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世田谷の道に置いてきた

二股に分かれた道だった。敦は私が後ろから追いかけてくると思っていただろう。だけど私は、敦が進んだ左の道へは行かず、右へ行った。敦の方を見ることもなかったし、気にすることもなかった。初めて自覚的に人との縁を切った瞬間だった。

2010年春、私は大学生になった。勉強も遊びも充実させたいと思っていた自分にとって、大学はさまざまなチャンスや情報が転がっているように感じられ、胸が躍るとはこういうことなのかと思った。ただ、蓋を開けてみると、そこにはマイナスな雰囲気も一定あって、特に同級生から発せられる「勉強面倒くさい」「バイトだるい」「やりたいこととか特にない」みたいな発言に若干の違和感を感じたことを覚えている。

ただ、当時の私はそのマイナスな空気さえプラスに考えてしまうほど、ポジティブを通り越して世間知らずだった。「ああ、このマイナスな感情や発言も、本当はいろいろな思いがあって、恥ずかしさゆえに口にしているだけなのだろう」とさえ思っていた。平和ボケの象徴みたいな考えだなと思う。

そんな世間知らずの私は、同じクラスだった敦、そして女の子2人と仲良くなった。仲良くなったきっかけは、「私ってネガティブなタイプなんだよね(笑)」と女の子が発したことにみんなが共感したことだった。

敦「俺も人の気持ちを考えすぎて、なんだか自信無くしちゃうんだよね」
女の子「私は授業がためになるとはわかっているけど、なんだか面倒だなとか思っちゃう」
そんな感じで会話が繰り広げられていて、私も「わかる」と思っていた。

なぜなら、人の気持ちを考えるのは大変だし、勉強もすぐに自分の知識になるものではないが、それ故に大切なことで、頑張る価値があると思っていたからだ。その女の子がいう面倒くさいという意味の裏に込められた「でも頑張りたい」という気持ちを推察して、私はわかると言っていたのだ。

ただ、時間が経つにつれて、敦やその女の子たちが発しているネガティブな発言が、文字通りの意味でしかなかったということがわかってくる。

女の子は授業をサボるようになった。出席を代わりに提出してほしいというようになった。
敦はアルバイトを頑張っているからという理由で、バイトをやっていない同級生を馬鹿にするようになった。
授業の価値を自分たちで判断して教授を馬鹿にするようになった。

最初は私も同調していた。しかし、夢いっぱいの状態で始まった大学生活がそうやってマイナスな方向に引っ張られてしまっていると認めたくなくて、無理して敦たちと一緒に遊んだりもして、どうにか立て直そうと努力したこともある。

ただ、そこでなくなる時間、お金がとにかく自分にとって苦痛だった。周りの3人の気持ちを前向きにすることも無理だった。苦しくて苦しくて、行天に大学まで迎えにきてもらうほどの日もあった私は、この集団とは離れるしかないと心に決めるしかなかったのだ。


そして冬の曇天の日。敦が同級生の陰口を私にこぼした。
「どうせ俺のことなんて誰もわかってくれないし、あいつらだって俺のこと馬鹿にしているでしょ。でも俺はバイト頑張っているから」
私は背筋が凍った。もうここで離れるしかないのだと直感的にわかったのだ。そして二股にわかれる道を別方向に進み、その後敦たちと連絡を取ることはなかった。

二股の道を進んだ先は木が生い茂っていた。冬なのに毒々しい濃い緑色が奇妙だと思ったことを、今でも鮮明に覚えている。

マイナスな感情は、それをスティグマとして何かに打ち勝とうと努力をしたり、モチベーションの源泉にしたりしない限り、人を幸せにはしない。敦やあの女の子たちが周りに撒き散らしたネガティブな感情は、目の前の自分の空気を汚し、自分の体を蝕むのだ。



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