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M.L.キング 「自由への大いなる歩み」【中学受験最前線】

2021年12月1日水曜日。今年の中学受験がスタートしました。
ある私立中学の推薦試験は募集40人のところ、600人以上の受験生が応募し、実質倍率は15倍を超えました。
その社会の問題で、キング牧師の「自由への大いなる歩み―非暴力で闘った黒人たち」 (岩波新書 1959年)が出題されています。

1950年代のアメリカ・アラバマ州の法律では、黒人を差別することが合法とされていました。
バス、レストラン、トイレなどの公共の場で、白人用と黒人用を分ける「人種隔離政策」が公然と行われていたのです。
特にバスでは、「白人専用」とされる前から4列目までの座席10人分は、どんなにバスが満員であっても、黒人が座ることは法律で禁止されていました。
更に、白人が10人以上乗り込んできた場合には、黒人は座席から立ち退くことを要求され、それを拒絶すると逮捕され、牢獄に入れられたのです。
このような状況を見て、キング牧師は屈辱的であると感じていました。
彼が特に問題視したのは、15歳のハイスクールの女学生が、白人の乗客に座席を譲ることを拒絶したため、バスから引きずり下ろされ、手錠をはめられ投獄されたということでした。
これが後に有名なバスボイコット事件へとつながります。
(1955年12月5日)
黒人たちは、そのような差別的なバスに乗ることを拒否し歩き出したのです。

ここで大事なことは、日本で「日本国憲法」が施行された後でも、アメリカは、こうした人種差別を公然と行っていたという事実です。
日本国憲法は、1947年に施行されました。
当時日本は、アメリカの占領統治下にあり、独立国家ではなかったことから、憲法の草案もアメリカ主体で作成されました。
日本には「法の下の平等と差別の禁止」(日本国憲法14条)を要求しておきながら、国内では公然と黒人差別政策を実行していたというのが、アメリカの実情だったのです。

アメリカの人種差別は、なにもトランプ大統領から始まった訳ではありません。
建国以来、200年以上の長きにわたって、繰り返されてきたアメリカ社会の闇の部分です。それは、21世紀の今となっても、くすぶり続けている大きな問題だと言えるでしょう。

キング牧師は、「私には夢がある」(I Have a Dream)という有名なスピーチを残しています。
彼は、黒人と白人が仲良く手に手をとって協調する理想の社会を夢見ていました。その活動が評価されて、ノーベル平和賞も受賞しています。
それは、「世界は一つになる」と想像イメージしていたジョン・レノンの「イマジン」が描く理想の社会とも言えるでしょう。

しかし、キング牧師やジョン・レノンが思い描いていた崇高な理想は、一部の白人至上主義者や、狂信的なファンの凶行によって、脆くも打ち砕かれてしまいます。

二人が理想とした差別のない明るいアメリカ社会が、一日も早く訪れることを願わずにはいられません。

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