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  • 脳を腐らせないために、取り出した闇の保管庫

    ・前に進みたいのに足枷の重みがひどい ・幸せになりたいのに、いつも何かに足元をすくわれる ・人間関係がどうもうまくいかない ・自分と人との間に見えないベールがあるようだ そうなる原因は心にあり、 それは整理しきれない過去の記憶なのかも知れない。 マイナスの記憶は重すぎる! 背負ってきたいらない荷物はここへ置く! そして私は、軽やかに好きな山を登る。

最近の記事

心が通わない、それでも続けねばならない

小学校低学年のときの出来事です。 ある日の夜、両親が話をしていました。 どうやら、母親が会社で上司とうまくいっていない模様。 小さい私には、母親が上司にいじめられているように感じました。 そして次の日の朝。 私はお弁当を作っている母親の背中を見ながら、「お母さんは〇〇さんにいじめられてるの?」と聞きました。 私としては、悲しんでいるお母さんと話をしようという気持ちがあっただけです。 なぐさめるというか、やさしい言葉をかけたいというか、とにかくそういう気持ちです。 なの

    • いい子症候群 どうか皆の前でほめないで・・・

      小学生の頃の私は、いわゆる”いい子”でした。 いい子にしているつもりはなかったけれど、勉強はできるしあれやこれやといいたい放題言わないし、先生にとったらいい子に映るんでしょうね。 この「いい子」という言葉。結構危険です。 小学生の頃の私が勉強できたのは、母親に強制されたからです。 過去記事を見ていただければ親がどのくらい異常なのかは一目瞭然だと思います。(伝わっているといいな) そして、あれやこれやと言いたい放題言わない性格だったのは、「大人に逆らうなんてもってのほか

      • 暴力は人を傷つける、経験は人を強くする

        何かがトリガーになりカッとなると、突然爆発したようにキレる。 何も分からないまま投げ飛ばされる、蹴り飛ばされる。 「ごめんなさい!」「ごめんなさい!」というが、 何がごめんなさいなのか全く分かっていない。 殴る蹴るをさんざん繰り返した後、 「早く勉強しろ!」「消えろ!」と言う。 そこでやっと、あぁ、勉強してなかったからかと。 痛くて悔しくて泣いていると、 「お前が悪いんだぞ!」「うるせえ!お前のせいだ!」と そして、キレる理由はすべて私にあると言い続ける。 殴り続ける

        • 人と比べて自分の劣等感を満たす残念さ

          充分な教育を受けずに育てられた母親は、子供にはそうさせまいと必死になり、必死になりすぎて執着し、『教育ママ』をとっくの昔に通り越した行為を繰り返していました。 物心つく前から英才教育をしたのはもちろん、3歳からは思いつく限りの習い事をしたと思います。 父親の反対を押し切り、小学校は受験して私立へ入学。(いわゆるお受験) 合格しなかったらどうなっていたのかなと思うと、ぞっとします。 母親は、良い小学校に入学させることができて、鼻高々でした。 私に対して良かったねとどのくらい

        心が通わない、それでも続けねばならない

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        • 脳を腐らせないために、取り出した闇の保管庫
          12本

        記事

          ●●会の記憶と親の圧力

          幼稚園児にして、子供らしさを失っていた私は、●●会と名前がつくものはことごとく嫌いでした。 幼稚園のお遊戯会 町内会の運動会 ピアノ教室のクリスマス会 英語教室のバーベキュー大会 ガールスカウトのお誕生日会・・・ 思い出しても少しも楽しくありません。 何がそんなに嫌かと言うと、●●会では たくさんの親に見られる 人前で挨拶しなければならない 時には会の感想まで言わされる といったことが多くあるからです。 まさにこれ。 私は人に注目されるとか、人前で発言

          ●●会の記憶と親の圧力

          アダルトチルドレンについて、改めて

          自己紹介にも書いたように、私はアダルトチルドレンです。 「チルドレン」という言葉があるので大人になりきれない子供と解釈されてしまいがちですが、大人になっても子供の頃のトラウマをひきずり生きづらさを抱える人のことを言います。 アダルトチルドレンは病気ではなく一種の特徴であるため、大人になっても引きずる生きずらさはなかなか理解されにくい傾向にあります。 アダルトチルドレンについての本一覧 確かに私も、自分がアダルトチルドレンだと気付くまでの間は、いつまでも過去にとらわれてい

          アダルトチルドレンについて、改めて

          歪んだ母親の土台

          母親は、どうしてあんなにも歪んだ人間なのか? こうしていま冷静に考えると、母親も意図してあのような人間にはなりたくはなかったはずです。 人が歪む大きな原因のひとつは、親との関係性にあるのではないかと思います。 なので、母親も親からの適切な愛情を受けて生活できなかったことが、あんな有り様になってしまった要因のひとつとしてあるのかなと。 色々な本やサイトを見ていても、根本的な人格が形成されるのは3歳までと書いてあるものが多くあります。 人格形成は3歳まで 3歳までに形成され

          歪んだ母親の土台

          毒親からの解放に向けて次にすべきこと

          毒親から解放されるためには、毒親と適度な距離を置くだけでは解決できない部分があります。 それは、自身の心の安定です。 毒親と距離を置くだけでもかなり心が楽になりますが、それって重い荷物をやっと捨てることができただけ。 ずーーーと背負ってきた荷物に傷つけられて膿んだ背中や手の傷は、まだ癒えていないのです。 私も、このことに気づくまでに結構な時間がかかってしまいました。 困った親から離れられたのに、何故かまだまだ生きづらい!! そんな気持ちに気付いた時は、自分の奥深くで叫ん

          毒親からの解放に向けて次にすべきこと

          毒親から解放されるための”最低条件”

          今回は、親から解放されるためには何が必要なのか?ということを私なりに考えてみました。 どなたかの参考になれば幸いです。 結論から言いますと、親から解放されるための最低条件は、 金銭的に親から自立すること 自分の心に折り合いが付けられる親との距離感をつかむこと だと思います。 少なくともどちらかひとつは最低条件だと思います。 金銭的な自立ができれば、親から離れてどこへでも行ける可能性が一気に広がります。 まだ精神的に離れられない状態だとしても、離れられるタイミングが来

          毒親から解放されるための”最低条件”

          人に褒められればOKなのか?

          地獄のお箸トレーニングを受け続けた結果、 私は誰よりもお箸を使うのが上手だったようです。(後日母親談) 幼稚園の連絡帳には、「おこちゃんは今日もとっても上手にご飯を食べました!」と書かれ、お迎えに来る母親は「『おこちゃんのお母さんは、しつけがお上手なのですね^^』と言われた」と得意げ。 先生は、私にも誉め言葉を言ってくれたようだけど、私は無反応だったと母親は言っていました。 そして「あんたは子供らしく素直に喜べない子供だったね」と。 子供らしく遊んだり笑ったりはしゃいだ

          人に褒められればOKなのか?

          外出先で、手をにぎりつぶす心理

          母親は人前では良い母を演じようとするので、外出先で怒鳴ったり手をあげたりすることはありませんでした。 その代わりにするのが、力いっぱい「手をつねる」こと。 私の言動が気に入らないとき、母親は歩きながらものすごい力で手をつねりました。 握りつぶすように力を入れる時もありました。 とにかく痛いけど、逃げようがない。 例えば母親の知人にばったり出会って声をかけてくれた時に、笑顔で「こんにちは」が言えなかった時とか、大きな声ではきはき言えなかった時とか。習い事でいい加減な態度だ

          外出先で、手をにぎりつぶす心理

          お箸トレーニング

          私が3歳になると、教育に力を入れたい母親は、今までにも増して色々な事をやらせるようになりました。 そのひとつが、「お箸」です。 子供が使うお箸に、エジソンのトレーニング箸というものがあります。 普通のお箸が少しアレンジされていて、1本には輪っかが2個、もう片方には輪っか1個と弓型のサポーターがついている、小さいサイズのお箸。 3頃からお箸を持たせる家は少なくありません。 幼稚園でもお箸を使うところはあるので、まぁ普通の流れでそうなったのでしょうかね。 けれど・・・ こ

          お箸トレーニング

          水攻めの記憶

          水攻め 幼少期で覚えているいやな記憶 ある晴れた日のことでした。 まだお昼だったと思いますが、部屋は薄暗く、カーテンが中途半端に閉まっていました。 (おそらく、朝になったらカーテンを開けるとか夜には閉めるとかいう習慣がなかったんだと思います。) 母親は怒り狂って「来い!外へ出ろ!」と怒鳴りながら私の首根っこをつかみ、「イヤだ!イヤだ!」と恐くてギャン泣きする私を外へ引きずり出しました。 家の前には車のスペースがあり、ホースがつながっている蛇口がありました。(多分、車を

          水攻めの記憶

          暴力、一番初めの記憶

          いきなり顔面をぶたれ、怒鳴られて足蹴にされた記憶が初かなと。 記憶の中の家の雰囲気を思うに、恐らく3歳頃に起きた出来事です。 いきなり、顔全体をばっちーーん!とぶたれました。 前から激しくぶたれたので顔は天井を向き、体は勢いよく後ろへ。 一瞬目の前が暗くなり、痛さとバランスが崩れたびっくりとで泣きました。 すると、「泣くな!」とものすごい大声で怒鳴られて何度もぶたれ、 転がって泣いている私を足で蹴りながら「あっちへいけ!」と廊下へ押し出されました。 泣くのを必死で我慢し

          暴力、一番初めの記憶

          家族と、自己と、ふりかえり

          色々な人がいる世の中で、 自分らしく過ごせる状態にあるのは、とてもすばらしいことです。 でも、そううまくはいかない時もある。 何だかもやっとした時、私はいつもやらない部分の掃除を、少しだけします。 それをしたところで、目の前の本当の問題は解決しないかもしれないけれど、落ち込んだ気持ちを少しだけ軽くすることができるんです、なぜか。 自分で自分の機嫌をとるとはよく言うけれど、そういった工夫を少しでも見つけて実行することに、無意味なことはないはず! さて。今日はかんたんな自

          家族と、自己と、ふりかえり

          はじめまして。もう怒らない。

          はじめまして。 おこです。 私はアダルトチルドレンであり、 親との関係、そこから心にこびりついてしまった膿みや生きづらさにとても悩んできました。 「悩んできました。」と過去形にしているのは、 数年前にしっかりと自分と向き合い、 ずっと膿んだままだった気持ちを少しずつ乾燥させ、 かさぶたとして少しずつはがすことができているからです。 今は今で悩みどころは多少ありますが、以前とは比較にならないほどに安定しています。 このブログでは、 私がどう膿みを出して切り替えていったか

          はじめまして。もう怒らない。