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「でも、それだけじゃない」誰にでもある心の黒い部分とどう向き合うか〜『すずめの戸締まり』の鈴芽と環を見て思ったこと〜(エッセイ④)

*注意 この文章には一部『すずめの戸締まり』のネタバレが含まれます。





人には誰にでも心の中に黒い部分がある。それは明確な意志を持った悪意ではなく、単純な「嫌い」という感情でもない。それは、好意を抱く人や家族に対して向けられる。普段は心の奥底にしまっているが、ふとしたことをきっかけに口にしてしまい、相手を傷つけてしまう。もはや修復不可能なまでに、関係に深い影を落とすこともある。

新海誠監督作品の「すずめの戸締まり」を観て、最も印象に残ったのは主人公、岩戸鈴芽とその叔母環の関係性だった。

あらすじは以下の通り。

九州の静かな町で暮らす
17歳の少女・鈴芽(すずめ)は、
「扉を探してるんだ」という
旅の青年・草太に出会う。
彼の後を追って迷い込んだ
山中の廃墟で見つけたのは、
ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。
なにかに引き寄せられるように、
すずめは扉に手を伸ばすが…。
扉の向こう側からは災いが訪れてしまうため、
草太は扉を閉めて鍵をかける
“閉じ師”として旅を続けているという。
すると、二人の前に突如、
謎の猫・ダイジンが現れる。
「すずめ すき」「おまえは じゃま」
ダイジンがしゃべり出した次の瞬間、
草太はなんと、椅子に姿を変えられてしまう―!
それはすずめが幼い頃に使っていた、
脚が1本欠けた小さな椅子。
逃げるダイジンを捕まえようと
3本脚の椅子の姿で走り出した草太を、
すずめは慌てて追いかける。
やがて、日本各地で次々に開き始める扉。
不思議な扉と小さな猫に導かれ、
九州、四国、関西、そして東京と、
日本列島を巻き込んでいく
すずめの”戸締まりの旅”。
旅先での出会いに助けられながら
辿りついたその場所で
すずめを待っていたのは、
忘れられてしまったある真実だった。

映画『すずめの戸締まり』公式サイト

鈴芽は2011年3月11日に日本を襲った東日本大震災で、母(椿芽)を亡くし、母の妹にあたる環に引き取られ、以降九州で二人で暮らすことになる。環が鈴芽を引き取ったのは28歳のとき。そこからは幼くして母を亡くして悲しみに暮れる鈴芽のために尽くしてきた。
そんなある日、鈴芽が何も言わずに旅に出てしまう。連絡をしても、まともに取り合わない鈴芽に、心配は募るばかり。一方の鈴芽は環のその心配を「過保護」と感じている。
旅に出て表面化しただけで、一緒に暮らす中で少しずつ溜まっていったのだろう。
草太を救うため、東京から東北へ向かおうと芹澤の車に乗ろうとしたその時、環が現れ、そのまま共に東北へ向かうことに。

雨に降られて、サービスエリアで休憩をとる。車で鈴芽と二人(ダイジンもいたが)になった環は、鈴芽に「ちゃんと話してほしい」と伝えるが、鈴芽は「......ごめん。上手く話せない」と答える。環は「あんた、こんげに人様に迷惑かけちょっとに」と堪えきれずに返す。鈴芽は「話しても分からないことだから」と取り合いません。それを聞いた環は鈴芽の腕をつかみ、連れて帰ろうとする。その手を振り払い、口論になる。小説から引用します。

「環さんこそ帰ってよ!付いてきてなんて頼んでない!」
「あんたわからんと!?私がどんげ心配してきたか!
「ーそれが私には重いの!」

その一言は環の心の黒い部分を刺激してしまったようだ。

「もう私ー」
「しんどいわ......」
「鈴芽を引き取らんといかんようになって、もう十年もあんたのために尽くして......。馬鹿みたいやわ、わたし」
「どうしたって気を遣うとよ、母親を亡くした子供なんて」
「あんたがうちに来た時、私まだ二十八だった。ぜんぜん若かった。人生でいちばん自由な時やった。なのに、あんたが来てから私はずっと忙しくなって、余裕がなくなって。家に人も呼べんかったし、こぶ付きじゃあ婚活だって上手くいきっこないし。こんげな人生、お姉ちゃんのお金があったってぜんぜん割りに合わんのよ」

鈴芽を引き取ることになってからの苦労や不満を吐露する環。
鈴芽は、

「そうー」
「だったの......?」

晴天の霹靂だったのでしょう。

「でも私だってー」
「私だって、いたくて一緒にいたんじゃない」
言いたくないのに。私は叫ぶ。
「九州に連れてってくれって、私が頼んだわけじゃない!環さんが言ったんだよ!うちの子になれって!
鈴芽、うちの子になりんさい。あの雪の夜に抱きしめられた温もりを、私はまだ覚えている。

環の告白に、鈴芽も思わず言ってしまった。おそらくこれは本心の一部ではあるのだろう。しかし、それがすべてではない。

環は、涙を流し、半笑いで、

「そんなの覚えちょらん!」
「あんた、もううちから出ていきんさい!」
「私の人生返しんさい!」

サダイジンと呼ばれる黒猫(要石)が取り憑いていたような描写だった。しかし、環に意識がなかったわけではない。自分が言ったことは覚えている。

芹澤の車が壊れてしまい、捨てられていた自転車で目的地を目指す鈴芽と環(とダイジンとサダイジン)。
少し吹っ切れた様子の環。

「あのね、」前を向いたままでふと環さんが言う。
「駐車場で私が言ったことやけどー」
私は環さんを見る。汗で湿ったショートカットが、風に揺れている。何本か混じった白髪に、私は初めて気づく。
「胸の中で思っちょったことはあるよ......。ーでも、それだけでもないとよ」
うん、と私は言う。分かってる。
「ぜんぜん、それだけじゃないとよ」
私は息だけで少し笑う。
「......私も。ごめんね、環さん」
私はそう言って、環さんの汗だくの肩に手を置いて、うなじにぴたりと頬をつけた。環さんの匂いがした。それはお日様によく似た、いつでも私を安心させてきた匂いだった。私の好きな、環さんの匂いだった。

思っていたけど、それだけではない。
二人の関係は互いに愛があるという前提で成り立っている。もちろん、不満も妬みもある。でも、それだけじゃない。他人の好意が鬱陶しく思うこともある。でも、それが全部ではない。

たいていは甘美でつるつるした部分にしか目を向けない。黒い部分は、目を背けたいものだし、できれば表に出したくはない。でも、心の奥底に渦巻く負の感情に、向き合わないといけないときもある。

映画本編には使われていないが、環をイメージして作られた『Tamaki』という曲がある。
歌詞を引用する。

あなたが嫌いだった あなたが嫌いだった
憎まれ口ばっか叩いて変に背伸びして大人ぶるあなたが

あなたさえいなければ あなたさえいなければ
そんなこと一刹那でも考える自分がもっと嫌いだった

嫌いだった

あなたを知りたかった あなたを知りたかった
私がいなくても平気よやっていけるわみたいなあなたが

あなたが悔しかった あなたが悔しかった
私の努力などどこ吹く風で愛されるそんなあなたが

目の前のあなたの空は いつも違う色で
この世界で私だけ知ってる あなたがいることが

誇りだった

あなたは鏡だった あなたは鏡だった
あなたへの想いがそっくり私を映し思わず目を逸らした

時に親子になった 時に恋人だった
時に家族で友達で姉妹で時に赤の 他人だった

あなたが喜ぶ顔をさ 見たいと思ってるよ
でもあなたが泣いてる姿も たまにどうしようもなく 見たくなるの

あなたがいなくなったら なんにもなくなった
あなたこそが私がここに生きてた何よりの証拠だった

私はあなたの中では 何色に見えてる?
ねぇ少しずつ二人の混ぜて 新しい色になろう

伸ばしても届かない手で あなたに綴る歌
それでもあなたは間違いなく 私が生きてゆく

光だった

https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/radwimps/tamaki/

環の鈴芽に対する感情、葛藤。まさに、「それだけじゃない」

小説の読解を指導していると、人の心情を単純にとらえようとする生徒は少なくないと感じる。でも、私たちは実際さまざまな異なる感情を同時に抱き、それと時には向き合い、ある時は見ないふりをし、複雑な心を生きている。
この『すずめの戸締まり』の鈴芽と環の関係を見てそんなことを思った。

ぜひ映画を見てみてください。

本業は塾講師で、入試問題(主に国語)の解説記事など書いています。そちらもよければご覧下さい。

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