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心が通わない、それでも続けねばならない

小学校低学年のときの出来事です。

ある日の夜、両親が話をしていました。
どうやら、母親が会社で上司とうまくいっていない模様
小さい私には、母親が上司にいじめられているように感じました。


そして次の日の朝。
私はお弁当を作っている母親の背中を見ながら、「お母さんは〇〇さんにいじめられてるの?」と聞きました。

私としては、悲しんでいるお母さんと話をしようという気持ちがあっただけです。
なぐさめるというか、やさしい言葉をかけたいというか、とにかくそういう気持ちです。

なのに・・・
返ってきた回答は「うるせえ!黙ってろ!!」でした。

はっとした時には、もう遅い。
私の発言をきっかけに母親の怒りが爆発的に急上昇、お弁当を力いっぱい投げつけてきました。
フタをしていなかったので、おかずもお米も制服に飛び散り、めちゃくちゃ汚れました。

ついでに近くにあった水筒も箸箱も投げつけ、ランドセルもわざわざ拾いに行って思い切りふりかぶって投げつける。
何度もランドセルでぶん殴る。
髪の毛をひっぱって振りまわす。

水筒はまじで痛かった!!
教科書もひどく痛い!!
ランドセルも教科書も私はきれいに使っていたので、そんなことをされること自体がもう悔しくて仕方がありませんでした。


キレ始めるともう防御するしかないので、腕で頭を抱えてまるまっている状態でキープです。
なので、当たり所が悪いとひじの一番痛い部分とか脇腹にヒットし、うめきながら悶絶です。

こういう状態になった時、はじめは「びっくり」とか「防御せねば」という気持ちが勝つのですが、やられ続けるうちに、痛みと理不尽で悔しいのとで、次第に悲しくなって涙が溢れました。

食べ物とか教科書とか痛みがぐちゃぐちゃになった状態で最後に蹴とばされ、「早く学校に行け!泣くんじゃねぇよ!はやく行け!」と何度も蹴られながら玄関に追いやられました。

涙と鼻水とお弁当でぐちゃぐちゃになった顔と制服と教科書とランドセルを洗って拭くため、玄関から部屋へ戻り、殴られないかとびくびくしながら母親の隣を通って洗面所へ行き、きれいにしてから学校へ行きました。
もちろん殴られ蹴られます。

そしてもちろん、ぐちゃぐちゃに散乱したおかずやご飯は、お弁当箱につめなおして持参しました。
母親「お前が悪いんだ、反省しろ、バカが。」
私 「はい」
母親「まさか持っていくよな?詰めていけよそれ。」
私 「はい」


学校へ行く間は、もう気持ちが絶望的に最低です。

私はなぐさめたかったのにな・・・。話を聞きたかっただけなのに。
どうして、こんなことになるのでしょうか?

「いじめられてるの?」という質問が気に入らなかったのでしょうか?
あるいは、そんなことを子供に言われる筋合いはねぇ、という感じでしょうか。

結局、キレた理由は分からずじまい。
慰めたかった私としては、ただショックでした。

私がこんな気持ちでいても、こういう結果になるのか、と。
だから記憶に残っているのだと思います。

どうして


「どうして、こんなことになるのか?」
という気持ちは、恐らく母親にもあったのだと思います。

昔、親に同じような扱いをされ、不器用な人生を過ごしてきたのではないかと、今なら想像がつきます。
やりきれず、整理しきれない気持ちがあった中で、娘が引き金となって、制御できないレベルに爆発してしまうことになったのかなと。

とはいえ、あの時あれだけ私が暴力をふるわれる理由にはならないですし、
「あんたはいつも腹の立つ子供だった」と言われ続ける筋合いもないです。

よく考えれば、幼児の頃からひどい扱いを受けて育っているにも関わらず、母親にはあまり見ない悲しい顔を見て「なぐさめたい」という気持ちが湧いた当時の私はすごいな。
子にとって、それだけ親の存在というのは、絶対的で大きなものなんだなぁと改めて感じます。

あの時は母親には届かなかったけれど、私の中にある人を思いやる気持ちは誰にも奪われるものではないので、永久に大事にしようと思います。

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