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[エッセイ]クラス替えも進級もない春を迎えて⚫︎年目?散るも芽吹くも俺次第!

注)この記事のテーマは「自己啓発」です。主に私自身が啓発されます。

「7」という数字といえば、思い浮かべるのは「ラッキー」か?
「ラッキー」と聞くと、私が最初に思い浮かべるのは茶色い毛がふさふさした犬か、チャレンジ一年生の女子キャラだった「村木こすも(通称:ラッキー)」だ。

「7」の話に戻るよ。
または、いつもお世話になっている大手コンビニかもしれない。アプリでクーポン心待ち。
または、「007」かもしれない。私は「ダブルオーセブン」を観たことがないので、どちらかというとサイボーグ009のグレート・ブリテンの方を想像。

私にとっては誕生月でもある。日本の7月といえば夏真っ盛りだが、汗かきで暑さが苦手な私にとっては災難の季節だ。一方で和風月名が「文月」であることは、私にとっては縁を感じる嬉しい偶然である。


「もう社会人7年目か〜」

同級生諸君は大抵このようにボヤいている、4月1日だ。
私も例に漏れず、社会人は早7年目。

以前は、桜が芽吹くとか散るとかいう時期は、クラスが変わったり大好きだった学校を去ったり旅立つ人を見送ったりするもので、体育館に厳かに響くピアノの音色や、廊下を駆ける上履きの足音が思い出される季節だった。独特の感傷。

それがどうだ。もう7年も4月1日は大抵同じ場所で同じような話をしている「今年も新卒が入ってくるねェ」じゃないんだよ。新卒だった頃から何年経ったんだお前は!


大人になると、悲しいかな。体育館のピアノの音色は花見に集まる宴会騒ぎにかき消され、古く懐かしい校舎の木造の香りもとっくに酒臭さに紛れた。あと花粉で死にかけのくたびれた大人が多い

まだ30にもならんのに、桜の季節になると突然学生時分を回顧して生産性のないノスタルジーに駆られるのはやはり、多感な少年少女時代の出会いや別れが、たった2週間で散る花が咲くこの季節に彩られていたからか。それはまるで背中に掘られた刺青(タトゥー)のように、自分では一生それを見ることはできないがずっとその存在を愛おしく抱えているようなものか(急に極道!

関係ないけど、二十歳の時に一瞬だけルームメイトだった留学生のアメリカンガールの背中に、「桜」の絵と漢字のタトゥーがそれはそれはかっこよく光っていたんだ。


だけど7年目の春は、6年目までの春とはちょっと一味違うぜ。

大人になっても、常に自分の未来だけは能動的に変えにいけるし、いくらでもアクティブに動けば自分の望んだ人生に少しずつ近づく気がしているからだ。
健康な体と精神さえあれば、行動量がきっとものを言う。くたびれた社会人であっても、飲んだくれのアラサーでも、どんな寂しい大人であってもそれはきっとそう。

桜が2週間で散るのはいつだって必然だ。
が、来年また咲くのもまた必然。桜の花が散り始めると共にあおあおと芽吹く葉の生命力にも、いつも励まされてきたじゃないか。

7はやっぱり「ラッキー」セブンかな。
やったるぞの2024年度、はじめました。


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