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懐かしいアレ

ポスター設置

Twitterにてチラシゲットやポスター発見の報が届いた。
まだロビー貼りだしぐらいかなと思い込んでいて、もう外にも貼りだされているとは思っていなかった。
毎日、ポスターの前を通る人もいるだろう。
誰かが気になったりしてくれたらいいなぁ。
ポスターが貼りだされ、近郊の映画館にチラシが並ぶ。

映画館に足を運ぶ人たちの心のどこかに引っかかればいいなぁ。
なんか気になるぞ、とかで充分。
そこから、よし行こうになるまではまだまだあるけれど。
まずは気にしてもらうという段階でもとても嬉しい。

公開前のあれ

今日はZOOMで久々に出演者の何人かと話した。
ちょっとしたご相談だったのだけれど。
昔から僕たちを知ってくださっている方々からすればどこで何をしているんだろう?とか思っているかもしれない。本当に時々、SNSに現れるぐらいだから。こうして公開情報が出てようやく写真やチラシ、予告編で久々に顔を見たという人が殆どだと思う。
でも今日話した出演者たちはやっぱりいつもと同じで、結局、笑いが堪えられないような瞬間ばかりだった。

ZOOMで話している内容とは別に、ああ、出演者たちもどうやら公開が近づいていることをヒシヒシと感じ始めているんだなぁという懐かしい感じがどんどんしてきた。毎回、舞台公演のチケット発売開始前の時期のようなあの感じ。ちょっとそういう感じを忘れていたからそれがとても新鮮だった。
焦りとも違うし、楽しみとも言い切れないし、不安もあるし、なんとも微妙なあの空気感。

俳優は舞台でも映画でも本番や公開前は作品をおすすめするわけだけれど、ほんとうのことを言えばどんな作品でも不安と背中合わせで、楽しんでくれるかなぁとふわふわしてしまう。自信をもっておすすめするのはやっぱり足を運んでくださる方に不安そうに声をかけるのは失礼だからで、本音を言えばそれでもお客様の反応まではあくまでも予測でしかないのだから仕方がない。
それはこれまで大絶賛された舞台も、映画「セブンガールズ」でも、毎回毎回繰り返されてきたことで、誰も面白いと言ってくれなかったらどうしようなんてことまで考えてしまう。そういう性分だ。
いつも舞台本番2カ月前ぐらいに、真面目な話、今回大丈夫だと思う?なんて聞かれた。
どこかで面白いはずだと信じていても、想像していたような反応が返ってこなかったことも何度も経験しているからかもしれない。それで傷つくことだってある。

稽古をしていたり、撮影していた頃は良かったけれど。
いざ、実際に公開されることが決まって。
それはそれで嬉しいことで楽しみなことでありながら冷たい汗もかく。
なんというか俳優というのは落ち着かないなぁと思う。

ほんとうのワクワク

でもそこまで含めて、全部まとめて、公開前なのだと思う。
手に汗をかくような緊張感。
舞台挨拶に出るとしても、どんな目で見られるか扉を開けるまで分からない。そういうギリギリの精神状態こそ、実はほんとうのワクワクだ。
だって結果がわかっていたらなんにもワクワクなんかしないのだから。
伝わるかなぁ。伝わらないかなぁ。
まるで告白前みたいだ。

初号試写で出演者たちの声を聞いた。
初号ってとても不思議な感じで、やっぱり完全な客観にはなりきれないものだ。自分の芝居に反省したり、想像していた感じとのズレに戸惑ったり、とは言え展開もセリフも結末も全て知っているという特殊な状況。
今まで何度か初号試写に足を運んだけれど、その経験の中では映画「演者」はとても良い感覚で受け止められる反応が多かった。中には最初からわりとすんなり映画に集中できた俳優までいて、今までとは違うぞという感覚があった。
だからいつも以上に不安になるかもしれない。
その感覚が良ければ良いほど、世の中の反応との差を感じなくてはいけないのだもの。

でもそれでいい。
俳優たちの僕が一番良いと思っているところを作品にした。
そこからは誰がどんなことを思うかではない。
目の前の観客に少しでも楽しんでもらえることを考えてきたからどうしてもそこを気にしてしまうのだろうけれど。
あとはワクワクしていればいいのだと思う。

それは向かい合わせのこと

チラシを手に入れたり、ポスターを見に行ってくださったり。
お客様も公開日に向かって一歩ずつ一歩ずつ歩み寄ってくださっている。
僕たちも歩調を合わせるように一歩ずつ公開に向かっていく。
舞台のように稽古がないから手持無沙汰かな?
肉体を駆使しないまま、気持ちだけが緊張していくのだもの。
でもそんな時に心を落ち着けて考える。
僕たちが公開に向かっていくのと同時に、誰かが一歩ずつ近づいていることを。
まるで運命のようだ。

公開初日はそんな運命の日で、告白の日だ。
ドキドキもするしワクワクもする。
当たり前のことだけれど、不安だけれど、楽しみだ。

僕が幸せだったこと

それを感じながら僕が幸せだったことは。
公開前の不安の対象が自分自身ではなかったことだ。
いやきっと自分自身への不安だってあるのだと思う。
自分の演技をどう見られるのかなっていう部分だ。
そうなはずなのに伝わってきたのはこの作品を受け入れてもらえるかなという不安だった。
完全に自分のことよりも作品のことを優先していた。

アーティストって結局は自己顕示欲の塊だったりする。
とにかくアタシを観て!な俳優ばっかりだ。
でもほんとうに今回それを感じたことがない。一度も。一瞬も。
こんな幸せなことってないなぁって思う。

僕がよいという。僕がOKを出す。納得できないならできるまで話す。
俳優に責任を負わせることのないようにと自分に言い聞かせてきたけれど。
批判が来るなら僕に来ればいいと思っていたのに。
そんな次元じゃなく、この作品そのものを考えてた。

この苦しみから解放される日は結局は公開日だ。
ワクワクとドキドキは交差して、期待と不安はまざっていく。
その日が来るまでは何をどうやっても解消されないさ。
大丈夫。その日はやってくる。

誰かと向かい合わせで。その日に近づいていく。

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