プリン編[料理エッセイ・食べる記憶#2]
プリンが食べたい。
夜中に浮かぶこの手の衝動はいっそ暴力的に頭の中を支配していく。
プリンが食べたい。
なめらかなプリンも良いけれど、今食べたいのは昔ながらの硬いプリン。作れるだろうか。と考える。
プリンって結局、出汁を牛乳に変えた茶碗蒸しでしょ?
プリンは硬めがいい。カスタード部分はさっぱりと、カラメルはほろ苦く、さらりと流れるものが良い。
頭の中にあるプリンは、どこで出会ったプリンだろうか?プリンの思い出はそう多くは無い。
海辺の街だったと思う。「今は寂れてしまった観光地」の代表みたいな海辺の観光地。駅の裏にポツンとあった、寂れ具合を反映しているみたいにドアの上に掲げられた店名もとうにはげていて、けれど思いのほか客の入っていた喫茶店。
ショウケースにはコーヒーやメロンソーダと一緒にカツ丼なんかが並べられていて、白く曇っている。それに反して道路に面して続く腰窓は、外か中かわからないぐらいに透明だった。
店内に入ると、茶色い革張りの椅子(所々補修されている)と、なんだかちぐはぐな大衆食堂にあるみたいなメラミンのテーブル、床は暗いリノリウム。
昭和の気配漂う、けれど都心のそれと比べ少しだけチープな喫茶店で食べたプリンアラモード。
子供の頃から、甘いものが苦手だった。ケーキは食べられない、プリン好きな男(毎日の様に食べていた)と付き合った25まで、プリンも殆ど食べたことがなかった。カラメルなんて苦甘いものもってのほか。と思っていた。
だから実は、プリンアラモードなんて頼んだのは後にも先にも一度だけ、あの寂れた海辺の街の、あの喫茶店が最初で最後だ。
いつもコーヒーだけを頼む私がプリンアラモードを頼んだので、隙あらばパフェを頼む女友達がひどく驚いていた。あれはたしか15年ぐらい前。
もちろん、プリンアラモードの器はステンレスだった。前述したように硬めでポツポツと気泡の痕のあるプリンの上に、サラリとカラメルが流れ、カラメルが流れ落ちる事でプリンの気泡が浮き上がっていた。
プリンの周りには硬いホイップ、ふわふわの気配もない硬いやつ。薄切りにして葉っぱに模られたリンゴ、バナナ、缶詰のみかん、喫茶店でしか見たことないタイプの茎の先まで人工的な赤のチェリーがちょこんと載っていた。
15年も前の事なので、店もプリンアラモードも本当の本当はこの通りでは無いかもしれない。思い出はいつもドラマチックに改竄される。
茶碗蒸しは卵と出汁が1:3ぐらい、プリンはどんなもんだろう。インターネットで調べても、レシピによって分量が開きすぎている。
全卵1つに卵黄1個分(この時世にとても贅沢)、牛乳は160gほど。砂糖は甘さ控えめ30g少々。ちょっと大人なプリンにするために香りつけに…リキュールを入れよう。コアントローを小さじ1…ああ、勢い余ってぼたぼたと入ってしまった。
入ってしまったコアントローを無かったことにするみたいに、念入りに卵液を泡立て器で泡立てないように混ぜる。
泡立て器で泡立たない様に注意する様は滑稽だ。
茶漉しで漉しながらカップに入れる、オーブンで湯煎焼きにしたいところだけれど、ネットで調べると大体150°で60分と書いてある。私は今すぐにでもプリンが食べたいのだ。
プリンが食べたい。プリンが食べたい。
アルミホイルで蓋をして湯を張ったフライパンに入れて、弱火で15分蒸す。
その間にカラメル作り。砂糖を適量火にかけ、じゃっと水を入れる。
カラメル作りは覚悟が必要だ。砂糖の色づきが思ったより遅い。じゃっと水を入れる時に思ったより飛び散る。なかなか茶色くならなくとも、突然茶色くなっても、じゃっと飛び散っても動じない覚悟。
私はいつも覚悟が少し足りなくて…何もかもが足りないのだ。
蒸し上がったプリンに覚悟がたりない(茶色が足りない)カラメルをかける。
ああ、プリンが食べたい。
完成したプリンを前に愕然とした。目の前のプリンは熱々だった。
今すぐプリンが食べたくて作ったプリンは今すぐ食べられなかった。
次の日、冷やしてあったプリンを夫と食べる。ちょっと食べたかったプリンと違う、違うけれど、硬さはまあまあ。うん、違うけれどこれはこれで美味しい。違うけれど。私は自分に甘いのだ。
「プリン作るって凄いね」
「何が入ってるの?卵・牛乳・ゼラチン?」
思いの外、夫の食いつきが激しい。
茶碗蒸しにはいつも塩対応なのに、不公平だなと思い、ゼラチンって…素人さんはこれだから…「フフン」と、鼻で笑う。
「フフン」って思いながらプリンを食べて、やっぱり違うな、と思う。
あの、プリンへの願望は、いまだ続いている。
反省
後からレシピを検索すると、牛乳は60°程に温めてから混ぜるらしい。なぜだ?
最後までありがとうございます☺︎ 「スキ」を押したらランダムで昔描いた落書き(想像込み)が出ます。