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薄緑の作業着



私がこの世に生まれ落ちた時、
世はバブル崩壊後。

平成生まれは決してゆとりではない。
生きる為に共働きとなったただのデフレ鍵っ子世代だ。

教育すら格差化されてしまったことに気づけないまま、
まんまと大人になっただけだ。


知らないのは、
知らされない社会の対義なのではないかと、
そう思う。





一刻のゆとりを探して、
私たち一家は長い長い不況に飲み込まれていく。


あまり裕福ではない家庭だった。

でも明るかった。

家に出たGに父はスリッパを持って追いかけ、足で踏む。

笑いの絶えない家族だった。

そんな優しい父とド根性の母、
駄々を一切こねない弟と共に
狭い団地に一家4人仲良く暮らしていた。



父は土木作業員。
そんな言葉では到底片付けることなどできない。
危険がいっぱいの外仕事だ。

仕事仲間は作業中に木が倒れ脚を切断した。
その内の1人は山から転落し、帰らぬ人になった。

毎日汗水垂らし、命と向き合う。

父はこの仕事が好きだとそう言っていた。
私もまた、そんな父が大好きだった。

現場にお弁当を持っていくと近くの川で遊んでくれた。
何より、雨が降ると仕事が休みになる。
子供ながらとても嬉しかったのを覚えている。


薄緑の作業着のそのポッケには
黄色いケースに入ったソフトのタバコとジッポがいつも入っている。


ただあの頃は気付かなかった。

いつもの
キャスターマイルドは
いつしか
エコーになっていた事の意味に。



ある日、父が突然牧場に転職をした。

恐らく家計の問題だったのだろう。


好きだった仕事をやめなければいけないなんて
世の中不条理すぎる。

そして遂に父はタバコをやめた。

苦悩な選択をどれだけしてきたのだろうか。





そんな事など知る由もなく、
私は中学生になっていた。


薄々、生活の変化には気付いていた。


弟は特に一家のデフレ真っ直中に生まれた。
歩行器はゴミ捨て場で拾ってきたもの。
ある一定の方向にしか進まないボロボロ歩行器で家中を駆け回っていた。

この頃から弟は何かが欲しいと絶対言わない子供だった。

私のお下がりを着て、お下がりのおもちゃで遊ぶ。
サッカーのキーパーになった時も
近所のお兄ちゃんからのお下がりを使っていた。

ただ、そのどれも嫌な顔をしているのを見たことがなかった。

弟の誕生日にトイザらスに行っても、結局数百円のものしか手を伸ばさないことを私たちは知っていた。

唯一、
コンビニのネギトロ巻きが食べたいとそう言ったのを覚えている。

ハローマックで大の字になってヤダを言っていた私とは正反対。

お財布に優しい子供だ。

単に物欲に疎いのだとそう思っていた。

今更になって聞いてみると、
いつも両親の顔を伺っていたという。

家族が笑顔になるものを必死に探したという。


彼の計り知れない我慢がそこにあったのだと知った。










ある日の夕方、
明日の食パンが買えない。
と、母から通達がおりた。



私は涙目になりながら
自分の貯金箱から150円を引っこ抜き、
近くのスーパーに行った。

100円の食パンと
父が食べると思い、30円の豆腐を買って帰った。


そしてそんな生活は
長く、長く、長く続いた。


この頃くらいから
工場で働いていた母は夜中に帰ってくる事が多くなった。

工場とは時に人の得手していないところで、それに反するように生産量が上がっていくと知った。

何とも怖い現象だ。


何十時間働いていたのだろう。
玄関には恐ろしいほどのタフマンが転がっていた。

制服を脱いだ姿をもう当分見ていない。

疲れからか母は顔を合わせるなり、当たり散らすようになっていた。
話をかけることさえ恐ろしかった。


滅多に怒ることのない父も、
どんどん酒の量が増え荒々しくなっていた。

口を開けば支払いの話で揉めている。

こんな事があっていいのか。
生きているだけでお金を払わなければいけないなんて
一体誰の何のためなんだろう。



お金という存在があるばっかりに
見たかった景色からは遠ざかっていく。
そしてそのお金がないばっかりに
見たくもない場所へと連れていかれる。


世界から通貨という概念の一切が散り散りになって灰にもならいまでに蒸発して、
この世から消えて無くなって欲しい。



恐らく前澤社長よりも先に
切にそれを考えていたのではないかと思う。





そんな中、
部活で練習試合の話が上がった。
試合は翌週の土曜。

参加費は2000円
交通費、昼食費別途。

というものだった。

現地には部員のお母さんが連れて行ってくれることになった。
帰りは皆んなでファミレスに寄ると言う。

市外ということもあり、とてもワクワクした。



ただ、到底不可能なことは察していた。



それでも試合に行きたい私は、
今日も機嫌の悪い母の様子を伺いながら、
ダメ元で父に練習試合に行きたいと小声で話した。


すると父は、















そりゃぁ楽しみじゃなぁ。
























それだけだった。

































その週の土曜日の早朝。
タンスの方でゴソゴソしている父がいた。
まだ薄暗い家に

行ってきます。

そう言い残し、出ていった。












あの薄緑の作業着を着た父の背中が
ぼんやりと微かに映った。



























夕方、帰ってきた父のその手には
3000円が握りしめられていた。






















遅ぉなったなぁ。
これで足りるか?




























込み上げる気持ちがバレないように
歯をグッと噛み締めた。
こめかみの辺がやたら熱く感じた。











父は俯く私の前にお金をそっと差し出し、

ビール買い、行ってくらぁ。

と一言伝え、出ていった。





渡された3000円は
父の手の温度で温かった。




ひとりの部屋などなかったが
受け取ったお金を財布に入れ、
それを抱き抱えながら勉強机の下に隠れてひとり泣きじゃくった。
































あの日、父から貰ったお金より
感謝の込み上げるお金とその貰い方を私は知らない。

そしてあの3000円より価値の高いものを
私はこの先見つけることができないと思う。








きっと、お金がないと行けない場所はある。
でも、その場所では絶対に見れないものがある。









お金で買えない景色を私は知っている。
































寝ぼけ眼にぼんやり映る、
あの薄緑の作業着。

行ってきます。

玄関の扉を開ける父の背中は
どこまでも広く大きく逞しい。

oki

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