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私きっと慣れないよ。

ちょっと振り返って2月のこと

「ここに骨壷でいてもおかしくなかったなぁ」
炬燵で寝転がりながら父が言った。

…本当だよ
私にもリビングに骨壷が置かれている光景が容易に想像できた。

「神様がパパを返してくれた。最高のプレゼント。」
2日後が誕生日の母が涙ぐみながら喜んでいる。

同じリビングで、同じ日のことだ。

…カオスだ。



1月突如入院した父は、家族に大きな打撃と数えきれない恐れを植えつけたまま、「このままだと精神的に死んでしまう」となかば主治医を脅す形で、まだ予断を許さぬ状態なのに!なのに!ICUを抜けてすぐに、熱が出てるのに!退院してきてしまった。
(ICUですぐ横のベットの方が大騒ぎの末に亡くなってしまい、それから病院で眠る事が難しくなっていたらしい)

家に帰ってから半日以上寝続けた父。まだ青白い父が寝ていれば、口元に手をかざして息をしているかの確認をする、そんな3日を経て病院に戻りようやく「今日明日死ぬことはないだろう」と医師に太鼓判をもらって正式に退院した日、冒頭の会話はその日のことだ。

「私の誕生日に間に合わないと思ったよ」ニコニコしている母と「今回は2回死にそうになったな」重々しく頷く父。

本当に、カオスである。

1回目の危篤状態の時の記憶はほぼ無く、2回目は「自発呼吸がゼロですね」と言われたところで記憶が途切れている。らしい。

「それって死んでんじゃん、と思ったのが最後だよ」そう言う父の縮んだ、けれどもなんだか得意そうな顔を見ながら、…私もだよ、私もそれって死んじゃうじゃん、と思ったよ。とこっそりと頷ずく。

「暗いところに行きたくて行きたくてしょうがないんだけどさ、ダメだダメだってウロウロしてたらびっくりするぐらい明るい神社に出て、そしたら…目が覚めた」
と言う父にICUに通った日々を思い出した。
「明るいところに行くのよ!明るいところよ!」
意識のない父に毎日必死に呼びかけていた母。
(こっそり、明るいところが天国だったらどうすんのよと思っていてごめん、と心の中で母に謝った)

まだ怖いぐらいに痩せ細り、生きてるのが不思議な風情の父。それでも、あの絶望的な夜に、あの夫に縋った夜に、夢見ていた未来がきたなぁと思う。

「来月の今頃は、きっと死ぬかと思ったね〜って笑ってるよ。」「ママの誕生日には笑い話になってるよ。」母に言い聞かせながら、「パパが死んじゃうかも」何度も夫に泣きついた。
何度も何度も絶望したり、ほっとしたり、泣いたりしたなぁ。

何度も何度も…
今後もあるんだろうなぁ、何回だって、何回だって慣れないなぁ。
まだ自由に動けなくてこたつに転がった父の横で一緒に転がりながら、想像すると何度だって泣けちゃうもんなぁ。と思う。

19歳で家を出た。
「あんたは本当に寄りつかない」母に小言を言われながら、若い時だって結婚してからだって年に1・2回実家に戻るのがせいぜい、まだまだ時間はあるもんだし、と思っていた。
今回、ふと父が90まで生きたとしても後15年足らずなんだよなぁと気がついて、気がついてその短さに愕然とした。(1回だったら15回、2回だったらあと30回しか父母に会えない!親なのに!理不尽!)

なんであんなに早く家を出ちゃったかなぁと後悔をしている。今後はちょこちょことひとりで帰る予定だ。

実家で父と目的もなくゴロゴロ過ごすなんて本当に久しぶりで、夫を連れずに実家に帰ってくると、子どもの頃のことをよく思い出す。

「子供の時さぁ、ママが着せるセーターはいつもチクチクチクチクしてて、チクチクしてやだって言っても、着てたら慣れるわよ、って無理やり着せられてたよねぇ」
スースー寝ている父の横で寝ころびながら、通りかかった母に言う。
「着てるうちに慣れる、着てるうちに慣れるっていうけどさぁ、結局1回も慣れなかったなぁ」

「あらそう?あんたは肌が弱いからねぇ」リビングの真ん中で立ち止まった母がコロコロと笑った。

ちょうど今、母が立ち止まっているストーブの前で「ばんざいしなさい」ってチクチクするセーターを着せられている幼い自分が「チクチクする!」て嫌がっている私が見えた。

嫌だなぁ、いつか今の光景も『見える』日が来るのかもしれない。


私は肌が弱いしさぁ
2人がいなくなった世界、私きっと慣れないよ。


写真は実家に転がっていたなんだか懐かしいバインダー。

最後までありがとうございます☺︎ 「スキ」を押したらランダムで昔描いた落書き(想像込み)が出ます。