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『神様のボート』



必ず戻るといって、
消えた「あのひと」を待ち続ける葉子と
その娘の草子の物語です。

葉子は、「あのひと」と出逢うまで、
どこにも
だれにも馴染むことができず、
たいてい、ひとりで
煙草を吸っています。

最愛の「あのひと」にしか、
「あのひとがいる場所」にしか
馴染むことができないのです。

そんな葉子の気持ちに、
少し共感しながら読みました。

わたしも、
いつも、どこにも、
だれにも、馴染むことができなかったから。

"私は泣きたかった。いっぺんに気持ちがあふれてどうしようもなかった。ずっと一人だった。トッポジージョにはなれなかった。自分を不幸だと思ったことはなかったが、でもつまらなかった。生きていてもよくわからなかった。どうすればいいのか、どうしてもっと生きなくちゃいけないのか。"

p85

"女たちはよく喋る。その合間によく食べる。香水の匂い。ワインのグラスにつく口紅の跡。
私はぼーっとして、煙草ばかりすってしまう。間違った場所にすわっているような気がする。昔からそうだ。たとえば大学生のころ、高校生のころ、あるいはもっと遡って小学生のころ、私はいつもこんな気分だった。"

p172


誰かを好きになることは、
自分ではどうすることもできない
「神様のボート」に乗ってしまうようなこと、
と江國さんは言います。

だから、葉子は、
娘の草子と共に「あのひと」を
十年以上も待ち続け、
引越しを繰り返すことをやめられないんです。
それは、
「神様のボート」に乗ってしまったから…。

常識で考えたら、
葉子の行動は異常です。
母の都合で、
いつ戻るか分からない父のために
引越しと転校を
繰り返される草子のことを思ったら、
とても身勝手だと思います。


だけど……
葉子の視点から語られる
「あのひと」との思い出、
葉子のどこまでもまっすぐに
「あのひと」を想い続ける気持ちが
私にはとても美しく見えて、
ああ、私も今、葉子と一緒に
「神様のボート」に乗ってしまったんだな、
とそんな気持ちになりました。

これはもう、
流れ着くところまで
行かなければならないんだ、と。

"グラスの中のジン・トニックは、ひかえめな明かりの中で、夜の川のようにみえる。森の奥を流れる清冽な川。"

p275


葉子は「あのひと」と
"ここ"に流れ着かなければならなかった。

葉子の居場所は
本当に「あのひと」がいる場所以外に
あり得ないんだ。

物語が終盤に近づくと、
その事実が、
ずしんと胸に落ちてきて、
そのことがあまりに哀しくて、
あまりに美しくて、
涙が止まらなかったです。

いままで読んだどんな恋愛小説より、
うつくしかった。

ほんとうに
ほんとうに
うつくしかったです。

最後に、
とても印象に残った言葉を。

"一度出会ったら、人は人をうしなわない。たとえばあのひとと一緒にいることはできなくても、あのひとがここにいたらと想像することはできる。あのひとがいたら何と言うか、あのひとがいたらどうするか。それだけで私はずいぶんたすけられてきた。それだけで私は勇気がわいて、ひとりで旅をすることができた。"

p144

"これはあのひとのいない世界ではない。歩きながら私は考える。あのひとと出会ったあとの世界だ。だから大丈夫。なにもかも大丈夫。"

p191


だから大丈夫。
なにもかも大丈夫。


『神様のボート』江國香織
新潮文庫

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