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いい子症候群 どうか皆の前でほめないで・・・

小学生の頃の私は、いわゆる”いい子”でした。

いい子にしているつもりはなかったけれど、勉強はできるしあれやこれやといいたい放題言わないし、先生にとったらいい子に映るんでしょうね。

この「いい子」という言葉。結構危険です。

小学生の頃の私が勉強できたのは、母親に強制されたからです。
過去記事を見ていただければ親がどのくらい異常なのかは一目瞭然だと思います。(伝わっているといいな)

そして、あれやこれやと言いたい放題言わない性格だったのは、「大人に逆らうなんてもってのほかだ」と教え込まれていたからです。
相手の方針ありき。
大人の目を見て動くことが、身にしみついていました。

それに、小さい頃から自分らしい発言ができた、あるいは意見が通った経験が著しく乏しいので、自由に発言するということがどういうことか分からなかったのではないかなと、今はそう思います。
あまりに親のコントロールを受けすぎて、自分で考えて発言するという回路があることを知らなかったような感じです。


先生にとっては良い子にうつるので、みんなの前でよく褒められたり、表彰されたりして皆の前にさらされることも多くありました。
でも、そういうことを心から喜ぶことができませんでした。

それは、私が心からのぞんで出した結果ではないから

「先生、どうか皆の前でほめないでください」(金間 大介 著)
というその気持ち、すごく分かる気がします!

先生、どうか皆の前でほめないで下さい(金間 大介 著)


学校は家ほど嫌いではなく、好きな先生はたくさんいました。
休み時間に先生を見つけて、駆け寄ることも沢山ありました。

だけど、思い返せば、先生を追いかけていっても話す言葉が見つからないなんてことはよくありました。笑
「何を話そう・・・汗汗」

これは、お友達に対してもですね。
他愛のない会話が、とにかく苦手!!!

家では生死をさまよっており、自我を踏みにじられながらも、
それでも生きていくには?みたいなことを考えて過ごしている
ので、ちょっとやそっとの会話が、楽しく感じられませんでした。
(そもそもそういう何気ない会話が出てこない問題)

顔は笑っていたかもしれないけど、いつもどこかに無理があり、自分の心と体が離れているような感覚は、小学校に入学した頃からずっとありました。

自然に自己表現ができない子になってしまった私は、今の今までほんとうにしんどい毎日を過ごしてきました。
子供は何も分からないんだから、親の言うことを絶対に聞くべきだと思っている方がいらっしゃったら、偉そうですが、子供のためにも少し見方を変えてあげてほしいなと思います。

子供はまだ小さいので親が何かとフォローする必要がある場面はあるかと思いますが、子供の想いや感情を踏みにじってはいけません。
ひとりの人間として、対等な会話をしてほしいです。


それがどうしてもできない場合は、
親である本人が、自分の気持ちとゆっくり目を向け、ケアしてあげる必要があるのかも知れません。



少なくとも昔の私は、
親に自分の考えをしっかり聞いてほしかった。

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