ麦畑の中で子供たちが崖から落ちるのを防ぐキャッチャーになりたい」と夢を語るんだ。

かたやスナフキンも、「〇〇禁止」の立て札で埋め尽くされた公園に怒りを止められず、全部引っこ抜いてオトナ社会に抵抗する。

これはイエスが麦畑でユダヤの律法原理主義者に対し怒りをぶちまけた逸話が元ネタだね。

そしてスナフキンは「葦の茂み」で小さな子をキャッチし、公園内に住んでいた行き場のない子供たち24人の面倒を見る。

24人? イエスと弟子なら12人じゃなくて?

「12」だとそのまんま過ぎるから「24」にしたんだよ。

壺井栄の小説『二十四の瞳』と同じ手法だね。『先生と十二人の教え子』じゃ読む前から筋書きがわかってしまう。

なるほど…

ムーミンなんて小学生の時に読んだだけだから、あらためて読んでみるのも面白そう。

子供の頃にはわからなかった全然違う世界が見えて来そうだし…

ちなみに『ムーミン谷の夏まつり』は、五十嵐大介&渡辺歩の『海獣の子供』や新海誠の『天気の子』など「子系」の作品にも大きな影響を与えている。

両方の映画を観た人には『ムーミン谷の夏まつり』を絶対に読んで欲しい。

いろんな発見があるはずだ。

うん。

そういえば、昔あたしスナフキンが大好きだったなー

あんなふうに陰があって謎めいた男の人に憧れてたっけ…

・・・・・

でも今この年で読んでみたら印象も変わるのかしら?

やっぱり男は堅実な人がいいもんね。

いい年して夢とか理想を追い求めてる男なんて、さすがにもうごめんって感じ…

深代ママ…

ちょっといいですか…

あら、春木さん…

また?

おい春木!自分ばかり歌おうとしやがって!

次は俺の番だと言ったはずだぞ!

・・・・・

どうしてもギター弾きたいんなら、俺のバッキングやってくれよ。

あの曲はギターでハモると最高にカッコいいからな。

いいだろう…

じゃあ行くぜ。

アニメ『ムーミン(1969年版)』より、スナフキンのテーマ『おさびし山の歌』…




つづく





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