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今思う、これからのこと

「秋田に戻ってから読む本が変わった」
昨日、改めてそんな言葉を口にした。本棚を見ても「うむ、たしかに」。元々本は好きだが、地元に戻り、読む本の種類が変わった。

先日「ゴヤ」という本を読み切った。作家・堀田善衛ほったよしえさんの大作。スペインの画家ゴヤの一生を綴りながら、スペインという国の光と影を描く。こんな小説があるのか…それが読みはじめの感想だった。

4巻の作品。色々な本に寄り道をしながら一年近くかけて終わりを迎えた。堀田さんの娘・堀田百合子さんの著書「ただの文子 父、堀田善衛のこと」に、ゴヤを書き終えた堀田さんが泣いていたと綴ってあった。

その時の堀田さんはどんな想いだったんだろう…。そんなことに耽るふける今だったりする。


ゴヤの話はこの辺にして、最近のことを。3月まで目まぐるしい日々を過ごし、4月に入り、少し落ち着きました。

今後の行く道を考えるなかで、色々な方に協力や視点をいただきながら、ある程度の道が見えて来たところです。

まずは、兼ねてから進めて来たAKITA"KARA"というプロジェクトをしっかりと法人化しようと思います。この経緯については追って…と書きたいところですが、そんなに長々とした理由は持ち合わせておらず。

これまでの活動や、そこで出会ってきたみなさんの声を聞くなかで、「この団体は秋田のためになるのではないか」と思いました。

自分のなかでそう思えるまで、AKITA"KARA"の構想が生まれてから、1年半近く経ちましたが、その方向で進もうと思います。

書いた通りですが、ぼく自身「これを会社にするぞ!」と、思ったことは本当にないんです。

やっぱり地域で、秋田でやる活動なので。そこで暮らす人に受け入れられるか、その土地の課題と向き合っていけるものになるか、それを見極めていくプロセスが大切だと思っていました。

そして、そうでないなら辞める。ある種の潔さではないですけど、やっぱり個人に矢印が向く時代で、「社会のため」も「地域のため」も、個人のための謳い文句になってしまった時代で、それがぼくなりの大切にして来た軸であり、筋の通し方だったと思います。


AKITA"KARA"や鷲谷の今後の活動はまた追って伝えますが…ぼくはAKITA"KARA"がある意味、何かを捨てるような場になると良いのかなと、少し思っています。

「自分のやりたいこと」「夢」や「目標」。それを探している同世代が多いです。でも、同時にそれによって苦しんでいる…という側面もあったり。

ただ、もしかするとそれらの答えはすでにみんなが持っているのかも…とも思ったりします。

今の時代、みんな色々なことを知りすぎている、インプットしすぎているとも感じます。何かを得る場も大切だけど、何かを捨てる場も必要。

要らないものを捨てて、コップに入れすぎた水を捨てていって、みんながそれぞれのやるべきことややりたいことに気づける場になると良いのかなと。何かを得るのはインターネットやその他の機会に任せるとして…。

と、つらつら書いていますとこれまた終わりが見えません。ぼく自身も色々なものを捨てないといけませんね。

今後、AKITA"KARA"かぼく自身の活動としてやるかは決まってませんが、少しぼくが語る場をつくりたいと思っています。

AKITA"KARA"は社会実験的な側面も強かったので…。どうして人が来てくれるのか、みんなは何を考えているのか、地域のために何ができると良いか…そんなことを語れたらなと。

もちろんぼくがやるので、酒を片手に、すごく緩やかに。ほぼほぼ雑談…学びはあんまりないと思いますが、ただみなさんも何かを捨てる場になるかもしれません。

色々やることは多そうです。ぼくも自分にまとわりついていた過去の経験や未来への思惑を振りほろって、やるべきことが見えて来たところです。

また今後も色々とあると思いますが、そんな時こそケセラセラ。明日は明日の風が吹きますので、今ここを生きていこうと思います。それでは!

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