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作っていた痕跡を眺め堕ちる

興味本位でChatGPTやらStable diffusionに手を出してみて、ただ作成した履歴を重ねた感覚を味わうことが出来た。創造性を求めるのはナンセンスだと分かっているが、履歴を見続ける感覚をこれほど味わったのはいい経験だと思った。

多くの問題が残されているとはいえ、これからくるのは、良くも悪くも、情報が整地され続けた世界だと言う事はなんとなく想像がつく。体裁を整える術は、ほとんど自動化される。もちろん新たな学習する力を必要とするだろうが、これまでと明らかに違って来るのは分かる。

同時に、創作意欲と言っていいのか、不思議な感覚が出てきた。学生時代にも似たような感覚を抱いた事があった気がするが、もう少し個に近い感覚だ。
必要が無いと締めていた蛇口を捻りたくなるような気持ちが、ポツポツと浮かんでは消えていく。

これを言語化する為には、紙に落とし込むのがいいのか、あるいは別の方法で表現してみるのがいいのか。現在も脳内でブレスト中である。こうした事は幸いにも苦ではないので、朝食と同じ感覚で摂取し続けた後、ある日行動に移すと思う。

最近見る夢もファンタジーだ。
モンタージュする地形の上を歌いながら歩いていたり、記憶や情報が体内から蒸発し、他者に移っていく夢をみたり、人に話すと距離を置かれそうな夢が続く。

そして朝になるとあの夢は何を意味するのか、支度をしながら考えてみたりするのだ。

話を戻すが、こうした毎日が続くと、自動生成された情報が物凄くきれいな紙に見える。体裁として整えるような作業は、だんだん自動化されていくことだろう。ここにあまり批判的な感情は持っていない。

ただ、精白された世界の中で、ささくれ立つ痛みや、苦しみを自分自身の探究心に重ねて楽しむような事が、今後起こりそうな気がしている。

分離される私個人を、上手く繋ぎ止めながらも、両者を自立させ、折り合いを見ながら生きていく。急に形を変えたり、現れたりする世界を素早く察知し、どう対応するかをより直感的に判断しながら、これから私はあらゆる「言葉」を表現していくのかも知れない。