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イライラもムカムカも、ただの人生の肥やし

YouTubeを見ていたら、超人気コント番組だった「笑う犬」の動画がたまたまオススメに出てきた。
久しぶりにはっぱ隊のコントをみてゲラゲラ笑いながら、同時に胸にすごく沁みて込み上げてくるものがあった。

小さい頃は大の大人が葉っぱ一枚で踊り狂う姿に笑っているだけだったけれど、大人になった今見るとやけに感動してしまった。
サビの「葉っぱ一枚あればいい 生きているからLUCKYだ」はもちろん、歌詞に繰り出されるフレーズがいちいちパワーワードだ。
「Happy go lucky」とか「お水飲んだらうめー!」とか。
最近、仕事で過去トップ3に入る高ストレス状態が続いており(このトップ3はいつまで更新されるんだろうか)、胃をキリキリさせながら過ごしていた日々が馬鹿馬鹿しくなった。
大好きなコントのように、自分の人生を生きることができたらなあ。
思わずそんなことを考えてしまう。

笑う犬、はねるのトびら、レッドシアターのようなコント番組(フジテレビは最高だ)に出てくるキャラクターたちみたいに、シリアスな状況をユーモアに変えられたらいいのに。
コントまではいかなくても、最高の離婚や大豆田とわ子と三人の元夫に出てくる(やっぱりフジテレビは最高)、ドラマの登場人物のようにオシャレに生きることができたらいいのに。

でも大真面目な僕は、コントではなくNスペやクローズアップ現代のようなNHKドキュメンタリー番組タッチで深刻に生きてしまうのだ。
しかもやめようと思ってもなかなかやめられない。
この歳で今さら生き方や物の見え方をガラッと変えるのは、価値観を揺るがすような事件でも起きない限り到底難しいだろう。

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ちなみに僕はずっとずっと、坂元裕二作品で松田龍平が演じる別府くんや八作みたいに飄々とした人に憧れてきた。
ドラマを見た直後はそんな心持ちでいようと一瞬心掛けるけれど、すぐに忘れてしまう。
歳を重ねたら余裕ができてああいう味が出てくるはずだとか思っていたけれど、近づくどころかどんどん遠ざかっている気さえする。
仕事で上の立場になったのにミスったら平然としていられずに焦り狂っているし、憂鬱なことがあると後輩に愚痴って逆に諭されて恥ずかしくなることも多い。
現実でも余裕のある人を見るたびに、どこで差が出たのか、、と思わずにはいられない。

しかし結局、どう足掻いたところで、無駄だ。
僕は僕にしかなれない。
何度トライしてもダメだったから、わかっている。

そのことを自覚できたのはつい最近のことである。
それに伴って理想とのギャップを自覚して気分が落ちることは減ってきたけれど、真面目にネガティブに考えてしまう自分自身には相変わらず手を焼き続けている。こんなポンコツ野郎とどう付き合っていくべきだろうか。

最近奥さんが愛読している益田ミリさんの作品を手に取ると、こんな僕が生きるためのヒントとなるような話がたくさん書かれていた。

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日常の些細なことによく気付く益田ミリさんは、人の少し嫌な態度や納得いかない出来事に繊細に反応して、ある時はそのモヤモヤをユーモアたっぷりに、ある時は切なくなるようなタッチで描く。

「今日の人生」というエッセイ集の中で、益田ミリさんはこう言っている。

わたしの、
私の人生に振りかかってくる面倒なできごと 
全て作品に
昇華してみせる


ああ、そうかあ。その手があったか。

イライラも、情けないも、理不尽も、がっかりも、あのクソ野郎も。
そう感じてしまうこと自体は、僕が僕である以上どうしようもない。

それに、感じたことをすぐに外に吐き出せる人もいると思うけれど、僕の場合はかなりギリギリまで我慢をしてしまう。
モヤモヤが体内に滞留して行き場を失って、寝る間際まで考えてしまったり、たまに変なタイミングで爆発してしまったりすることもある。

だけど、作品に変えてしまえば良いのだ。
よくよく考えると、僕は無意識にそうしていたことにも気付いた。

ちょうど1年ほど前から、書くことを始めた。
感じたことをエッセイにしてみたり、妄想した物語を小説にしたり。
その中に、嫌な出来事や思い出は度々登場する。

書くことをすると、不思議なもので、自分を客観視したり、書くこと自体でざわついた心を落ち着かせたりできる。
僕は僕にしかなれない、その事実がすっきりと腹落ちするようになったのは最近のことだと前述したけれど、それはこうして書くのを始めてからのことだ。

作品、と言うとなんだかおこがましい気がするけれど、好きだと思えるものを見つけて自分から形にした時点で、それは立派な作品だと胸を張りたい。

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作品とは、何も本や映像のように、目に見えるものとして残り続けるものだけのことを指すのではない。

ある人は、スポーツ。
ある人は、日々のお散歩。
ある人は、ガーデニング。
ある人は、料理。
ある人は、挨拶。

記録に残らなくても、記憶に残るものはある。
記録に残っても、全く記憶に残らないものもある。
有形か無形かはどうでもよくて、共通しているのは、人に降りかかった面倒なできごとを乗り越えるエネルギー源になることだ。
そしてそれは全て、作品だ。

そして、自分自身が生きていくために生み出した作品の数々は、誰かにとっての生きる糧にもなる。
僕だけがこんなことを思ってしまうのかな、とか考えてしまうことは意外と誰かも感じていることが多くて、作品にしてみると笑いに転換されることもしばしばだ。

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多分他人からすると読んでもピンとこないかもしれないけれど、現在僕が仕事で高ストレス状態に陥っている理由を少し紹介してみる。

・一緒に仕事をしている外国のパートナー企業が、ことごとく納期もやると約束していたことも全く守らない。謝っては来るけれど、謝られる度にじゃあちゃんとやってくれと言う。ただ結果、やらない。そのせいで僕がクライアントに毎日めちゃくちゃ怒られている。金返せと言われる。
・みんなで方向性を話しあった上でこうやりましょうと進めていた案件で、いきなり予算を大幅カットされる。プランは全て考え直し。結果、仕事をお願いしていたパートナー企業(上のとは別の会社)の社員からとても冷たくされる。電話しても邪険に扱われる。
・上の立場になったんだからもっと前に出るようにしろよと、部署の会議で役員から嫌味を言われる。仕方なくそんな感じに振舞ってみると、なんか違くないみたいな反応を下の子達からされる。出しゃばらないようにすると、それはそれで何もしないんですね、みたいな空気を出される。

どいつもこいつも、本当に身勝手だなー。
あなたたちみたいに自分が思うままに生きることができたら、とても楽しい人生だろうよ。
でもあなたたちみたいな人間だらけだったら、地球は温暖化が加速してきっと爆発してしまうよ。
中間管理職になったからとかではなくて、この類のモヤモヤは学生の頃からこっちはずっと付き合っているというのに。くそー。

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でももはや逆に、ありがとうお前たち、と言いたい。
作品の肥やしとなってくれてありがとう。
僕はそうやって人を小出しに嫌な気持ちにさせるよりも、作品にすることを選ぼう。
これから僕が書く小説の中で、とてもとても嫌なモブキャラとして描いてあげよう。
どんな不幸な目に合わせてやろうか!
どうしてやろうか!!

というのは半分冗談だとして。
君たちのことは普通に好きじゃないというか、あれだと思っているけれど、きっといつか笑い話のネタになってくれることだろう。
僕の長い人生、そのものが作品である。
うんちが肥料になるように君たちも役に立ってくれることだろう。こんなこと言うと、うんちに失礼か。
いつもご指導いただきありがとうございます。


、、、はあ。
こうやって書き出してみると、ちょっとだけ楽になった気がする、、かも。


バウムクーヘン / フジファブリック

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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