チョロ男

 比べるから、嬉しくもなるし、悲しくもなる。

 けど、ふと書きたくなったのは、嬉しくなるときのこと。

 家の敷地内に、川に面した、だだっ広い雑草エリアがある。2年ほど空き家になってたわけだから、無法地帯があるのは当然かもしれない。この場所は、もともと畑だったらしい。

 ご近所の方から、そんな些細なストーリーを聞いていたのもあって、やっぱり、昔をなぞらって、畑をやってみたくなった。雑草をむしりまくって、全エリアまではいかないけど、一部を畑として開拓し直して、いくらか野菜とハーブを植えてみた。

 トマト、ピーマン、オクラ、アップミント、レモンバーム。あとから、自生していたのを移し替えた、大葉と紫蘇を追加。

 2ヶ月ほどと期間限定ではあったけど、その時期は、ちょこちょこと収穫があり、炒め物やカレーに使ったり、英国紳士ぶってティーをたしなんだり、そーめんの薬味として投入してみたりして、大変重宝した。
 
 そして、やや土くさい採れたての生鮮を目の前にして (ときたま、思い出したように)、同居人はこんなことをよく口にする。

「スーパーで買ったら、これ○○○円くらいするよ」

 と、金勘定してみてみるのだ。それを言われるとボクは、ごく稀にやる雑草抜きと日々の水遣りに思いを馳せる。そう、ゆーほどの、手間はない。妙に説得された気持ちが高まり、たしかになぁ、と野菜を噛み締めて飲み込む。また、こんなことも考えた。

「東京だと、ミントは、1パック、○○○円くらいするもんなぁ。しかも、わりと品薄だし」

 そこに気づくと、なんて贅沢な環境にいるんだ、おいらは、と得した気分がブーストする。

 ふたつの比較があった。家庭菜園とスーパー、それと、田舎と都会。そのコストを比べてみると、ニヤニヤと浮き上がってくるお金がある。しかも、収穫のたび、幾度となく。運がいいねこりゃ、と思えるのだ。

 ただ、どうだろう、比較するものを知らなかったら、そのお得感にも気づくことなく、淡々と収穫し、食らっていただけじゃなかったか。

 知っていることを一つから、二つ(以上)に増やすことで、見つかる感情があるのだ。もちろん、比べることで悲しくなってしまうこともあるけども、それはいい占いは信じて悪い占いは信じないのと同じように、見て見ぬふりをすればいい。

 そして、思う。現状が1mmも変わるわけじゃないのに、比べるものを知ってるおかげで、ニンマリできる。こういうチョロい人間でいれたほうが、日々は、たおやかに、深みのあるものになるのではないかと。

 ああ、今日ものどかにうんこできたわーー、ラッキーーーー、と思えるくらい、とことんチョロい人間になるのが、残された宿題であり、修行なのでないだろうか。

 のびやかに生きるために、チョロ男を究めてみたい。




ここから先は

0字

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。