*注意 この文章には一部『すずめの戸締まり』のネタバレが含まれます。
人には誰にでも心の中に黒い部分がある。それは明確な意志を持った悪意ではなく、単純な「嫌い」という感情でもない。それは、好意を抱く人や家族に対して向けられる。普段は心の奥底にしまっているが、ふとしたことをきっかけに口にしてしまい、相手を傷つけてしまう。もはや修復不可能なまでに、関係に深い影を落とすこともある。
新海誠監督作品の「すずめの戸締まり」を観て、最も印象に残ったのは主人公、岩戸鈴芽とその叔母環の関係性だった。
あらすじは以下の通り。
鈴芽は2011年3月11日に日本を襲った東日本大震災で、母(椿芽)を亡くし、母の妹にあたる環に引き取られ、以降九州で二人で暮らすことになる。環が鈴芽を引き取ったのは28歳のとき。そこからは幼くして母を亡くして悲しみに暮れる鈴芽のために尽くしてきた。
そんなある日、鈴芽が何も言わずに旅に出てしまう。連絡をしても、まともに取り合わない鈴芽に、心配は募るばかり。一方の鈴芽は環のその心配を「過保護」と感じている。
旅に出て表面化しただけで、一緒に暮らす中で少しずつ溜まっていったのだろう。
草太を救うため、東京から東北へ向かおうと芹澤の車に乗ろうとしたその時、環が現れ、そのまま共に東北へ向かうことに。
雨に降られて、サービスエリアで休憩をとる。車で鈴芽と二人(ダイジンもいたが)になった環は、鈴芽に「ちゃんと話してほしい」と伝えるが、鈴芽は「......ごめん。上手く話せない」と答える。環は「あんた、こんげに人様に迷惑かけちょっとに」と堪えきれずに返す。鈴芽は「話しても分からないことだから」と取り合いません。それを聞いた環は鈴芽の腕をつかみ、連れて帰ろうとする。その手を振り払い、口論になる。小説から引用します。
その一言は環の心の黒い部分を刺激してしまったようだ。
鈴芽を引き取ることになってからの苦労や不満を吐露する環。
鈴芽は、
晴天の霹靂だったのでしょう。
環の告白に、鈴芽も思わず言ってしまった。おそらくこれは本心の一部ではあるのだろう。しかし、それがすべてではない。
環は、涙を流し、半笑いで、
サダイジンと呼ばれる黒猫(要石)が取り憑いていたような描写だった。しかし、環に意識がなかったわけではない。自分が言ったことは覚えている。
芹澤の車が壊れてしまい、捨てられていた自転車で目的地を目指す鈴芽と環(とダイジンとサダイジン)。
少し吹っ切れた様子の環。
思っていたけど、それだけではない。
二人の関係は互いに愛があるという前提で成り立っている。もちろん、不満も妬みもある。でも、それだけじゃない。他人の好意が鬱陶しく思うこともある。でも、それが全部ではない。
たいていは甘美でつるつるした部分にしか目を向けない。黒い部分は、目を背けたいものだし、できれば表に出したくはない。でも、心の奥底に渦巻く負の感情に、向き合わないといけないときもある。
映画本編には使われていないが、環をイメージして作られた『Tamaki』という曲がある。
歌詞を引用する。
環の鈴芽に対する感情、葛藤。まさに、「それだけじゃない」
小説の読解を指導していると、人の心情を単純にとらえようとする生徒は少なくないと感じる。でも、私たちは実際さまざまな異なる感情を同時に抱き、それと時には向き合い、ある時は見ないふりをし、複雑な心を生きている。
この『すずめの戸締まり』の鈴芽と環の関係を見てそんなことを思った。
ぜひ映画を見てみてください。
本業は塾講師で、入試問題(主に国語)の解説記事など書いています。そちらもよければご覧下さい。